鮎川 哲也 死者を笞打て    1  いつも笑顔をたやしたことのない大久保が、この日はともすると眉の間に深刻そうなしわを寄せ、黙ってタバコばかりふかしている。わたしが話しかけても、つねとは違って、即座に斬り返してくるような機敏さが少しもないのである。 「どうしたんだ、一体」  大久保はその言葉を待っていたように、タバコを灰皿にこすりつけ、口を開く前にかるく咳ばらいをした。 「困ったことが出来てね」 「どんな——」 「いや」  と彼は手を上げて、わたしの発言を封じるそぶりをした。細い指に金の結婚指輪がひかっている。大久保は二十二金だと自慢をし、わたしは秘かに腹のなかで十七金程度にふんでいる代物《しろもの》である。 「困ったといっては正しくないな。むしろ、面倒な、というべきだがね」  なにを語ろうとしているのか、わたしにはさっぱり見当がつかない。 「さっさと喋れよ」 「うむ。じつはね、鮎川さんから貰った先月号の短篇なんだけどね」 「ふむ」  大久保がその短篇に関してなにか愉快ならざる件を持ち込んだことは、おぼろげながら判ってきた。わたしも油断ない身構えをして、あたらしいピースに火をつけた。 「で、それがどうしたというんだ」  煙を吐き出しながら、先をうながした。煙はゆるやかに渦をまいて二人の中間でとまどったようにただよい、それから次第にうすく拡がって天井にのぼっていった。その灰色の微粒子の膜をとおして、ほそおもての大久保の顔が渋面《じゆうめん》をつくり、ちょっとの間だったが、語ることに躊躇している様子をみせた。  わたしは、まったく久しぶりに、大久保が編集している『月刊推理』に≪死者を笞打て≫という短篇をのせた。これは予定していた作家が急な病気で倒れ、大久保の目にはわたしが暇をもて余している男にみえたのか、にわかにお鉢が廻ってきたのである。わたしには以前にも同じような経験があり、そのときも編集者のたっての願いで代打に立ったのだけれど、わずかの時間に書いたのではよい作品が出来るはずもなくて、そうした事情を知らない読者から手酷い投書をもらうのが関の山であった。べつに恩にきせるわけではない。それにしても当の迷惑をかけた作家から、あのときはお世話になったと礼状の一本ぐらいは来てもよさそうなものだが、その後なにかの会で顔を合わせることがあっても、頭ひとつさげるでもないのである。ひょっとすると胸のうちで、鮎川には稿料を稼がせてやったのだからこっちこそ礼をいってもらいたいと、まったく逆のことを考えているのかもしれない。当時わたしもそうしたことを想像して、その作家の顔をみるたびに腹を立てたものだった。  一度こりたはずの仕事ならば、二度と引き受けなければよいのに、大久保の弱った顔をみるとつい承知してしまう。わたしの性格にはそうした人の好いところが多分にあって、自分でも困った男だと思っているのである。だが、このときのわたしは前回の失敗をくり返すまいとして、急ぎ新作をひねり出すかわりに、ずっとむかし書いたことのある短篇の記憶をたどり、それを原稿紙につづって大久保のピンチを救ってやった。そのオリジナルな原稿はとうに紛失して手許になく、おぼろ気に覚えている内容のものを思い出して書いたのである。  この短篇は本格派としてのわたしには珍しい心理物でもあり、その後にはやった言葉でいってみれば一種の残酷物語でもあった。自分でいうのも可笑《おか》しなことだが、わたしには自信作だったし、読者がどんな反響をみせるか秘かに楽しみにもしていた。 「それがどうした」 「うむ、それがね、盗作だといって文句をつけているやつがあるんだよ」  咄嗟《とつさ》に答えることができなくて、わたしはポカンと口をあけたままだった。あとになってから、随分しまりのない顔をしていたことだろうと思い、恥かしい気がしたくらいだ。 「馬鹿な。何をいいやがる」 「ぼくに怒っちゃいやだな」 「きみも盗作だと信じているんだろ」 「そうじゃない。そんな無茶をいっちゃぼく困る。鮎川さんがそんなことする人でないことぐらい、ぼくだって知ってるよ」  長身の腰をうかして懸命に弁解するさまが可笑しくて、わたしは思わず笑ってしまった。 「判ったよ、判ったよ」  気分にゆとりが生じた結果、わたしの声もおだやかな調子になっていた。だが、自分の作品にとんでもない言い掛りをつけるやつは、一体どこの誰なのだろうか。 「多田だよ、多田慎吾なんだ。彼が今週号の『週刊書評』のなかで、はっきりと断定している。今朝、新聞社にいる友人から電話があってね、びっくりした」 「多田が?」  表情のこわばるのが自分でも判った。多田はわれわれ作家の仲間でもっとも評判のわるい批評家である。陰では蝮《まむし》だとか狂犬だとか悪口をいわれ、彼の名をまともに呼ぶものは殆どいないほどであった。これ等のニックネームは単に多田の風貌あるいは批評態度の嫌らしさからくるばかりではなく、彼に形容詞過多のあくどい文章で叩かれると、後遺症のようにいつまでも不快な後味がのこるからであった。  多田は執念ぶかい男だといわれており、また事実そうらしかった。彼に反駁《はんばく》すると大変なことになる。多田は猛り狂った牡牛のように角《つの》をふりたて、より以上にはげしい口調で喰いついてくるのだ。多田は決して中途で止めようとはしない。相手がばかばかしくなって、あるいはくたびれて、あるいは弾薬つきて攻撃することをあきらめるまで、半年でも一年でも論争をつづけた。仲間の誰かがやられているとき、われわれは顔を見合わせて、多田のそうした執拗なやり方を批判したのち、どうにもやり切れないような、憫笑《びんしよう》とも苦笑ともつかぬものをうかべて沈黙してしまうのが常だった。多田慎吾の噂をすると酒がまずくなる。誰かがそんなことをいったが、それは事実であった。  嫌な男に喰いつかれたものだ。瞬間わたしはそう思った。腹を立てる前に、困ったことになったと感じた。 「どれ、貸してみろよ」  大久保が鞄からとり出した書評紙を、引ったくるようにして卓上にひろげた。いかにも編集長がいうとおりに、三面に四段ぬきでかなり派手に扱われている。見出しは「盗作か、鮎川氏」という懐疑的な表現をしているが、それはおそらく編集部がつけたのであろう。内容は冒頭から最後の一行にいたるまで、終始激烈な調子でわたしを非難し、破廉恥漢だとか没義漢などという硬い響きの言葉がいたるところで目についた。  多田が鮎川攻撃の材料としているのは、いまから十年余り前に発行された『ゼロ』という推理雑誌であった。四月号に掲載されている石本峯子作の短篇≪未完の手記≫がわたしの≪死者を笞打て≫と寸分たがわぬ内容であり、かかる偶然の一致は想定できないから、明白に盗作であるときめつけていたのだ。  石本峯子なんて聞いたこともない名前である。ましてや、わたしの作とそっくり同じ作品がむかしの雑誌に載っていたなどとは夢にも知らぬことだった。わたしは眉をよせ、親指と人さし指とで下唇をつまんでいたことと思う。それが、困惑したときにやる、わたしの癖だそうだから。 「そういえば『ゼロ』という雑誌がでていたようだな」  終戦直後にどっと発刊された推理雑誌のいくつかの誌名を、わたしは思いうかべていた。戦前からあった雑誌が復刊されたのは『新青年』と『ぷろふいる』ぐらいのものであり、あとは殆どがあたらしく創刊されたのである。そして二、三をのぞけば内容も俗悪をきわめ、推理小説の発展に寄与することもなくて、いまではその名を記憶しているものさえ少なくなっていた。 「名古屋に『新探偵小説』というのがあったがね、これが最も純粋だったんじゃないかな。ぼくはいちばん好きだった。発行所が地方にあったのが不利だったんだろうと思うが、七、八号でつぶれたよ。惜しかった」 「あの時分は泡沫雑誌が多かったという話だね。ぼくはまだ子供だったから、よく知らないんだ。おふくろから読むのを禁止されていた」  口をとがらせて大久保がいった。 「そう恨めしそうな顔をすることはあるまい。ぼくも戦前は『新青年』を読んじゃいけないといわれていた。内容が少年向きではないというわけだよ。年に二回の翻訳物特集のときだけ買うのを許されたもんだ」  わたしは戦前の『新青年』はほとんど知らないが、新聞にのる毎月の広告だけは強烈な印象となってのこっている。モダニズムを売物にした雑誌だけのことはあると思う。  ところで『ゼロ』もまた他のカストリ雑誌と同様な運命をたどったものの一つで、あまり記憶に残っていないことから考えると、大した内容の雑誌ではなかったに違いない。『新探偵小説』みたいな充実した内容であったならば、わたしが忘却するはずがないのだ。 「多田のやつ、いよいよ頭にきたとみえるな。こんな無茶な言いがかりをつけるとはね」 「無茶?」 「そうさ。≪死者を笞打て≫はぼくの創作だ。盗作であってたまるかい」 「鮎川さん、そんなに呑気に構えている場合じゃないよ。ぼくは早速あの男のとこに電話してみたんだが、『ゼロ』に石本峯子なる人物が≪未完の手記≫をのせたのは間違いのない事実だというんだ。そこでお宅に来る前に多田のとこに寄り道をして、その本を借りてきたのだよ」  大久保はそういいながら、膝にのせた鞄の口をあけて、なかから四六判のうすっぺらな雑誌をとりだした。質のわるいインクでべた一面に黒くぬりたくった表紙の隅に、白ぬきで『ゼロ』としるしてある。当時の多くの雑誌がそうであったように、見るからに浅薄でうす汚い感じがした。手にとるまでもなく、仙花紙であることが判る。  大久保は細い指先を器用にうごかして、ページをくっていった。 「ほら、ここだ。途中のガソリンスタンドで車を停めてさーっと読みながしてみたんだけどさ、細かい点の修辞がちがっている程度で、あとは鮎川さんの短篇そっくりなんだな。多田が鬼の首をとったように騒いでいるのは当然だね」  他人事のような冷淡な調子が彼の言葉のなかにあった。口ではわたしが盗作するはずはないといいながら、胸中ひょっとすると鮎川が古い作品を引きうつしたのかも知れぬと疑っているに相違ないのである。わたしは、かなり親しくつき合っているこの編集長に疑惑の目でながめられることが情けなくもあり、腹立たしくもあり、たまらなく淋しくもあった。 「どれ、貸せよ。しばらく黙っていてくれ」  あたらしいピースに火をつけると、活字に目を近づけた。この一年ばかり前から近眼の度がすすんだとみえ、小さな活字がよみにくいのである。その癖、眼鏡店にいくのが億劫《おつくう》なものだから、ついそのままになっている。≪未完の手記≫は四十枚ほどの長さであった。それでも、頭のなかで自作の≪死者を笞打て≫と引き比べながら読みすすむのだから、読了するまでに二十分ちかい時間を要した。  読み終えて顔を上げてみると、大久保は幅のひろいおでこに眼鏡をたくし上げ、イスのなかで気持よさそうに居眠りをしていた。多忙なこの編集長は郊外の自宅に帰るのが連日午前の二時頃だという。睡眠不足が慢性化して、つねに赤い目をしょぼしょぼさせているのを見ると、編集者の生活というのも流行作家におとらず大変なものだなとつねづね同情したものだった。だがいまは違う。のんびりと他人に同情しているときではない。 「おいおい」  可哀想だとは思ったが、肩をはげしく揺り動かして目をさまさせた。 「読んだ?」 「ああ。きみのいうとおりだ。戦闘好きの多田がもってこいの目標をつかんだんだ。やつが有頂天になるのも無理ないね」  腹立たしいのを押えて、故意に平静をよそおっていった。編集者の前でとり乱したくはない。変った様子をみせれば、その噂はたちまちのうちに推理作家仲間に知れ渡ってしまうからだ。 「どうだった」 「勿論ぼくが盗作したのではない。偶然というにはあまりにも似ているから、この石本峯子という女のほうがぼくの書いたものを盗んだに違いないな。それ以外には考えられん」  大久保は眼鏡を鼻にのせると、身を前にのりださせた。不服そうに口をとがらせて抗議した。 「それは理屈にならないよ。こちらは十年余り前に活字になったんだし、鮎川さんのは、いまから二ヵ月ばかり前に書いたんだもの。多田でなくても、鮎川さんが盗作したものに違いないという判定をくだすね」 「そう考えるのも無理ないことだがね」  わたしは手振り身振りをまぜて、ゆっくりと説明をした。ゆっくりと語ることによって自分自身を落ち着かせようと思ったからだ。 「実をいうとね、あの≪死者を笞打て≫は十二年ほど前に書いたのだよ。まだきみが高校生、いや、中学生ぐらいかな、ともかく空気銃をかついで雀を射っていた頃のことだ。ぼくは既にその時分から書いていた」  いまわたしは鎌倉に住み、大久保は北多摩郡に家をかまえている。だが青年時代のわたしと少年時代の大久保とは、電車通りをへだてて小石川に住んでいたことがあるのである。大久保は子供の頃から人一倍たけが高く、日曜日になると朝早く起きて空気銃を肩に、西武電車にのってムクドリを射ちに出掛けたものだった。いまのくたびれた彼の顔から少年時代の面影をしのぶことは、まず不可能である。可愛気が全くない。 「まあ話を聞けよ。ぼくはその頃なんでもやった。日比谷のアメリカ図書館にいってあちらの雑誌の笑い話を訳したり、雑誌の編集を手伝ったり、小説を書いて売り込んだり。なにしろ闇市が栄えていた時分だったから、小才のきかないぼくみたいな男は原稿を書いて食うのがせい一杯だった。持っていった原稿を突き返されると、そいつをまたべつの雑誌へ送りつけるという有様で、半ダースぐらいの筆名を使いわけて書いた短篇を、常時あちこちの編集部にあずけていたんだ。なかには性格《たち》の悪い編集者がいてね」  興味のなさそうな表情をうかべて、大久保は爪の先をながめていた。同業者の悪口をいわれるのは気持がよくないのだろうか。 「編集部をやめるときに、机のひきだしに入れてあった原稿を持ち出して、勝手に処分したりするやつがいた。つまり、そいつをよその雑誌社に売りつけて原稿料を手前がもらうという、みみっちいことをやるわけだがね」 「そんな話、どこかで聞いたことある」 「だからさ、ぼくの≪死者を笞打て≫もそうした編集者の手をへて、『ゼロ』の編集部に売られるということも想像できる。石本峯子なんていい加減な女性の筆名をつけてね」 「すると石本というのはむくつけき男性だね。人の小説をかっ払うなんて女のすることじゃないからね」  フェミニスト振りを発揮して大久保がいった。いや、彼自身はフェミニストと称しているが、もっと正確に表現するならば女性に甘いというべきである。女とみるとたちまち目尻をさげ、猫なで声をだすから女性作家の間ではすこぶる評判がいい。それは脇で見ていても腹立たしいほどのもて方であった。 「男のくせに女の筆名を使うなんて、いや味だな。そんなやつはきっとデレ助だと思うよ」 「デレ助ってのは、例えば誰みたいな男かね?」 「それはつまり、早い話があの作家……」  いいかけて気がついたとみえ、大久保はあわてて口を閉じた。この発言が先方の耳に入り、当の作家を怒らせて原稿をもらえなくなっては大変だ。 「止めとこう。それよりもね、≪死者を笞打て≫と≪未完の手記≫との間には、文章上若干の相違がある。あなたがいうように鮎川さんの旧作を失敬して売りつけたのだとしたら、その悪徳編集者はなにも文章に手を入れるような面倒なことをやるわけがないじゃないか」 「ふむ」 「だからだよ、鮎川さんの主張が正しいと仮定してみると、この石本峯子というのは実在の人間で、そいつが何かの拍子に鮎川さんの作品を手に入れた。それを盗んで発表しようと考えたが、文体が鮎川さんと同じだと雑誌社にもっていっても怪しまれるに違いないということに気づいたわけだ。そこで、自分の文章に書きなおして『ゼロ』に載せた……。こんなふうに想像してみたらどうだろう」 「そうだな、そうした見方もできるねえ」  文体の相違を理由づけるには、わたしの推測よりも大久保の考え方のほうが的を射ているようであった。 「すると石本峯子は実在した女かな」 「かもしれないね。うたかたの如くかつ結びかつ消えていった推理作家志望の女だったんだろうな」  石本峯子……。その名を口のなかで繰り返してみた。いくつかの作品を発表したものの結局は忘れ去られていったおびただしい人の名を、わたしはよく覚えている。例えば、≪網膜物語≫の作者独多甚九のように、一篇きりの作品をのこし、誰も知らぬうちに死亡した人もいれば、数年間かきつづけてものになりそうに見えながら、何かの事情で筆をおり、いまは全く消息を絶ってしまった本間田麻誉のような人もいた。わたしは指を折りながら、いまは故人となった大坪砂男や弘田喬太郎の笑顔を思い浮べてみる。≪勲章≫を発表して脱皮をはかりながら世を去った本格派の坪田宏という人もいる。けれども、いくら記憶をたどってみても石本峯子の名は思い出すことが出来なかった。ただ、わたしは『ゼロ』をついに一度も覗いたことがなかったから、彼女の創作活動がこの雑誌一つに拠っていたとするならば、或いは名を知らぬこともあり得るのである。  わたしのこうした考えに、大久保はただちに賛意を表明した。 「鮎川さんのいうとおりでしょう。ぼくはそうだと思う。でもね、読者と多田は信じませんよ。前にもいったように石本峯子のほうが十年も先に発表しているんだから、鮎川さんが盗んだとみるのが当然だ。だがね、こいつは鮎川さんにとって不名誉きわまる出来事であると同時に、編集長たるぼくとしても困った問題なんだよ。このまま放っておけば、読者は編集部に対して非難を集中するだろうしね。盗作であるならば次号にぼくの名で謝罪広告をだせばその場はおさまるが、事情がはっきりしないうちは、そうするわけにもゆかない」  まるで大久保は盗作であることを歓迎するような言い方をした。そのほうが、ことは簡単に片づくからだ。あとは盗作者であるわたし一人が矢面に立てばよく、大久保はこの問題から解放されて本来の仕事に専念できるのだ。少年時代は純真だったこの子も、浮き世の波にもまれるにつれて割り切った考え方をするようになったとみえる。それがわたしには哀しく思えた。 「むかし、推理雑誌の濫立時代にもおなじようなケースがあったもんだよ」  自分のセンチメンタリズムを払いおとすように、わたしは、別のことを話題にした。初期の『月刊推理』に赤木さん子の筆名で発表されて、好評をはくしたユーモア探偵小説が、実はアメリカのクレイグ・ライスの翻案であることが判って、次号で編集部は読者にその不明をわび、赤木さん子はそれきり消えていったのである。しかしこれは、クレイグ・ライスが如何なる作品を書いているか全く資料のなかった終戦直後のことでもあったし、また、ずぶの新人であった赤木さん子が斬られたところで大したことではないし、つまるところ殆ど問題にもならずに落着した。だが今回の場合は、そう簡単に決着がつくとは思えなかった。第一にわたしは新人ではない。第二に多田慎吾というエキセントリックな批評家がいる。かなり派手な騒ぎになることが予想された。 「どうすればいいかな」  イスの上でしきりに貧乏ゆすりをしていた大久保は、考えあぐねたように、意気の上らぬ声をだした。 「解決法は一つしかないな。石本峯子を見つけてぼくが対決することだ。きみに同席してもらって、この女に盗作であることを認めさせる」 「手荒なことしちゃ悪いぜ。それにさ、証拠があるわけじゃないんだろ? もし彼女が否定すれば、それまでじゃないか」 「そんな弱気でどうする。先方にすれば他人のものを盗んだというひけ目があるんだ。厳しく追及すりゃきっと兜をぬぐ。きみと違ってぼくはフェミニストじゃないんだからね」  皮肉をいってやったが、通じない。逆にほめられたものと思って目をほそめているのだから、全くじれったい男だ。 「どうやって石本峯子をさがすのかな」  わたしにはその方法が思いつかなかった。 「当時の編集者をみつけて訊くんだね。古い作家にたずねると知ってるかもしれないよ」 「うまくいくかな」 「蛇《じや》の道はヘビさ。まあ委せといてもらいたいな」  どうやら元気がでたらしく、大久保はひどく自信あり気にそういうと、あたらしいピースをつまみ出して火をつけて、「月末に沈《ちん》さんが上京するって話だね」と世間話をはじめた。    2  おりから、記事枯れという悪いときにぶつかったせいもあるのだろう。多田慎吾がつけた火はたちまちの内に燃えひろがってしまい、東京から三つの新聞社の文化部員や学芸部員が、社旗をなびかせてインタビューにやって来た。隣り近所の人たちも車を一見しただけでその意味をさとったのだろうか、目をそむけて何も気づかぬふりをしてくれる。たまたま郵便受けの手紙をとりに出て顔が合ったときなど、殊更さり気なく挨拶をしてくれるのである。そうした心遣いが逆にわたしに辛い思いをさせた。かといってひそひそと陰口をささやかれたり、聞えよがしの大声で噂をされたりすればするで、それもまた辛抱できぬほど不愉快なことに違いなかった。  では、わたしの盗作の件に関して世間の人々はどう考えているのであろうか。いまいったように、近所の住民は明らかにわたしが盗作したものとみなしているようだった。しかし肝心のジャーナリズムの世界では、盗作者とみなす者と半信半疑の者と、わたしの潔白を信じてくれる人達との三つのグループに分れていたが、なにぶんにも石本峯子のほうが十年あまりも昔に発表しているものだから、わたしの主張することが体《てい》のいい弁解だとしか思われないのも無理のないことだった。非難とあなどりの眼でみる者の数は圧倒的に多く、多田慎吾は勢いに乗じて日刊紙の文芸欄などで、しきりに追い討ちをかけた。わたしの古い作品を読みあさり、例えば≪五つの時計≫のなかのトリックがクリストファ・ブッシュの≪首≫のアリバイトリックと全く同一であることを発見して、攻撃の材料とした。目のとび出た顔色の蒼い多田が、机を叩き唾をとばして論難している様子が目にみえるようだった。  この事件で友人を篩《ふるい》にかけることができたといっては、言いすぎであろうか。誰よりも先に立って弁護してくれるだろうと秘かに期待していた友が沈黙をまもっていたばかりか、消極的にではあったけれどもわたしを犯人扱いした。そうかと思うと、いままで会などで顔を合わせても黙礼さえかわしたことのなかった作家が電話ではげましてくれたりした。わたしを信じているといって激励してくれたのは圧倒的に女流作家が多く、わたしは顔を紅潮させながら彼女等の水茎のあとも麗わしき手紙を読んだ。そして朽木靖子のすべすべした頬っぺたや、難波きみ子の知的な眸を思い、朽木靖子と鎌倉の寺々をたずねた日の楽しかったことや、難波きみ子と一緒に神楽坂のレストランで食ったチキン料理の旨かったことなどをそぞろに懐しく追憶して、みずから心を慰めた。  その数日間というもの、わたしはとまどうばかりで殆ど仕事もできぬ有様だった。いうまでもなく本格物は全行が伏線だといわれるくらいだから、執筆にあたって、他の畑の作家とは段違いの精神の集中が要求される。いまのように気が散った状態では書けるわけがなかった。しかし、おりから締切りの迫ったものが一本あったので、自分をむりやり笞打ってともかく五十枚を仕上げてみたが、読み返すと、当然のことながら気の乗らぬ凡作になっていた。そればかりでなく、一読してはっとなったのは、冷酷で極悪で、女性をだまくらかしてばかりいる犯人の名が「直公」となっていたからであった。いかに寛大な大久保直公であっても、これが目に触れれば不快感を抱かされることは間違いなく、わたしは慌てふためいて全篇にわたって朱を入れ、犯人の名をありふれた「太郎」になおして、ようやく胸をなでおろしたのだった。  これは断るまでもないのだけれど、普通小説とは違って、推理小説は殺す者と殺される者とによって物語が成立している。したがって書くほうの側としては、作中に知人や友人の名を用いぬことは最小限の常識であり、また礼儀でもあるのだった。われわれの先達である横溝正史氏の長篇に、宿屋の主人として志摩久平なる人物がでてくる。だがこれも、わざわざ関西在住の後輩の本格派作家須磨久平に手紙で了解を求め、その上で使用するという手順が踏まれているのだ。かくいうわたしもそうした点については心得ているつもりであったけれども、根がうっかり者のせいもあり、ここで告白しておくと、過去に二度も掲載誌の編集長を犯人にしてしまったのだった。そのうち一度は事前に気づいたからよかったものの、二度目のほうはそのまま『小説現代』に送稿してしまい、当時のM編集長から人を介して「これはどういう意味ですか」と訊かれたときには、正に返事に窮したのである。こうした場合は直公式にごまかすのが最上の策だから、「どうもどうも、へっへっへっ」と笑っておいたが、全身は汗びっしょり。爾来、こうした非礼をくり返すまじと注意をしていたのだけれど、今回のように心ここにあらざる状態で書くと、またもや同じ失敗をやらかすことになるのだった。  仕事といえばかねて話のあった二、三の出版社から書きおろしの約束を取り消したいという申し入れがなされ、わたしは腹を立てるよりも不安になってきた。この解約が他の出版社にもつたわって連鎖反応をおこせば、わたしは収入の道をとざされることになる。正に死活の問題であった。わたしは信じますよ、でも、社長がねえ、という出版社員もいる。あんな不徳義漢の作品をわが社から刊行でけるか! とその社長は唾を吐くような調子でいってのけたそうだ。  わたしを逆に激励してはやく脱稿するようにすすめたのは、池袋にある小さな出版社だった。売れるのはいまの内ですよ。読者ってのはいかもの食いが多いんだから、問題の盗作者が書いたとなると、わッとばかり飛びつきまさあ。若くて肥った社員はそういい、わたしの苦い表情に気がつくと、とってつけたようにへへへと笑って、暑くもないのに眼鏡をはずしてハンカチで顔をこすった。  そうしたなかで最も意外だったのは、わたしとは全く立場を異にする虚無派の推理作家金沢文一郎が分厚い封書をよこして、わたしの主張を全面的に信じていると述べてくれたことだった。金沢の出現はほんの二年ほど前のことであったが、独特の乾いた文章と好んでえがくニヒルな主人公達と、世紀末的な愛欲描写とが読者の人気をあおり、たちまちにして流行作家の地位を占めてしまった。Q賞候補となることすでに二回、この冬は受賞まちがいなしとまでいわれている。文壇に登場する早々、彼は従来の推理小説家には思想がない、哲学がないといって否定的な言辞を吐いたり、誰それの本格物には人間が描かれておらぬといって非難したり、推理作家とのつき合いを拒んだり、とかく問題になることが多かった。そうした傲慢《ごうまん》ともいうべき彼のポーズが、じつは自分を売りだすための宣伝であることに気づいてみると、金沢の一挙手一投足のすべてが計算された演出であることが判ってきて、わたしの興味は急速にはなれていった。爾来《じらい》今日まで、彼の作品をほとんど読んだことがなかったのである。わたしが意外な思いにうたれるとともに、彼の好意を嬉しく感じたのは当然だった。他の友人には電話で礼をのべたきりであったが、金沢にだけは便箋数枚にわたる礼状をだしておいた。  一週間目の午後に、大久保から連絡があった。 「茂森巳之吉という編集者の居所がわかったんだ」  幾分得意そうに、大久保は声をはずませた。 「どこだ?」  この七日間というもの、やきもきしながら待ちつづけていた知らせである。わたしの声がうわずったのも無理はあるまい。 「池袋だ」 「池袋のどこかね?」 「それがね、とても複雑だから口ではいえない。ともかく五時に池袋駅の東口で待っている。来てくれるだろうね?」  電話はそこで切れた。時計をみると一時をすぎたばかりだったが、ただちに仕度をして出掛けることにした。わたしは滅多に上京しないものだから、東京にはさまざまな用事も溜っているし、訪ねなくてはならぬ人も沢山いる。出る機会がある度に、山積した用事を端から少しずつなしくずしにしていくことにしていた。  この日もデパートと出版社で用件をすませてから、五時少し前に池袋についた。まだラッシュアワーになっていないので大したことはなかったが、もう少し遅くなると、この駅の内も外も通勤のサラリーマンたちで混雑をきわめる。大久保もわたしも人波のなかに潜ってしまい、すれ違っても判らないことになるのだった。  大久保は車をどこかにパークさせてきたとみえ、ジュースの自動販売機のわきに立って待ちくたびれたように間のびのした顔をしていた。手に土産用のキャンディーの袋を持っており、口を動かしている処をみると、退屈しのぎにその飴をしゃぶっているらしい。 「よう、待ったかい?」 「いや、そうでもない。ぼくもいま来たばかりだ」  軽い調子でいった。しかし彼が嘘をついていることは、残り少なになったキャンディーからも、飴をしゃぶりすぎてげんなりしたような表情をしている点からも、察しがついた。 「どうだい、どっかその辺の店で菓子でもくいながら話を聞かせてくれないか」 「甘いものは沢山だよ。こっちは目下塩でもなめたいと思っているところだからね。それよか、少し早いが『姫ゆり』という店にいかないか」 「バーか」  わたしは財布の中身を天秤《てんびん》にかけながら訊いた。大久保はボッコちゃんの愛称があるほどの呑み助である。和酒はだめだが、ウイスキーとなると目がなくて、角瓶を二本あけても水を飲んだ金魚みたいにけろりとしているという噂だった。ボッコちゃんというニックネームが、星野新一の有名な同名の掌篇に登場する大酒呑みの自動人形からでていること、ことわるまでもあるまい。 「バーじゃないんだ、呑み屋なんだよ」 「日本酒は嫌いなんだろう?」 「ぼくが呑むんじゃない。この『姫ゆり』という店に、茂森巳之吉が毎夜のごとくあらわれるんだが、そこをキャッチしようという寸法さ」 「ふむ、そいつもボッコちゃんじゃないのかね?」  その男もまた大久保みたいな酒豪だとすると、わたしの有金を全部はたいても足がでるだろう。 「いや、そんな可愛らしいのとは違うよ」  池袋東口の、あのカスバのように入りくんだ迷路の方にあるき出しながら、大久保はおでこを横にふっていった。楽天家のこの男は、ボッコちゃんというニックネームをつけられた理由を、自分が可憐であるからだと思い込んでいるらしいのである。冗談じゃない、こんなひねた編集者のどこが可愛いものか。  たそがれどきの呑み屋横丁は、早くも客をむかえる準備がなっているようだった。せまい道路をはさんだ両側に、中華そばだとかすしだとか、焼鳥だの湯豆腐だのおでんだの、場末の町によく見かける食い物屋が軒をならべていた。豚の腸をやく脂っこい臭いにまじって、とうもろこしを焙《あぶ》る香ばしいかおりが漂ってくると、大久保は鼻の孔を急激に動かし、よだれをたらしそうなしまりのない顔になって、あたりの店をしきりに見廻しだした。しかし、そう思ったのはわたしの僻目《ひがめ》であった。彼は『姫ゆり』という呑み屋をしきりに探しているのであり、食い気をあおられたわけではなかった。  三十分ほどかけて横丁をひと巡りしてしまうと、落胆したようにとうもろこし屋の前で立ち止って、ベティ・ブープのアップリケのしてあるうす汚れたハンカチを取り出し、人一倍ひろい自慢のおでこにぐっしょりと吹きでている汗をふいた。 「訝《おか》しいな。これだけ探して見つからぬはずはないのだがな」  もう五時を過ぎていた。路地をゆき交う人の数が目にみえてふえ、その殆どが半袖のシャツを着たサラリーマンだった。この近所の会社に勤めている連中に違いなかった。駅の前にこうした大衆的な食い物屋や呑み屋があると、赤い提灯のあかりや旨そうな煮物のにおいに誘われて、ついふらふらと足を向ける気になるのも無理ないことだった。 「こんな処で何してるの?」  聞きなれた声が空の方でした。見上げると、おなじ推理作家の紀野の渋い顔があった。長身でスマートな体つきの彼は、金をかけずに粋な身なりをするのが上手だった。この夜も洗濯のきいた黄色いホンコンシャツに赤のホンコンズボン、頭に黒のホンコン帽という凝り方である。彼の前に立つとダンディの誇り高き大久保が途端にインテリ乞食のように見すぼらしく見えたから、大したものだった。 「『姫ゆり』という呑み屋をさがしているんだ」  話を終りまで聞かずに、紀野は白い歯をみせた。 「見逃したのも無理ないよ、『姫ゆり』は袋小路にある小さな店だからな。おれが案内してやろう」 「どんな店?」 「沖縄料理をくわせるんだ。といっても大した物はないけどね。料理は付録みたいなもんで、泡もりが本誌だ」  そんな話をしているうちにも、通行人の数はますます多くなり、店々の前に立って客を呼ぶ男の声も活気づいてきた。 「鮎川さん、うちの娘が本格物好きでしてね、あなたの長篇なんかもよく読んでいるんです」  わたしは淵屋隆夫のふたりのお嬢さんが揃って鮎川ファンであることを思い泛《うか》べた。やはりわたしは若い女性にもてるのである。 「わたしの小説にはベッドシーンは全然でてこないですからね、文部省ゴスイセンみたいなもんです。安心して読ませて下さい。だが、父親たるあなたの作品はそういうわけにはいかんですな。へんな場面が多すぎる」 「なに、平気です。性教育のテキストとして読ませとるです」  すました顔で紀野は答えた。  われわれはゆっくりと歩きだした。呑み屋横丁の地理にうといわれわれが見落すのも当然なほど、その袋小路はせまかった。しかも角のとんかつ屋の立て看板が入口を塞いだ恰好になっているのだから、気づかないのも当り前であった。 「駄目だな、おやじさん」  丁度店先に顔をのぞかせた猪頸の親爺に、紀野はずけずけと文句をいい、すると相手はあわてて笑顔をつくり頭をかいてみせた。紀野がかなりの顔ききであることが想像できた。そしてわたしは、紀野が得意とする小市民物が好評をはくしている秘密の一つを窺い知ったような気がした。 「ここですよ、鮎川さん」  のれんを跳ねて彼がいった。そこは幅が二間に奥行が一間ほどの小さな店で、おかみと眉のふとい少女が酒の番をしていた。客はまだ一人も入ってなく、スツールがわりに並べられた酒樽が、天井の灯りをうけてコンクリートの床にうす黒い影をなげていた。 「あらキイさん、お久し振り」 「やあ。……ラフテを二つ。おれにはいつものようにアシチビテをくれ」  食通らしく彼は注文した。ラフテとは何かと思って献立表《ホーチユ》をみると、これは豚の角煮であり、アシチビテというのは骨つき肉のことであった。ヤキシンが豚の焼肉、シイモンが吸物、クーラーゲースはくらげの酢の物としてある。そのかみの和製英語みたいな名だ。いや、和製英語といっても今の若い人には判らないだろうけれども、ヒネルトジャーが水道、ワルトアンデルが饅頭だというあれである。  ホワイトカラー物の作家はここでも歓迎された。三人は樽に腰をのせ、おかみが酌をしてくれる泡もりを口にふくんで雑談をはじめた。共通の話題といえば結局は推理小説になる。だが、いま最も問題になっている盗作の件については紀野はひとことも触れようとせず、そうした思いやりがわたしには嬉しかった。呑めないわたしも、うっかりしているうちに三杯目の盃をからにしていた。 「鮎川さん、そんな呑み方をしては駄目ですよ。泡もりというのは酔うために呑むんですからね。焼酎だとかウオツカだとか、安物のウイスキーと同じように、ぐいと喉の奥にほうり込んでおいて、この豚の耳をぽいと口に入れる。ここに醍醐味があるんです」  そう説明しておいて、箸でつまんだ耳だか鼻だかわけのわからないものに噛《かじ》りついた。紀野は推理作家きっての食通として知られており、旨い食い物があるというと、はるばると鎌倉の尼寺へまで出掛けるほどである。銀座の有名な料理屋で魚料理をたべていたとき、気取った令嬢が犬をつれて入って来たのを見るや、給仕頭をよびつけて、おれと犬とを同格にあつかうとは何事かと巻き舌で叱言をいい、憤然として席を立って出たという気骨のあるエピソードの持ち主でもあった。肝心の勘定を払って出たのかどうかは聞き洩らしたけれど……。 「酔うために呑む、ですって?」  わたしは幾らか朦朧《もうろう》となった目で紀野をみた。 「ぼくら呑めないものには、酔わない酒があったらどれほど素敵だろうかと思いますね。コップ一杯のビールでふらふらになるようでは、酒の味も判らないしね。それにしても」  時計をみた。早くも後頭部がずきずきしている。 「何時かね?」 「六時二十分だ」 「遅いじゃないか。おばさん、茂森さんはいつも何時に来るの?」 「あら」  と、彼女はわたしと大久保の顔をみた。 「こちらさん、茂森さんをご存知なの?」 「そうじゃない。ちょっと訊きたいことがあって、待っているんだよ」  大久保はまたフェミニスト振りを発揮して、噛んで含めるように事情を説明してきかせた。 「そうなの、それは知らなかったわ。いまの勤め先は私立の高等学校の会計課なんですって。酔ってくると不平がでるのね、お酒が回るとつまらないつまらないと呟いているわ。編集者って商売がよほど面白かったらしいのね」  おかみはそこまで喋ってから大久保の質問を思い出したとみえ、白い割烹着の袖をめくって、手頸の時計をのぞいた。ひと頃南京虫と呼ばれた小型の金時計だった。 「日曜をのぞいて、毎晩いらっしゃるのよ。たいてい六時頃にはみえるんだけど、今夜は少し遅いわね」  そういうと後ろをむき、陶器の樽の栓をぬいて、徳利に水のように透明な液体をそそいだ。衿足のぬけるように美しいこの中年の女は、顔からも言葉つきからも沖縄人らしい様子は少しもみえないが、大きな鉄の鍋で豚の軟骨をいためている少女のほうは、その大きな目や短い頸やずんぐりとした体躯から、一見して沖縄の出身であることが判った。東京にでてから間もないとみえ、おくに言葉が恥かしいのだろうか、終始無言のままで働いている。 「このあいだ、『射殺クラブ』の例会があってね」  紀野はそういいかけて熱い軟骨のかたまりを口に入れ、目を白黒させながら苦労して飲み込んだ。食通ともなると、テーブルマナーにしてからが、かくの如くエレガントなのである。  推理作家のなかには淵屋隆夫やわたしのように一切のグループに属さぬものもいるけれど、まず大多数の連中が類をもとめて会をつくっている。『射殺クラブ』は紀野をはじめとする有力な新人たちが寄り集って結成したグループだが、そのほとんどが売れっ児であるところからメンバーの意気は天をつくものがあり、ジャーナリズムでしばしばこれを話題としていた。 『射殺クラブ』について紀野が話をはじめようとしたとき、背後でのれんをわける気配がした。いままでにも何回か客がのぞき、われわれが勝手なことを喋って笑い合っているのを知ると、諦めたように出ていくのが常だった。せまい店のなかは、腰掛けがあと一脚しかないのである。だがその客は違っていた。躊《ため》らうことなしに入ってくると、わたしの隣りの空いた樽に腰をのせた。 「いらっしゃい。今晩は遅かったのね」 「ああ、新学期が始ったものだから会議があってね。いつものやつをくれ」  しわがれた声の男だった。頬がこけ、飴色の枠の古い型の眼鏡をかけている。うだつの上らぬ、生活に疲れきった感じが身にまつわりついていた。 「そうそう、茂森さん。こちら、あなたがお見えになるのを先程からお待ちになっていらしたのよ」    3  茂森がすぐに打ち解けた態度になったのは、紀野のおもながな顔をグラビアか何かで見覚えていたからであった。彼は紀野の小説が好きでたいていの作品をよんでいる、といった。 「しがない勤め人稼業の哀歓というものがじつによく出てますな。あなたのはホワイトカラーじゃないんだ。洗濯した日は真白だったカラーが三日も四日も着ているうちに灰色に汚れてくる。しかもなお、取り換えることが出来ないんだな。それだけの金があったら女房に鯛焼きを買って帰るとか、おれみたいに『姫ゆり』で呑むとか……。いうなればグレイカラーだ。そのグレイカラーを描いた物にわたしは共感するね」  コップの液体をひと息であおると、早くも酔いがまわったかのように多弁になった。 「ほう、あんたも編集者ですか」  大久保の自己紹介を聞いた彼は、途端に親しげな、それでいて羨ましそうな表情をやせた顔にみせた。 「悪いけど『月刊推理』は読んでおらんですよ。他の雑誌をみる分にはなんでもないんだけど、推理雑誌は表紙をちらっと見ただけで嫌な気持になるんだ。つまり、何ていったらいいかな、自分が敗退者であるようなコンプレックスを感じるわけですよ。おれならもっといい雑誌をつくってみせると気負い込んだり、わたしみたいな齢《とし》の者は二度とあの張りのある職場にはもどれないんだなと思ったり、とにかくいい気持はしない」  鉢にもられた軟骨の肴《さかな》をがつがつした様子で食いながら、度のつよい南国の蒸溜酒をまるで水のように呑んだ。わたしならばとうの昔に七転八倒して苦しんでいる筈だった。 「おばさん、皆に鰻《うなぎ》をご馳走してくれないかな」  紀野はそう注文しておいて、琉球の鰻料理が如何に逸品であるかということを、得意の弁舌で、食通らしい見解をまじえながら滔々《とうとう》とのべた。彼が舌太郎という一風変った筆名をつけたのは、馬鹿ッ話の名人であることと味覚の通であることと、接吻術の大家であることに由来しているというのが専らの噂である。接吻に於ける舌の役割がどんなものであるのか、独身のわたしには見当もつかないが、紀野が座談の上手なことと、喰い気が旺盛であることは知っていた。舌太郎とはけだし当を得た筆名だと思う。 「この店の鰻はきみ、えらぶ鰻といってな、ここだけにしかないんだ。『神田川』や『百川』の鰻も旨いことはうまいが、おかみを前においてお世辞をいうわけじゃないけどもさ、沖縄の鰻は天下一品だよ」 「わたしは遠慮する。どうも呑みすぎたようだ」  盃を伏せておいて、わたしは茂森の赤くなった顔に語りかけた。えらぶ鰻というのはウナギではなく、じつは海蛇であることを知っているからだ。 「あなたが『ゼロ』を編集していらした頃に、石本峯子という新人作家がいたことを覚えていませんか」 「さてね」  彼はわたしのほうを見ようともせず、夢中で油で煮しめた豚の鼻のあたまにかじりついていた。こめかみの筋肉が休むことなくひくひくと動きつづけているのを、わたしは何かいまいましいような思いで睨みつけていた。この男がわたしを目の前にして、理屈っぽくて無味乾燥な鮎川哲也のアリバイ小説なんか、ちっとも面白くないといったことが癇にさわっていたからだ。 「もう十年余りも以前のことだからね、余程才能のあった新人でないと記憶していないですな」 「ちょっとこの本をみて下さい。そうすりゃ思い出す筈です」  大久保が機転をきかせて鞄のなかから問題の雑誌をとりだし、ページを開いた。先日多田慎吾から借りたのは即日返却し、これは神田の古本屋を三日がかりでさがし歩いて、やっとのことで見つけ出したのだそうだ。  茂森はようやく箸をおいた。 「懐しいな」  雑誌を手にすると先ずそうつぶやいてから、すっかり変色して茶色っぽくなったページをしげしげと覗き込んだ。ついで題名と作者名にちらりと視線を投げておいて、他のページをめくっていった。処々に穴があいて裏がすけて見えるような粗末な紙の上に、紙質にふさわしい低俗な挿絵や漫画が、つぎつぎに現われた。 「合本にしたやつを持っていたんですよ。しかし人に貸したら紛失されてしまった」  この元編集者は酔うと涙っぽくなるたちなのだろうか、ぺージをくっていくうちに、酔って赤く充血した目が水っぽくうるんで来たようだった。 「どうですか、石本峯子を思い出さんですか」  促すように大久保がいうのと、皿にのせられた鰻料理がだされるのが同時だった。茂森の返事はまた延ばされた。黒く、ぺらぺらした感じの切り身を箸ではさむと、茂森はそれを妙に幅広の舌にのせて、こたえられぬというふうに音をたてて味わっていた。大久保も仕方なしにひとくち噛ってから、感に耐えぬように喉の奥で呻《うめ》き、こいつは珍味だなどと迎合するようにいって紀野をよろこばせた。海蛇であることを知ったら、卒倒してしまうこと請《う》け合いである。  皿の中身が残り少なになった頃、大久保があらためて同じ質問をくり返すと、茂森はやっとのことで箸をおいた。うすい唇の回りが油でねっとりと光って見える。 「ようやく思い出したですよ。わたしの担当じゃないから余りよくは知らないが、あの頃、二十三か四ぐらいではなかったかな、髪の毛を断髪にしてね、ほら、戦前の風俗画によくあるでしょう。モダンボーイをモボ、モダンガールのことをモガなんて呼んでいた時代ですよ。ふん、モボだのモガだのと、垢ぬけしない流行語だな。当時のプレイボーイどもは、そうした呼び方が至極スマートだと考えていたんだから、噴飯ものだね、全く」  後半は独語になってほとんど聞き取りにくかった。 「美人でしたか」  列の一番端にいる紀野が頸をのばして訊いた。大久保はフェミニストを自称するだけあって、決してこんな質問はしない。というよりも、女と名がつけばどんなオカチメンコでも美人に見えてしまうらしいのである。 「さあ、大分むかしの話ですからね。それに、編集部に顔をだしたのを、後になってあれが石本さんだよと教えられたぐらいだから……。待てよ、ほかにもう二、三度会ったことがあるね。そうだ、美人じゃありません。不美人でも可愛い人がいるもんですね。ぽっちゃりして愛嬌があるとか、笑うとえくぼが出来てなめてやりたくなるとか、いろいろある。例えばここのおかみや、そこにいるお八重ちゃんみたいなんだね」 「あら、褒《ほ》められたのかしら、ね」  と、おかみが愛想よく笑ってみせたが、茂森はにこりともしない。 「石本さんはそうじゃなかったですよ。痩せた、うるおいの全くない人でね、仮りに子供が生れたら託児所に預けて、自分は一日中原稿をかいている、そういったタイプの人でしたな、確か」 「すると、男性の興味を全くひかない人だった、というわけですか」  端のほうから紀野のつまらなそうな声がした。痩身の紀野は肥った女性以外には興味を示さない。いつぞや一緒に銀座のバーを四軒ばかり梯子《はしご》したときに知ったことだが、彼が隣りのボックスに招いた女給は例外なしにみごもったカバの如き重量感にあふれたものばかりだった。 「そんなことはないですよ。蓼《たで》喰う虫もなんとやらというからね」 「そうかも知れねえな。この大久保君なんか、女性でありさえすりゃ何でも尊敬しちまうんだからな」  ずばりといわれた大久保は照れかくしにコップの泡もりをひと息にのみ、たちまち激しくむせて、ハンカチで口をふさぐと咳き込んだ。 「あら、まあ」 「おばさん、済まないけど水を飲ませてやってくれないかな」  紀野は責任を感じたようにやさしくいい、その間に茂森は口を思い切り大きく開けて料理をほおばった。人のおごりだと思うと一層こたえられない、といった顔つきである。 「石本さんのいまの住所をご存知ですか」 「いや」 「その頃のあなたの友人で、石本さんの住所を知っている人はいませんか」 「いや」  わたしに対してこの男は終始冷淡だった。単に虫が好かないとでもいうのか、それとも、盗作者という世評を信じていて、そうした行為をしたわたしを軽蔑しているからだろうか。  大久保が見かねて手を伸べてくれた。 「茂森さん、これは重大な問題に関連しているのですよ。ぜひ思い出して頂きたいのですが、われわれは何とかして石本峯子さんと連絡をとりたいと考えているんです。お願いしますよ」 「そういわれても困るな。先刻もいったように二、三度、それも離れたところで見掛けただけですからね」  困却し切ったように渋面をつくっている。鼻翼から口の左右にかけて深いしわが走っており、軽演劇に登場する因業な親爺とでもいった顔だった。 「石本峯子の同僚で現在一本立ちの作家になっている人がいるでしょう」  いい点に紀野が目をつけた。 「その人に訊けば消息が判るかもしれない」 「それがね、『ゼロ』から出発して成長したものは一人もいないのですよ。編集者として恥かしくも思っているし、淋しくも感じているんですが、事実そうなのです。紙の統制なんかがあって、編集者もどうやって食っていくかという生活問題に追いかけられていたですからね。いや、そいつは逃げ口上だな。本当のことをいうと、新人を育成するだけの情熱がなかったんだなあ。三度ばかり短篇の懸賞募集もやりましてね、筋のいい投稿家も若干いたんですが、それっきりになった」  そう語っているときの茂森は、現在の自分が編集者であるような錯覚を起しているらしく、瞼を伏せていかにも恥かしそうな様子だった。 「それに、雑誌社というものは変に意地の悪いとこがある。わたしの雑誌で生れて育ちかけた推理作家の卵が、わたしの雑誌が潰れたから他の雑誌にのせてもらおうとすると、編集者ってのは狭量なんだな、決して使ってはくれない。その作品がどんなに優れていてもですよ。こうした風習は戦前からあったですがね。結局、彼等は立ち枯れ病にかかったナスかトマトみたいに、見捨てられて消えてしまったのですよ」  そういうことはあるかも知れぬ、とわたしは思った。『新青年』に戦後登場した信濃夢作だとか黒輪土風、『ロック』が潰れたことによって発表舞台を失った故人の北洋などは、雑誌が廃刊になるとそれきり二度と復活していないのである。 「それは酷だな。ぼくだったらそんな詰らんことはしないけどな」  機を見るに敏なる編集長は、巧みにチャンスを掴まえておのれのPRをした。 「石本さんも他の雑誌には登場しなかったわけですか」 「ええ」  わたしに対する返事は、依然として不愛想きわまるものだった。だが、そうした彼の態度に腹を立てている場合ではない。この男とは二度と会う機会もないだろうから、訊けるだけのことを質《ただ》しておかねばならぬ。 「石本さんの作品は幾つぐらいありましたかね?」 「ずいぶん書いたね。どうしたわけか編集長や担当記者のお気に入りだったから、ほとんど毎号に書いていた。他の連中から、おれ達の小説をのせるスペースがなくなると文句をいわれたことがある。創刊号を出して廃刊になるまでまる三年だから、三十本は書いたな」 「短篇ばかりかね?」 「全部が短篇だった」 「短距離選手だったのかな」  大久保が独語したのをとらえて、茂森はすぐに反駁《はんばく》した。酔って気が強くなったせいか、大久保に対しても先輩ぶった口調になっている。 「そうじゃないね。当時は好むと好まざるとにかかわらず、短篇を書くほかはなかったんだ。紙数が少ないからどうしても短いものを要求される。普通が三十枚。優遇されて五十枚というとこだな。最近の新人のなかには古い作家をてんから見くびっているやつがあるが、とんでもない了見だ。三十枚という極くみじかい枚数で書かせてみれば判る。むかしの新人のほうがどれほど優れていたか。特にいま問題になっている石本峯子なんかが現在執筆していれば、ジャーナリズムに大きくクローズアップされてますよ」 「惜しいな」  本当にそう感じたらしく、大久保は真剣な調子でいった。だがわたしは、それほどにも思わない。恐らく石本は毎月の執筆に追われてついに書くものがなくなり、たまたま誰かが置き忘れていくかどうかしたわたしの原稿に目を止めると、これ幸いとばかり、若干の字句を本人風になおして、自分の原稿用紙に写したに違いないのである。その程度の貧弱な才能の持ち主が、大した作家になれるわけがないだろう。 「茂森さん、もう一つ訊きます。石本峯子さんを担当していた編集者はだれでしたか」 「望月……望月泰二だったな」 「居所は?」 「知らん。雑誌がつぶれてから一度も会ってないからね。賀状も交換していない」  わたしは手帳をとりだし、その名をメモした。 「彼女は死んでいるのじゃないかな」  大久保がふと思いついたように、誰にともなくぽつりといった。 「どうして?」 「生きていれば、当然名乗りでるはずだ。これだけ問題になれば目にふれないわけがないもの」 「あたしが盗作しました、といってかい? それとも、鮎川があたしの作品を盗みましたと訴え出るというわけかね?」  彼女が自ら盗作犯人であることを申し出るわけがないのだから、名乗り出るとしたら、それは鮎川が盗作した場合にのみ考えられるのである。この失言によって、大久保が胸中依然としてわたしの潔白に疑惑の念をいだいていることが判り、にわかに酔いのさめる思いがした。わたしを信じているのは結局わたし一人しかいない。そう考えると、無性に寂しくなって、周囲の人物も造作も忽然として消え失せ、わたし一人がゴビの砂漠の真中に坐っているような、いたたまらぬ寂寥感《せきりょうかん》におそわれてきた。わたしは今朝とどいたある中間小説誌に載っていた多田慎吾の、相も変らぬ執拗な鮎川攻撃の文章を思いだして、一層やり切れぬ気持になった。 「鮎川さんが眠そうな目をしている。眠気ざましにもう一杯どうですか」  紀野さんがそうすすめてくれたのを断わって、わたしは立ち上り、おかみに勘定をするようにいった。 「鮎川さん、いいんです。今晩はぼくがご馳走します」 「いや、わたしに払わせて下さい」  大久保もコップを台にのせ、口もとをハンカチで拭きながら、ふらつく足で立ち上った。 「紀野先生、またお近い内にどうぞ」  おかみは紀野と大久保にお愛想をいい、わたしには笑顔をつくって頷いてみせた。呑めない男にまた来いといっても無駄であることを、よく心得ているような笑顔であった。  わたしは釣り銭をポケットに落しながら外に出た。何気なしに茂森のほうをみると、わたしに奢られた形になったこの元編集者はなんとも恰好がつかぬとみえ、頬杖をついて、憮然とした顔つきでしみのついた壁を睨んでいた。    4 「どう? もちは餅屋だよ、ねえ」  茂森が呑みにくる店を発見したことを、大久保はそういって自慢した。だが、つぎの望月泰二探しとなると思ったほどすらすらとはゆかなかった。三日かかり四日かかり一週間かかっても、吉報はもたらされなかった。月刊雑誌の編集者は、雑誌が校了になった数日間は暇ができるけれど、それも一週間前後のことで、またつぎの号の編集にとりかからなくてはならない。編集会議をひらいてプランを出し合う。そして依頼しておいた原稿を集め、割りつけをして挿絵画家に回す。締切りをすぎても書いてくれない流行作家の場合は、当人の書斎へ出張して執筆を督促し、徹夜をつき合って原稿を手に入れなくてはならないのである。そんなわけで大久保の小さな目は充血して、ますますしょぼついてくる。望月泰二捜しに専念することなど、全く不可能となるのだった。  こうなると自分で東京へ出掛けるほかはない。わたしは重たい腰を上げて、三日四日とつづけて出京した。ラッシュの電車で通勤するサラリーマンとは違い、往復とも空いた座席に坐っていくのだからラクチンな筈だが、電車にゆられて通うというそのことだけでも、なまったわたしの体はかなりの疲れを感じた。  さし当ってわたしのとるべき「捜査方針」は、古い推理作家の間をまわって、その作家がむかし『ゼロ』に執筆したことがあるならば、望月の顔を知っているのではないか、その後の情報を知っているのではないか、と訊ねることだった。電話のある人には電話をかける。しかしない作家には、直接出向かなくてはならない。『ゼロ』の編集部も、そうそう新人の舌っ足らずの小説で誌面をうずめているわけにはゆかぬ筈だ。毎号一人か二人の既成作家あるいは中堅作家のちゃんとした短篇をのせなくては、本が売れるはずがない。わたしはそう考えて、いまは一級作家となっている当時の中堅作家を訪問しつづけた。  連日が無駄足におわった。なかの四、五人は、『ゼロ』に若干数の作品を書いたが、望月という記者は知らないと答えた。記憶がぼやけてはっきりした返事は出来ないという者もいる。  四日目に、東京の郊外に住んでいるもと作家を、二戸建ての小さな都営住宅にたずねた。ひと頃活発な活躍ぶりをみせたこの推理作家は、いまは推理小説界からすっかり遠のいてしまっているのだ。スレート葺きの屋根の下の破風は壁がおち、内側の荒土がのぞいて見える。それを一瞥しただけで、真垣辰彦が決して楽な生活をしているのではないことが知れた。庭に植えられたとうもろこし畑の葉末をわたる風が、いやに哀れっぽく聞えたものだ。彼の派手な過去を知っているだけに、その落魄《らくはく》ぶりが痛ましくてならない。  真垣は小さな机に向ってなにか書いていた様子だった。わたしが彼の作品の大半を読んでいることを知ると、途端にそれまでのわだかまりが消えて、まるい、不精髭を生やした顔に笑いをうかべるようになった。 「古い話だなあ。いまはもう、ぼくの出る幕ではないですよ」  それは謙遜しているのではなくて、事実そう思っているようだ。よく見ると机の前に坐っているのは、原稿を書くためではないことが知れた。傍らにノートをおいて何かの筆耕をしている様子なのだ。その横に無造作になげだされた万年筆が古いオノトであることに気づいたとき、わたしは、わずか数年の短い間ではあったけれども、華々しく書きまくった真垣の黄金時代の勇姿を思いうかべた。  彼は本格物の嫌いな、ことある毎に本格物の他愛なさを揶揄してはばからなかった文学派の選手だった。真垣の小説の多くは犯罪者の側に重点をおき、追われる者の恐怖や孤独や悲哀をふかく掘りさげて、サスペンスをもり立てて描くのが特長であった。しかも作中の背景となるのは、彼が勝手に空想した絵空事ではなく、例えば網走刑務所をえがく場合には、真垣自身ここの看守か囚人でもあったかのように、細やかな描写を試みるのがつねだった。当時のわたしは全くのアウトサイダーだったから、推理小説界における本格派と文学派の論争は第三者として眺めていたのだけれど、真垣の憎々し気な無遠慮な発言を不愉快に思うとともに、自信にみちた言葉の内容にいつも感心させられていたことを覚えている。  そうした真垣が失脚したのは、ある中間雑誌の女性記者とのスキャンダルが原因であった。婦人記者の夫は競馬に凝って勤務先をしくじり、落語にでてくる髪結いの亭主のように昼日中《ひるひなか》からウイスキーを呑んで、へべれけになっているといわれていた。この男が妻の不貞を知って責めたのは晩春の日曜日のことだったが、そのときも足腰が立たぬほどに深酒していたのだった。婦人記者にしても夫が角瓶をふり上げたときに、本気で撲るとは夢にも思っていなかっただろうし、夫のほうも、机のかどで叩き割って、むしゃくしゃする気持を発散させるつもりだったのだろう。それが彼が激怒したときにやる毎度の行為なのだったから。ただ、その手許が狂ったことから悲劇が起きた。角瓶に異様な手応えがあり、妻は短い悲鳴を上げて床の上にくずれ折れた。夫は、酔いがさめるまで呆然としてその場に立ちつづけていたことが想像されている。そして二時間ほどたったのち、妻の死を編集長の自宅に電話で告げ、窓から身を投じた。二人は公団住宅の最上階の部屋に住んでいたのだ。  間もなく真相が知れわたった。真垣が書かなくなったのは社会から制裁を受けたためであることは勿論だけれど、同時に、彼のほうからも責任を感じて筆を折ったのだという噂が何処からともなく拡まってきた。いや筆を折ったのではなくて、愛していた女を失った打撃から立ちなおれずに、作家として廃人になったのだという説をなすものもいた。いずれが事実であるのかわたしは知らない。しかし当時のことを想起してみると、雑誌社から顔を背けられたということがいまわたしが陥っている状況によく似ていて、理由は違いながらも、その頃の彼の懊悩のほども察しがつくのであった。 「優しい女性でしたよ。ああしたぐうたらな亭主を持ったのはじつに気の毒だった。原稿を依頼しにやって来るうちに、それが同情になったのですね」  真垣の奥さんはそのことで腹を立てて家を出てしまっている。この十年間を、彼は女っ気なしの鰥夫《やもめ》として暮してきたのだという。そう話されてみると、部屋の掃除もゆきとどいていないし、ズボンの膝のつぎの当て方などいかにも不器用きわまるものだった。  わたしは話を本題へもって行った。 「あの雑誌には三度ばかり書かされました。稿料のおそいことで有名だったが、そのかわり値がいいことでも知られていたもんです」  当時の真垣は神経のとがった蒼白いやせた男だったが、四十の半ばに近いいまはすっかり中年肥りして、短い頸は一層みじかくなり、ずんぐりとした体つきも陽やけのした丸い顔つきも、すべてが初老の百姓親爺といった印象だった。髪はきれいに禿げ上っている。 「望月泰二という記者がいたことをご存知ですか」 「知ってますよ」  至極あっさりと答えた。一縷《いちる》の望みをいだいてやって来たのではあるけれども、まさかこの男から情報を聞けるとは思いもしなかったことである。 「最近彼が、たずねて来たんですよ、ひょっこり。最近といっても、もう三、四ヵ月になるかな。夏のはじめだったと覚えてはいますがね」 「そんなに親しい仲だったのですか」  すると彼は手を振って笑った。 「保険会社の勧誘員をしているんです。わたしが何かこう景気のいい仕事でもしているのじゃあるまいかと思ってやって来たらしいんですが、ご覧のていたらくで、先生しばらく呆れて口がきけないようだった。茶を一杯のんで帰りましたな」  とすると、当然その保険会社の名をのべるなり名刺をおいて行ったなりした筈である。 「勤務先と自宅を記入した名刺をくれました。会社は麹町の三番町にある協同生命です。メモをとるなら見せて上げましょう」  机の引き出しからとりだした名刺を見ると、住所は新宿区|番衆町《ばんしゆうちよう》となっている。それを手帳に写したのち、わたしは長居をわびて靴をはいた。 「それにしても、文学派の連中がほとんど沈黙しているのは解《げ》せないことですな。本格派が衰退の兆《きざ》しをみせているいまこそ、彼等が理想とする旗印をかかげて、大いに活躍するときだと思っているのですが……」  背中で声がした。本格嫌いの真垣の考え方はむかしと少しも変っていないようだった。  中央線の電車にのってから、鞄からとり出した都内地図でしらべてみた。わたしは四谷方面の地理にはほとんど通じていないのである。  番衆町は、伊勢丹の裏の、青線区域として一部の人種の間で知られている花園神社の近くにあった。あたり一帯がけばけばしい装いの連れ込みホテルばかりで、そこを通りぬけるとようやく住居地帯になる。なかには高い塀をめぐらしたかなり立派な邸宅もあり、このあたりに住んでいる人は子弟の教育をどうするのだろうかと、余計なことまで心配になった。まだ午後の三時をすぎたばかりだから、それらしい二人連れは見掛けない。  旭荘というアパートは、連れ込みホテルを見なれた目には、いとも貧弱な建物として映った。戦争の直後にたてたものらしく、全体の感じがちゃちで、外壁や窓から受ける印象がくたびれきっていた。玄関のポーチの処にコリント式の柱を模したコンクリート棒が立っているが、それが建物と少しもマッチせずに、木に竹をついだように見えるのが滑稽である。わたしの脚は自然に速くなり、階段をとぶように跳ねて上った。  ひょっとすると、石本峯子の盗作原稿について望月がなにか知っているかもしれない。甚だ虫のいい考えだけれど、そうだとすると、苦労して石本を探さなくとも、望月がわたしの有利な証人となってくれる筈である。本当のところ、わたしはもう足を棒にして尋ねて回ることに疲れぬいていた。これ以上石本峯子を求めて歩くなんざ、思うだけでも気が滅入ってくるのだ。  型の如き場所に管理人室があり、型の如く初老の親爺が坐り、どこかに電話をかけていた。わたしは通話がすむのを待ってから、望月泰二の部屋は何号室かとたずねた。一瞬、管理人の頬骨のとび出した顔に、うさん臭さそうな表情がうかび、彼はとげとげした目つきになってわたしを見た。 「何ですか、あんたは」 「友人です、学生時代の」  わたしは嘘があまり上手でない。嘘をつくとすぐに顔つきや言葉の抑揚がぎこちなくなる。だが老人は簡単にそれを信じたようだ。信じたか否かは別として、それ以上の追及をすることは諦めたようであった。 「あんた知らないのかね?」 「え?」 「望月さんのことは一週間ばかり前の新聞に載っていたんだがね」  載っていたとすると見落したに違いない。 「小さな記事だから見逃したのも無理はないがね、あの人は死にましたよ」 「何だって?」 「東京湾の竹芝桟橋の先に浮んでいたのを、大島行の船が発見した。一応酔っぱらって落ちて溺れ死んだことになっているがね、刑事さん達はそう思ってはいないようだよ。誰かに突き落されたとにらんでいるらしいんだ」  老人はそう囁いたのち、窓の内側に坐ったまま、そっと辺りを見回した。よく動く狡猾そうな眸だった。  ポケットに買ったばかりのピースがあるのを幸い、それを窓口において喫《の》むようにすすめた。そのむかし、わたしも一人でアパート住いをした経験があるから、管理人の扱いにも、一応なれているつもりだった。 「そうかね、いま切らしていたんだ。誰かに頼んで買ってきてもらおうと思っていたところなんだよ」  言いわけをしながら、いそいそと筋ばった手をのばしてきた。背後のテーブルの上にあたらしいいこいの袋がのっている。 「欲しけりゃみんな上げますよ」 「わるいね」 「ところで小父さん、その望月君のことをもう少しくわしく話してくれないかな。学校時代の友達にも知らせてやらなくてはならないし……」 「そうかね。でも葬式のときには学生時代の仲間というのが五人ばかり来てたがね」 「いや、それはね、つまり中学時代の友人じゃないのかな。ぼくがいうのは小学校の話なんだ」  前にも書いたようにわたしは嘘が下手だ。この程度のほらを吹いただけで、早くも掌がじっとりとしてくる。管理人はしかし、火のつかないライターに点火しようとして、そちらのほうに気をとられているようだった。  わたしはマッチの火をさし出した。 「ありがとう。で、何をききたいのかね」 「何をって、全てをですよ。泰ちゃんの、つまり望月君のですね、勤め先だとか家族のことだとか、友人にはどんな人達がいたとか、いろんなことですよ。担任の先生にも知らせなくちゃいけない。だから少しくわしい事情を心得ておかないとね。なにしろ一番の親友といえばこのぼくなんだから」 「そうかね」  わたしの嘘を、彼は本気にした様子だった。小窓の内側に肘をつき、少し上体をのりだしてきた。タバコをつまんでいるので、節くれだった短い指がいやでも目につく。指もその先についている押しつぶされたようなぶ厚い爪も、この欲のふかそうな初老の男にふさわしい恰好をしていた。 「何から話せばいいのかね?」 「そうだな。まず、泰ちゃんの家族のことからでも始めてもらおうか」  わたしとしても、刑事や新聞記者みたいなインタビューをするのは、これが初めての経験である。何事でもそうだが、訊問のやり方にもやはりコツがあるに違いない。前もって浅野洋に電話をかけて、訊き方の奥義を教わっておけばよかったと思った。浅野は新聞記者の出身だから、そうしたことの要領をよく知っているに違いないのである。 「奥さんは勝気でよくいざこざを起したもんだ、隣り近所の人とね。だけど二ヵ月ほど前に離婚されて出ていってしまった。そうなると女ってものは妙だね、いままで角をつき合わせていた奥さん連中までが、やれ気の毒だの可哀想だのといって、しきりに追い出された細君のほうに同情したもんだ」  この一件によって亭主の評判がすとんと地におちたのだそうだ。 「若いんですか、その奥さん」 「若かあないね。かなりくたびれた顔をしていたよ。それに、いまもいったように気が強いもんだから、旦那ともしょっちゅう喧嘩をする。それに子供は産めないときている。男の側からみれば、追ンだされても仕方がないやね」  わたしは夫婦の年齢をきいた。亭主の泰二は死んだときが三十五歳で、追い出された女房のほうは一昨年が三十三歳だったそうだ。 「勘定してみると、夫婦はおない歳だったわけだな」 「勘定しなくてもそうだ」  管理人は妙なところで肩を張った。 「行先と名前は?」 「待ってくれよ」  立ち上って柱にぶらさげてある大福帳のようなものを手にとると、指をなめてページをくった。この管理人は、アパートの居住者が移転してゆく際に、ありあわせの紙きれをだして転居先の所番地を書かせることにしているらしい。渋茶色の各ページに一面に、そのあたらしい住所を記入させた紙片が、貼りつけられている。紙片の色も大きさも思い思いである上に、貼りつけ方も、それがこの男の性格のあらわれでもあるのだろうか、乱雑そのものであった。  管理人は終りにちかいページを開いて、すぐに求めるものを発見した。 「転居先は杉並区大宮前七丁目一九六四番地だね」 「そこが実家というわけかい」 「いや、そうじゃない。実家は北海道だよ。だが故郷《くに》へ帰るのはいやだといって、アパートを借りたんだ。宝莱荘って名だがね」  そのアパートも、ここと同様に貧弱なしろものだろうと思った。わたしには、望月泰二が勧誘員として優秀な男であるとは考えられなかった。郊外に住むまずしいもと作家をたずねて、一杯の茶をふるまわれて落胆して帰っていったということから、そうした印象を受けていたのである。  そのしょぼくれた望月泰二が離別した妻に財産をわけたところで、それは微々たる額であったに違いなく、細君は手内職かなにかをして、辛うじて口を糊《のり》していることが想像された。 「名前は?」 「小西もと子。まだ籍が入っていなかったんだな。だから内妻ってわけだ」  それ等の一切をメモし終ってから、質問を望月本人のほうに移していった。  旨いことに、主婦が買い物にでかける時刻までにはまだ一時間ほどの間もある。建物の内部はほとんど人影もなく、どこかの部屋からラジオの流行歌のメロディーが微かに聞えてくるだけだった。わたしと管理人の問答をさまたげるものは、何もないのである。 「泰ちゃんは」  と、わたしは望月と友人であることを強調しようとして、泰ちゃんを連発した。  女という生物は自分が創作した嘘をいくたびか繰り返しているうちに、しまいには、それを本当だと思い込んでしまう傾向が多分にあるのだそうだが、わたしも何回か泰ちゃん、泰ちゃんとやっているうちに、望月が小学校時代の同窓生であったような気がしてきた。掌が汗ばむという反応もいつの間にか消えていた。 「泰ちゃんはずっと独身だったわけですか」 「独身は独身だったがね。でも、あっちのほうはちっとも不自由しなかったようだな」 「なるほど、外食していたわけか」  あのほうというのは三度の食事の支度のことかと思ってそう頷くと、管理人は頬骨のつき出た顔に露骨な軽蔑のいろをうかべ、節くれだった小指をつき出してみせた。 「食い物のことじゃない、女のことだよ」 「すると、愛人がいた——」 「それも一人や二人じゃないね。大体あの人は化粧のこい、ぽてぽてした女が好きなんだが、その肥った毒々しい女を毎晩のように取っかえ引っかえ連れ込んで、よろしくやってたもんだ。女達はいつも酔っていたから、この辺りのバーかキャバレーの女だろうと見当をつけていたけどもね。だから刑事さん達も、その方面にさぐりを入れているって話だよ」  複数の愛人がいたならば、恋の鞘当てが昂じて殺人に至る経過も、想像できぬことではない。そうだとすると、わたしは彼の死に対して何の関心も抱《いだ》く必要はないわけだ。だが、わたしの盗作問題が発生したことと時期をあわせて起ったこの殺人を、そのように安直に考えてもよいのだろうか。望月は、石本峯子の盗作の秘密をにぎる証人である。その望月が殺されたのだ、これは盗作の事実が明るみにでることを防ぐために、石本峯子が窮余の策として望月を海中につきおとし、その口を閉ざしたのではないか。  最初わたしはそう考え、望月の死の謎をとことんまで追及したい意欲にかられた。つまるところ、それがわたしの盗作問題を解決することにもなるからである。しかし、次第に気が落着いてくるにつれて、わたしのこの見方が必ずしもただしいとは考えられなくなってきた。石本峯子に望月殺しの動機があるとは思われないからだ。なぜなら石本は、わたしと違って作家でも何でもない。おそらくは家庭の主婦という地位についていて、ときたま何かの拍子に、むかし書いた青臭い推理短篇や『ゼロ』のことを思い出す程度なのではないだろうか。その彼女にとって十年前の過ちがあばかれたところで、作家としての名声に疵《きず》がつくわけでもなし、家庭の主婦の地位にひびが入るわけでもないのだから、とりたてて痛痒《つうよう》を感じることもない筈だ。望月がどんなことを証言しようと、それが現在の平和な結婚生活にどれ程の影響をおよぼすものでもない。だから、望月を殺すなどという大それた真似をやるわけがないのである。  二つの考えを秤《はかり》にかけてみるまでもなく、後者のほうが当を得ているような気がした。一時は興奮に駆られて意気込んではみたものの、望月の死が、仮りに当局が勘ぐっているように殺人であったとしても、動機と犯人とを、望月をめぐる幾人かの女性群のなかに求めようとする彼等のやり方が正しいように思えた。わたしの関心はそれが発生したときと同様に、急速に冷却し消滅していった。 「とにかく、よくつづくもんだと感心したねえ。いや、精力もだけど、銭のほうがだよ」  二本目のピースに苦労して火をつけると、唐突に管理人は語りだした。わたしがその問題に興味を失ったことが、彼に判るわけもないのだ。 「余程いい給料をとっていたとみえるね」 「それがねえ、以前はそれほどでもなかったんだが、夏頃から急に派手になったようだ。あたしにも手土産なんか持ってきたりしてね」  勧誘員は歩合制だから、成績が上れば収入がふえるのは当然である。その点、もと編集者のこの男に大した才能がありそうでないと思っていたわたしの考えは、少し違っていたことになる。われわれの仲間にも、例えば金沢文一郎のようにわずかの期間に力量を発揮して、あれよあれよといっている間に流行児になるものがいる。望月もまた、短時日のうちに勧誘の技術を身につけたことが想像されるのだった。さもなければ、有力な紹介者を掴んで、そちらの方面から働きかけていったことも考えられる。  しかしいまとなっては、そうしたことはどうでもよかった。わたしは管理人にさよならをいうきっかけを待っていたに過ぎない。 「この辺にゃ妙な女がいくらでもいるから、女漁りをする分にはこと欠かなかったろうけどもさ、やはり然るべき手順をふんで、ちゃんとした奥さんを貰うんでなけりゃいけないね。人間、信用ってものが大切だからな。望月さんのただれた生活を見るにつけて、あたしはそう考えたものだよ」 「それは小父さんのいうとおりだ。わたしだって女房を貰ったときには、ちゃんとした形式をふんだものですよ。結婚するまでは手を握ることさえしなかった」  わたしはそういって手帳をポケットに戻した。もう、望月が誰に殺されようが知ったことではない。ただ、盗作を立証する機会が一旦はわたしに微笑をみせておきながら、あっさりと肩すかしを喰わせて、羽音もたかく飛び去っていったことが残念でならなかった。  通りに立ったとき、初秋の陽ざしがひどく眩しく目にしみた。    5  その翌日の午後、わたしは、三十なかばと思われるがっしりとした体つきの男の訪問をうけた。灰色の半袖シャツに白い麻のズボンをはき、色のあせたパナマを被って、手に扇子をもっている。望月の連想がはたらいたせいか、一瞬わたしは保険の勧誘員かと思った。すでに生命保険にも入っているし、その他に二種類の保険にも加入しているので、これ以上は到底入ることはできない。 「鮎川哲也さんですな」  わたしが口を開く前に、先を越して男がいった。おや、と思った。保険会社の人ならばもっと丁重な口をきく筈だ。勧誘員でないとすると、では、出版社の人なのだろうか。いや、そうでもなさそうだ。これが雑誌記者かなにかなら、鮎川さんですかと念を押しておいてから、自分はどこそこの出版社の者だと名乗るのが普通である。ところがこの男は、前もってわたしの顔の写真をなにかでみて確かめて来たような、ひどく自信あり気な言い方をした。 「警視庁のものです。ちょっとお訊きしたいことがあるんですが……」  わたしはびっくりした。東京の警察の者が、こんな辺鄙なところに来るにはよほどわけがあるにちがいない、と思ったからだ。 「まあ、どうぞ」  応接間に通した。イスに腰深かに坐った彼は、おもむろにタバコに火をつけながら、あたりを執拗に見廻している。その眼が、ステレオの上にかかげてある色紙と油絵にとまった。 「宙を歩く白衣婦人や冬の月……。なかなかいい句ですな」  この事件以来、何事も手につかなくていらいらしているというのに、その刑事は、人のことなどおかまいなしといった調子でそんなことをいった。  わたしは、少しばかり腹立たしく思ったが、それは顔には出さず、熱い茶をすすめた。 「いやあ、なかなか枯れた字ですな。ほう、乱歩としてある。江戸川さんがお書きになった色紙ですか」 「わたしを訪ねてきた若い編集者で、あれを乳歩と読んだものがいました。牛乳の乳です」 「なるほど、読書力が落ちたというのは本当ですな」  刑事は、お茶をゆっくりと飲み出した。おそらく熱い茶を飲みおわるまでは、世間話をして、時間を稼ごうとするのだろう。これが記者や作家ならば色紙の自慢をやるところだが、刑事にそんなことを語っても解ってはくれまい。わたしは敢えて黙っていた。それにしても、この男は何の用ではるばる鎌倉までやって来たのだろうか。名刺には警視庁の捜査一課刑事、大橋九郎としるされているのである。 「この絵は西洋のお城じゃないですか」 「そうです。わたしの本のカバーになった絵の原画です」  それは中央公論社から書きおろしの≪砂の城≫が出るとき、装幀はわたしが希望する画家にたのんでほしい、使用ずみの原画は譲って貰いたいというわたしの我儘を、担当者のS氏と出版社側が快く聞いてくれて、壁を飾ることが出来たのであった。しかしそうしたいきさつを、この刑事に話したところでどうなるものでもない。わたしは彼が茶を飲んでしまうまで、黙ってピースをふかしつづけた。 「で、ご用件は?」  大橋刑事は顔をそのままにしておいて、小さな目だけをすばやく動かして人をみる癖があった。それは彼本来のやり方かも知れないが、或いはまた、例えば容疑者を尾行してそれとなく監視するような場合に用いる職業上のテクニックが、いつか身についてしまったのかも知れなかった。いずれにしても、そんな目で見られるわたしの心が愉快でないことは事実だ。 「新宿の番衆町の旭荘に住んでいた望月泰二という男が、竹芝桟橋の沖で屍体となって発見された事件はご存知の筈ですな?」  ご存知の筈だというところをみると、昨日の管理人の親爺がすっかり喋ってしまったに違いない。それにしても、あの管理人はわたしが誰であるか知るわけがないのに、望月の死について根ほり葉ほり訊いていったその訪問者の正体が鮎川哲也であることを忽ちのうちに調べ上げてしまった腕は、さすがに警察だけのことはあるわいと感心した。いや感服したというよりも、度胆をぬかれたといったほうが当っている。 「知ってますよ」 「いま鮎川さんは盗作という不名誉な疑いをかけられて窮地に立たされておいでになる」 「まあ、いってみればね」 「鮎川さん、そう曖昧な言い方はしなくてもいいです。盗作者というレッテルを貼られてしまうと、あなたは完全にこの世界から失脚しますな。以前にもフォークナーの作品を模倣した小説を書いてついに消えていった女流作家がいたと記憶しますが、鮎川さんの立場もそれに似ています。世間から葬り去られるか否かという重大な岐路に、あなたは立っておられる」  わたしは刑事の口からフォークナーの名が出てきたことに驚いて、相槌をうち忘れていた。いままでのどの推理小説をみても、刑事というのは言い合せたように風采の上らぬ恰好をして登場してくる。そしてこれも約束事ででもあるかのようにそばをすすり、ラーメンの汁を最後の一滴まで呑んだりする。それも、いやしそうな音を盛大にたてて。どうも、われわれは刑事という脇役を概念的に考えすぎていた嫌いがあるようだ。数多い刑事のなかにはフォークナーを口にするものもいるだろうし、一日の仕事をおえて家に帰るとバッハを聞く刑事もいるに相違ない。 「……さん」  われに返った。 「よく聞いていて下さらなくては困りますな。望月泰二が死んだ夜の、われわれにいわせれば殺された夜なのですが、あなたのアリバイを聞かせて下さい」  わたしは、うっかりしていて大橋刑事の話を聞き洩してしまったから、何故《なにゆえ》にわたしが疑われなくてはならないのか、もう一度説明してくれないだろうかといった。明らかに目の小さな刑事はうんざりした様子だった。何か文句をいおうとしたのだろうか、ちょっと息を吸い込んだが、すぐに思い直したように、わたしが疑惑の対象である理由を話してきかせた。 「あなたが盗作したか否かという証人は、作品を盗まれた当の石本峯子さんをのぞけば、望月泰二ではないですか。さし当って望月泰二の口をふさいで永久の沈黙を守らせようとするのは、誰だって考えつくことでしょうよ」 「しかし刑事さん、わたしは二つの理由からあなたの見方を反駁できると思いますね」 「ふむ、聞きましょう」  小さな目が疑がわしそうにちらと動いた。わたしは茶で唇をしめした。 「一つは、わたしが望月の住所を知ったのはつい昨日であったことです。もと作家の真垣辰彦という人から教えてもらったんですけどね。一方、望月が死んだのは一週間も前だという話ではないですか」 「…………」 「もう一つは説明しても信じては貰えまいと思うけれど、わたしが盗作したのではなくて、盗んだのは石本峯子のほうだということです。真相を知っている望月を殺したのが石本であることはあり得ても、盗難にあった被害者のわたしが利害関係のない望月を殺すわけはありませんよ。そうじゃないですか」  そういいながらも、わたしは自分の論旨の弱点によく気づいていたから、主張することに迫力がともなわなかった。刑事は正面の壁の版画に顔をむけたまま、視線をわたしに投げた。 「鮎川さん、そんなことおっしゃっても信じろというほうが無理ですよ。一歩ゆずって、真垣なにがし氏から住所を教わったのが事実だとしても、それ以前に知っていなかったという証明にはならない。知っているくせに、知らないふりをよそおって、真垣氏に訊ねたということも考えられるでしょう」 「ですけどね——」 「それに二番目に挙げた理由にしてもです、石本さんの小説は十年もむかし雑誌に載っているんですよ。常識から考えても、あなたが盗作したとみなすのが自然ではないですか。これはわたし一人がいうのじゃない、サツ廻りの記者諸君も異口同音にいってることです。十年余りむかしカストリ雑誌に載った短篇だから、失敬したところで誰も気づくものはあるまい。そう考えてあなたが盗作したに違いない、とですね」  予想したとおり、彼はわたしの痛いところを突いてきた。こうなるとも早や反論の仕様もないのである。刑事の休みなく動いている扇子に目をあずけたまま、わたしはもの憂くいった。 「望月が殺されたのはいつですか」 「二十四日の夜ですな。夕方アパートに謎の人物から電話がかかって出ていったきり、二度と生きては戻らなかったというわけです。後頭部をなぐられて突き落されたらしいのですが、ポケットの財布には手がつけられていません。だから強殺の線は最初から問題ないのですがね」 「なるほど。するとつまり、その電話の主がわたしであるといいたいのですな?」  詰問するのではなく、他人事のようにのんびりした声だった。こうやって話しているうちに連日東京へ出かけた疲労があらわれてきたとみえ、口をきくのも大儀になった。疑ぐるなり何なり、好きなようにしやがれといった自棄的な気持におちいっていた。 「いえ、まだそこまでは考えていません。だからアリバイをお訊ねしているわけですよ」 「二十四日……?」 「火曜日です。というよりも秋分の日だといったほうがはっきりするでしょう。祭日です」  祭日だと助言することによって、わたしの記憶にひっかかりを与えようとしているのだったが、サラリーマンとは違って、作家は一年中が祭日であり日曜であった。祭日だといわれてみても、それが二十四日のことを思い出すきっかけとはなり得ない。 「待って下さい。日記をみてきます」  わたしは急ぎ足で廊下を歩き、奥の仕事部屋に入った。散歩することも冷水摩擦をすることも、つねに三日坊主に終ってしまうほど克己心にとぼしいわたしだが、珍しい例外として日記だけは十五年ちかくつけ続けている。日記といっても、わたしのそれは単なる日常生活の記録にしかすぎず、端的にいってみれば、出信と来信と電話と来客と、それに仕事の進捗《しんちよく》状況が内容のすべてであった。大文豪なり大政治家であるならばともかく、わたしは日記の効用をそれ以上には認めない。そして一種のメモとして割り切ったところに、永つづきする理由があるようだった。  ページを開いた。晴天、来信が一通。彼岸なので家庭でいなりずしとのり巻きをつくり、それで朝食を兼ねた食事を正午にすませている。食後、テープでリストの歌曲を聴き、のち仕事にかかるが、盗作問題で気が散って、一字も書けない。夕食後入浴。高木新平が出るというのでテレビ≪お笑い三人組≫を途中までみるが、冒頭のテロップを見落したため、どれが新平だか判らない。興がわかぬため途中でスイッチを切ると、いつもより早く、十二時就床したものの、近所のアトリエに遊びに来た画学生が床をふみ鳴らし、放歌乱舞するので眠られず……とある。彼等は、それが芸術家気質というのかも知れないが、深夜の三時にトランペットを吹き鳴らすという非常識なことをやるのだった。それはそれとして、問題の夜間の記事が簡単すぎるためはっきりした記憶が甦ってこないけれど、≪お笑い三人組≫を見たところから判断すれば、わが家にいたのは確かなことになるのだ。  日記をたずさえて客間にもどると、二十四日の項のすべてを読んで聞かせた。大橋刑事は油断のない目つきをして、読み終るまでわたしの顔を見つめていた。そして、自分の目で読みたいと思うから、差支えなかったら見せてくれないか、といった。 「鮎川さんはいつもこの番組をみるのですか」 「いいえ。なぜ——」 「いや、別に。ただですね、どうも鮎川さんのイメージと結びつかないような気がしてね」  刑事が考えていることはよく判った。わたしが他愛のないお笑い番組をみていることが不自然であり、工作めいた感じがするといいたいに違いない。だがわたしは高木新平をみたかったのだ。  高木新平という時代劇俳優は初期のマキノ・プロダクションを代表する役者で、少年の頃のわたしのアイドルだった。鳥人といわれるほどに身がかるく、だから時代劇の怪盗の役をよく与えられて、高い崖からとび降りたり大きな松の木をよじ登ったり、観客をはらはらさせて人気を呼んだ。新平はさらに、新感覚映画ともいうべき≪ロビン・フッド≫という現代劇にも出演して、高速度撮影を用いた場面で持ち前の鳥人ぶりを遺憾なく発揮してみせたこともあった。映画館の小編成のアンサンブルがその映画の伴奏をした曲が、ルボミルスキイというロシヤの作曲家の≪オリエンタルダンス≫であることを知ったのは、中学生になってからのことであった。  その高木新平が久しぶりでテレビに出るというのだ、わたしがお笑い番組をみても可笑《おかし》くはないではないか。 「なるほどね、ずいぶんお爺さんになったでしょうな」 「それが、日記にも書いたとおりどれが新平だか判らないのですよ」  わたしがうす汚い中年男となったように、高木新平も老いたことは当然だ。往年の若衆姿がよく似合った新平の面影を出演者のだれからも見出すことが出来なくて、失望したわたしは、中途でブラウン管の前を立ってしまったのである。 「判りましたよ。だがそれだけでは納得できませんな。テレビ見物を止めたのち何をしました?」 「覚えていません」 「途中までテレビを見ていたとおっしゃるが、それを誰かが証明してくれますか」  こうした質問を、わたしは自分の小説のなかでしばしば刑事にやらせている。推理作家のなかで、わたしほどこのセリフを頻繁にくり返しているものもいない筈であった。その使い慣れた問いかけを本物の刑事からなされてみると、小説中の人物のように、何時何分には何処にいたなどと都合のいい返答は出てこないのだ。そうかといって、家人の証言に何の信憑性もおかれぬことは判っている。 「……ありませんね、証明してくれる人は」 「そうですか、それは残念です。しかし、これがただちに犯罪とあなたが結びつくわけではないのですからそう心配しないで下さい。尤も……」  彼はいそがしく目を動かした。 「旅行なさるときは前もって知らせてほしいですな。黙って出掛けないということを約束して頂きたいのです」  そう念を押したのち、帰っていった。  刑事が辞去してから一時間ちかい間を、客間に坐りつづけて考えていた。動機が存在し、しかもアリバイのないわたしに対する疑惑が刑事の胸中に大きなウェイトを占めていることは明白であった。彼の気休めにもかかわらず、今後のわたしにさまざまの不愉快な出来事が待ち構えていることは、充分に予想がつくのである。    6  大久保から、『ゼロ』の編集者だったもう一人の男を発見したという電話がかかってきたのは、おなじ日の四時前のことであった。 「そうか、有難い。いまから行こう」 「いや、そいつはまずいな。ぼくはこれから原稿の督促にいかなくてはならないんだ。いずれ徹夜をつき合わされることだろうと覚悟している。すまないけど一人でいってくれない?」  早いほうがいいに決っているけれども、だからといって一日を争うこともない。わたしは明日大久保と二人でいくことにして、落ち合う場所と時刻を相談した。 「ところで今日、東京から刑事が来たぜ」 「うむ、それについてはぼくのほうにも情報が入っている。鮎川さんの立場はかなり不利だという話だぜ」  大久保のへらへら声がにわかに緊張したことからも、事態の容易ならざることが判る。 「だからあなたは一日も早く石本峯子の所在をつきとめて、詫び証文を書かせなくてはならないわけだ。盗作したのがあなたでないことが明らかにされれば、あなたには望月を殺す必要性はなくなるのだからね。それ以外に身の潔白を証明する方法はない」  大久保はちょっと言葉を切り、考え込む様子だった。 「……鮎川さん、ぼくの取り越し苦労かもしれないけど、事態は容易ならぬものがあるようだ。明日だなんて呑気なことはいわずに、調査をてきぱきと進めるべきじゃないだろうか」 「うむ」  わたしが大久保に感心するのはただ一つ、それはどんな逆境に立たされても、決して微笑を忘れぬ芯のつよさだけである。その、ドン・キホーテが砂糖をなめたような楽天家の彼から、取り越し苦労などという思いもかけぬ言葉を聞かされると、ショックだった。それほどわたしは黒い霧でおおわれているのか。 「ぼくが同行できないのは残念だけど、やはり鮎川さん一人でも早いとこ訪ねていったほうがいいね」 「よし、行こう。行くよ。行くとも!」 「それじゃ待っているから社に来てくれない? 略図なんか書いて上げるからさ」 「そうか、有難う。すぐ支度をする」  わたしは気負った声で答えた。  品川で電車をすてて、車をとばして西久保巴町の推理社をたずねた。うす汚れた壁にはさまれた狭い階段が、三階にむかって曲折している。三階の廊下に立つと、まぎれもない大久保の声で「甘い? 甘いだろう。甘かったら甘いといいなよ」といっているのが聞えた。何事だろうと思いながら入っていくと、西陽のさす編集室のなかで、大久保は、やせた姿恰好のいい婦人記者の口に、大福をむりやり押し込んでいるところだった。赤のブラウスの胸に大福の白い粉がとび散って、ちょっとした模様にみえる。 「あら」  そう叫びたいところだろうが、声がでない。頬をそめ、口のなかの大福を喉にとおそうとして苦労していた。 「こんなに早く来るとは思わなかったな」  手を叩いて粉をおとしながら、大久保はイスをすすめた。机の下にはからになった中華そばの丼が二つ並べておいてある。ホームズ流の推理をするならば、半分ちかくつゆが残されているのは女性記者のたべたほうであり、一滴も残さずに吸いつくしているのが大久保の丼に相違なかった。 「他の人たちは?」 「みんな出張校正だ」 「二人きりのときはいつもこんな真似をしているのか」  わたしはこわい顔で訊いた。編集長がこれでは、若い編集員に対してしめしがつかないではないか。 「そんなことないよ。今日のはほんの出来心なんだ。だからさ、女房には黙っていてくれよ、な、頼むから」 「うむ」 「鮎川さんだって二人きりになったら、もっとすごいことやると思うけどな」 「ふむ」  図星であった。実をいうとわたしも、この美人の記者にはいささか参っている。大久保をたしなめたのも、嫉妬にかられてのことでなかったとはいい切れなかった。  推理社には、彼女のほかにも二人の記者がいていずれも美人ぞろいである。妙齢の記者を原稿依頼にやると、稿料にこだわる作家も相手の魅力に迷わされてぐにゃぐにゃとなり、つい執筆を承諾してしまう。それが狙いなのだという噂であった。 「ただし『塵の会』は駄目だよ。あそこには専らぼくが行くことになってるからね、へっへっへ」 『塵の会』は女流ばかりで形成されたグループで、その名称は大久保の説明によると、「どうせ女なんてゴミか塵みたいなもんなのよ」といったところから出たのだそうだ。 「そんなにひねくれなくてもよさそうなものだけどさ、どうも女ってやつは僻《ひが》みっぽくていけないな」 「いや、そうしたこともあるまいよ。今度のことでぼくを激励してくれたのは、殆どが女性作家だったぜ、心やさしき彼女等に大いに感謝したいと思っているね」 「あれ、鮎川さんらしからざることをいうじゃないか。いつからフェミニストに転向したのかね、へっへっへ」  濡れ場をみられたことで胸中冷静を欠いたためであろうか、大久保はしきりに妙な笑い方をして、ことごとに絡むようであった。わたしはそれには構わずに、話を『ゼロ』の編集部員だった男のほうに持っていった。 「そうだな、まず地図を書こうか」  彼が机上のメモをたぐり寄せたとき、入口にひとの立つ気配がした。大久保のとびでたおでこがレーダーのアンテナのようにくるりと後ろを向いた。 「やあ、金沢さん、ちょうどいいところです。こちら鮎川さんですよ」  金沢といえば虚無派の金沢文一郎に違いない。わたしは反射的にイスから立って、この著名の新人作家と初対面の挨拶をかわす態勢をとっていた。 「初めまして。先日はどうも……」  言葉つきは慇懃に、態度には幾分の警戒をみせて挨拶をした。  以前にもわたしは、あるホテルの豪奢な地階のバーで、大久保から流行作家のMを紹介されたことがある。その作家がまだ有名になる前のこと、彼の作品に興味をもっていたわたしとの間で、「一度会いたい」「来年は暇になる予定だからその頃に」といった問答がある週刊誌の記者をつうじて交わされていたものの、益々多忙となった彼と出不精のわたしとは、ついに顔を合わせる機会がなかった。わたしは呑めない酒をもて余していたところだったから救われた思いにもなり、最上級のとっておきの微笑をうかべて外交辞令をのべようと口を開きかけると、先方は無言のままちょっと頭をさげたきり、とっとと小走りに離れていってしまった。まるでそれは鮎川の名なんぞ聞いたこともなく、大久保に引き合わされたから仕方なしに首をさげたといわんばかりの、愛想もこそもないやり方で、わたしは用意した笑顔の持ってゆき場に困ってつっ立っていたものである。彼のそうした態度が売れっ児という自意識からきたものか、本格派という正反対の立ち場にいる作家に対する反感からでたものか判らぬままに、いまでも相手が流行作家だと聞かされると、二度とああした気まずいみじめな思いをさせられるのは敵わないという怖じ気がついて、おのずから用心深くなってしまうのだ。いまの場合も例外ではない。手紙で励ましてくれたとはいえ、それは金沢の気まぐれな行為にすぎなくて、彼自身すでにそんなことは忘却しているのではないだろうか。  だが、それは杞憂にすぎぬことはすぐに判った。金沢は唇をわって皓《しろ》い歯をみせると、流行作家としてのポーズもてらいも見せずに、率直な態度でわたしの手をかたく握った。 「いやいや、この度は酷い目にあわれましたな。ですがわたしは、お手紙で述べたように、鮎川さんを信じておるですよ。当分の間は不愉快な思いをしなくてはならんでしょうが、これも人生経験の一つだと割り切って考えれば、我慢できない筈はないです」 「先程グラビアのことで金沢さんにお電話したんだけどもね、そのときに鮎川さんのことが話にでたんだよ。そうしたら、一度お会いしたいといわれて、わざわざお出でになったんだ」  大久保の話は一層わたしを恐縮させた。 「わたしは判官|贔屓《びいき》なんですよ、大体がね。それに仕事も一段落したから、いまのうちに遊んでおきたいと考えていたところでしてね」  こともな気にいった。一段落したというのはQ賞の候補となるような力作はすでに書いてしまったことを意味している。そしていまのうちに遊んでおきたいと考えるのは、Q賞を受ければどっと注文が殺到して机の前から離れられなくなることを、言外に語っているに違いなかった。わたしは彼の自信にみちた態度に少なからず圧倒され、計り知れぬ力量のほどを、まざまざと見せつけられた思いがした。  金沢は新聞や雑誌でみるよりは、ずっと感じがよかった。サングラスをかけた写真から、その頃はやりのプレイボーイの仲間でもあるような浅薄で嫌味のある印象をいだかされていたけれど、実物の彼は弓なりのほそい眉の下に切れ長の、ちょっと吊り気味のすんだ目を持っていた。わたしと同じように半袖のシャツを着、わたしよりも年少でいながら色も型も遥かに地味なものだった。それが彼を奥行のある床《ゆか》しい人間にみせている。身長はわたしとほぼ同じ位だろう、骨が細いとみえて並んで立つと大久保よりも痩せて見えた。  先程の婦人記者がだしてくれた茶をのみながら、三人でしばらく雑談をした。池袋の呑み屋で紀野が終始さけてくれた話題が、ここでは中心となった。だが金沢の態度がわたしに好意的であり同情的であったため、この日の鼎談《ていだん》はむしろ愉快ですらあった。 「それにしても、今年は盗作問題がよく起りましたね。三善さんはどうですか、もうすっかり元気になったでしょうか」  推理作家との交際をさけ、純文学作家とのみつき合っているといわれる金沢だけれど、推理作家のレッテルを貼られている以上は、やはり同じ仲間に全く無関心ではいられぬとみえる。  三善徹の作品が映画会社から一方的に盗作だときめつけられ、大きな波紋をまき起したのはこの春のことである。その頃のわたしは、半年後にわが身におそいかかる運命など知る由もなく、来訪の『オール読物』の編集員A氏と、「三善さんはタフな人だから平気でしょうよ」などと語り合っていたのだが、あとで彼が書いた随筆の類いを読むと、あのファイトの塊りのような三善でさえかなりの精神的な打撃をこうむったことがよく判って、わたしはその映画会社の宣伝部の理不尽なやり方に改めて憤りをいだかされたのだった。経験者には要するにその辛さがよく理解できるといい、三善はわたしに暖い言葉の電話をくれている。 「いや、すっかり元気になってますよ。この間の推理作家協会賞の授賞式のときに会ったですが、むかし以上に元気です」  その日のことを回想しながら、わたしは答えた。尤も、三善徹が元気だったというのは、不快なトラブルが片づいたことによって生じた精神的な意味での元気さであり、体に不調があったためいつになく顔色は冴えなかったのである。当日われわれは沈舜水、浅野洋とおなじテーブルを囲み、スピーチに耳を傾けたりオードブルをつまんだりしていた。かつて乱歩賞をうけて世に出た沈舜水は、その几帳面で義理固い性格から、毎年の協会賞の授賞式にはかならず神戸から上京して来て、出席するのである。ことのついでに誌《しる》しておけば、彼が処女作≪枯草の根≫を応募した際の筆名はK・36というスパイの名みたいなもの。これは「三十六計にげるに如《し》かず」からとったものである。結局は出版社のアドヴァイスに従っていまのように本名を用いることにしたのだが、この舜水という名は、水戸学の開祖朱舜水を尊敬している大伯父によってつけられたのだという。  さて、その頃腰部の神経痛になやまされていた三善は、腰がいたくて正常位ができぬがどうしたらいいだろうといってわたしに訊ねた。 「要するに目的をとげられればいいわけなんです、要するに」  彼は口癖の「要するに」を連発した。  頑固な独身主義者のわたしが、そんな知識を持っているわけもないのに、そうした事情にうとい三善は四人のうちでもっとも年長のわたしならば何かと経験に富んでいるだろうと判断したに違いないのだ。三善は固唾《かたず》をのみ、浅野は手にしたビールのコップを宙で止めてにやにやしながら、わたしがどんな名答をするかじっと見守っている。ただ沈舜水ひとりが我不関焉《われかんせずえん》といった顔つきで、受賞者のスピーチに聞き入っていたが、こちらを向いている左の耳が、ときおりピクと動いた……。  わたしは回想からさめた。 「おい大久保君、そろそろ略図を書いてくれないか」  編集長がメモに道筋をしるしている間を利用して、『ゼロ』のもと編集者を探していたことや、それがようやく発見されたため上京したことなどを、掻いつまんで金沢に語ってきかせた。 「見つかったことは、大久保君の電話で知ってますがね、でもよかった。一歩一歩真相にむけて近づいているわけですから、あなたも頑張って下さい」  茶でかるく唇をしめしながら、金沢はそういった。大久保はやがて怪しげな地図を書き上げると、机にのせてあった雑巾でひたいの汗をふいた。面積がひろいと滲《にじ》みでる汗の量も多いのだろうか、彼は手当りしだいに布切れをつかんでおでこを拭い、そして失われた水分を補給すべく無闇やたらに水をのむのであった。 「まあ、こんなものだがね」  複雑な直線と曲線とからなる構図は、チンパンジーの落書を眺めているような錯覚をさえ起させた。 「ただね、この井田|基《もとい》という人は眼底出血のため失明しているんだ」  略図の説明をおえた大久保は、そうつけ加えた。 「盲人か。気の毒にな」 「いや、気の毒なのはそればかりではないよ。貧乏生活に愛想をつかして奥さんが家出してしまったんだ」 「そりゃ酷いな。踏んだり蹴ったりじゃないか。女ってやつは亭主の稼ぎがなくなるとすぐにそれだからな」  わたしは反射的に真垣辰彦のつぎのあたったズボンを思い出した。 「女ばかりじゃないよ。男のなかにも悪いやつは幾らでもいるさ」  大久保はここでもフェミニストの真価を発揮し、自分の机に坐っている婦人記者の背中をいとおしそうにそっと盗み見した。 「鮎川さん、わたしもご一緒していいですか」  だしぬけに金沢がいい、わたしも即座に賛成した。どこへ行くにせよ話相手があることは望むところだった。 「異議があるどころではないですよ、是非」  とわたしは応じた。    7  井田基は北区|稲付町《いなつけちよう》の丸三アパートに住んでいる。二人は電車通りで車をひろい、行先をつげた。  北区は文字どおり東京の北辺の、埼玉県と境を接したところにあって、稲付町は、東北本線と赤羽線とが赤羽駅の手前で合流する一帯の町であった。大久保の説明によれば稲付町と稲付西町とが隣り合わせた地点に鳳凰寺という法華の寺があって、そこの墓地を見おろすように建っているアパートに井田が住んでいるというのだ。  車のなかの二人は、推理小説を除いた共通の話題をもとめようとして、断片的な会話を交わした。多忙な金沢がわたしの書いたものを読んでいる筈はないし、わたしはわたしで前にのべた理由から、彼の作品は殆ど読んでいない。やたらに改行の多い彼の文章はテンポが速いことで好評だったが、わたしは重厚味のない、うすっぺらな印象しか受けなかった。いってみれば週刊誌の連載物みたいな彼の小説に、わたしは批判的ですらあったのである。したがって、出版社から贈られた著書が何冊か机上に積み重ねられているが、ページを開くことすらせぬ。交わされたみじかい会話から二人は敏感にそうしたことを察し、推理小説について語ることが逆にまずい結果になることを予想して、賢明にも話題を他の面にむけたのである。  賭け事は、マージャンからパチンコに至るまで、わたしは嫌いだった。音楽のほうは金沢が音痴であるため、全然興味をもっていない。金沢は酒に目がないといい、わたしは甘い物をたべすぎて胃をこわしてばかりいる。共通していることは、わたしが自分の過去に触れたがらぬように、彼もまた多分に韜晦《とうかい》趣味の持主であることだったが、こればかりは一致をみても、語り合うわけにはいかなかった。途中から流行作家は居眠りをはじめた。  車を降りた金沢は、しきりに辺りを見廻していたが、果物店を見かけるとわたしを顧みて「果物でも買っていきませんか、ぶどうか何か……」と言った。相手が貧しい男だとすると、手土産を持っていって喜んでもらえば何よりである。よく気のつく男だと思って感心しながら、わたしは甲州ぶどうを四房ほど包ませた。 「いいんです、わたしがいいだしたのだからわたしに払わせて下さい」  結局、タクシー代も果物の払いも金沢におぶさることになってしまい、わたしは恐縮しながら、帰りにどこか静かな店によって夕食を共にしたいと思った。  丸三アパートは新宿の旭荘よりもはるかに格のおちる、木端《こつぱ》のような建物である。すでに屋外には黄昏がせまり街灯がついているのに、そこの住人はだれ一人として灯りをつけるものがなかった。アパートの良し悪しは廊下をひと眼見ればわかる。ひどいところになると茶ダンスまで廊下に出してある。しかもその茶ダンスの一番下の戸棚が下駄箱になったりしていて……。  断っておくが、右の最後の三つのセンテンスはわたしの文章ではない。紀野舌太郎が『オール読物』に発表した≪大悲恋、おゆう伝造≫から無断でちょいと失敬したのである。こういう行為をこそ盗作というのだ。読者諸君、ついでに本篇を読んで、大いに笑ってやって下さい。駒が勇めば花は散る。だがユーモア小説と銘打ってある以上、読者が笑わなければ作者は泣いてしまうのだ。  閑話休題。われわれが入っていったアパートの廊下には茶ダンスこそ出されていなかったけれど、扉の前をとおると、内側から汚い言葉づかいで罵る女の声がきこえ、ぴしゃりと叩く音がすると同時に、火がついたような子供の泣き声がもれて来たりした。  目の悪い井田は階下に住んでいるに違いあるまい。そう見当をつけて進んでいくうちに、果して幾何《いくばく》もいかぬところで薄っぺらな木の名札を発見した。誰にたのんで書いて貰ったのだろうか、右肩のさがった、小学生のように稚拙な文字である。金沢はライターの炎を消してポケットに辷《すべ》り込ませた。  ノックに応えて扉が開かれたとき、わたしは、小ざっぱりした浴衣《ゆかた》を着た痩せた初老の男をそこにみた。 「わたし鮎川哲也と申しますが、もと『ゼロ』の編集部においでだった井田さんでしょうか」 「はい、井田ですが……」  右手が柱をまさぐったかと思うと、小さな固いひびきがして、電灯がつけられた。ひたいに刻まれた太いしわと生活のやつれとから、井田基は五十の半ばを幾つか越しているように見受けられたが、実際はもっと若いのかもしれない。彼の肩の横にマッサージ術を修得した免状がかざってあるのを見ると、あんまを業《なりわい》としていることが判った。 「鮎川さん……?」  どこかで聞き噛ったわたしの名を記憶の底から思い出そうとするように、もと編集者は一瞬うつろな表情をみせた。 「どんなご用でしょうか」 「当時の新人作家だった石本峯子さん、それに同僚だった望月泰二さんをご存知だったと思うのですが、この人達についてお聞きしたいのです」 「ええ、ええ、懐しい名前です。ラジオで知りましたが望月君は不慮の死をとげたとか、元気のいい男でしたが気の毒な最期だと思いました。そうしたお話なら部屋のなかでゆっくりと伺いましょう。汚いところですが、どうぞ」  わたしの背後で金沢が体をうごかした音を聞いて、彼ははじめて連れがあることに気づいたらしく、音がした方に黒い眼鏡の顔をむけると、愛想よくうなずいてみせた。褪色してけば立ってはいるけれど、掃除のゆきとどいた茶色のたたみに二枚の座布団をしいて、井田がその上に端然と膝をそろえて坐ったときに、わたしは途々考えてきた質問の第一弾を放った。 「石本さんがいま何処に住んでおいでだか、ご存知ありませんか」 「いいえ、石本さんばかりでなしに、当時の作家、翻訳家の一切のひとと音信が絶えております。売れっ児の方々はいまでもときたまラジオなんかでお名前を聞きますが、そうでない人の消息はちっとも存じません」  井田は耳をわたしのほうに向け、黒い二つの色眼鏡は方向感覚がずれたように、かすかに見当はずれを見つめていた。そうか、この気の毒なもと編集者は盲目だから、新聞や雑誌はまるで読まないのだ。ごく一部の作家の名前しか聞かないというのは、そのせいに違いない。 「石本さんがどうかしたのでしょうか」  井田は浴衣のふところからピースの箱をとりだそうとし、その拍子に、痩せて肋骨のうかび上った貧弱な胸がのぞけて見えた。  わたしが盗作したという事件は、活字の上ではひどく有名になっているけれども、さいわいなことに放送関係ではまるで無視されていた。箪笥の上の旧式なラジオが喋らないかぎり、井田がこの恥ずべき一件を知るわけもないのである。  わたしはかいつまんで話をきかせた。かたわらには金沢という第三者がいるから、勢い、客観的な話し方になる。 「なるほど、そうでしたか。盗作問題とかぎられたものではありませんが、潔白なものが世間から白い目でみられるというのは、当事者にしてみれば我慢のならない不愉快なことでしょうな」  あたらしい墓石を建てるとみえ、墓地のほうから石屋らしい男がしきりに石材の値段を説明している。それに答える客は故意に声をおとしているのだろうか、部屋のなかまで聞えてくるのは石屋のだみ声だけであった。 「しかしね、『ゼロ』の編集部にいたわたしの偽らざる感想を申しますと、石本君の短篇が盗作であったということも俄かに信じがたいのですよ。なぜそう考えるかといえば、それは、わたしが彼女の人物を知っているからです。そうした卑劣な真似をやる作家だとは思えないのです。さらにまた、石本君には才能があったとわたしは信じています。どれほど注文が殺到したとしても、他人に手伝って貰ったりすることなしに、充分さばいていけるだけの実力があったと思うのです。いわんや盗作をするとは考えられない。『ゼロ』が潰れるまでの三年間を、ほとんど休みなしに書きつづけたのですが、あの人の作は全部つぶが揃っていましたからね。息切れがした作品というのは唯の一篇もなかった。これは余程の人でなくてはできないことですよ」  茂森巳之吉とおなじように、井田もむかしの雑誌のこととなると息をつく間もなくよく語った。火をつけたタバコは、そのままガラスの灰皿の上で短くなっていくのである。  ブーンと羽音をたてて蚊がとんできたとき、はじめて井田は話を止め、素早く宙で手をたたいた。掌を開けると、小さな虫はみごとにそのなかで潰されていた。井田はまたまた懐に手をいれ、とり出した手拭いで掌のよごれをふきとった。 「そうそう、話に夢中になって失礼しました。頂戴したぶどうを早速——」 「いや、結構ですよ、それより早くお話を伺って、退散することにします」  井田基の話を、わたしは少しも信じはしなかった。彼女のほうが盗作者であることは、誰よりもこのわたしが知っているのだ。石本が少しも息切れしなかったというのは、わたしにいわせれば、この編集者の買い被りにすぎない。いや、ひょっとすると、彼女はわたし以外の作家からも盗んでいたのではないだろうかとさえ思う。 「石本さんについてもう少しお訊ねしたいのですが、彼女の住所を知っているような人について、心当りはないでしょうか」 「あの当時の住所ならば知っていますよ。その頃の手帳に、寄稿家の住所録がついておりますから。しかし、なにぶんにも十年余り前のことです、いまもその住所にいるかどうかは疑問でしょうがね」  わたしがそれでも結構だというと、井田はくるりと後ろをむいて押入れを開けた。小さな部屋だから、坐ったまま体をまわせばたいていの用は足せるわけだ。井田が探し物をしている間、金沢もわたしも窓からうす赤く染った西空を見上げていた。石屋と客は相談がまとまったとみえ、墓地は以前の静けさにもどっている。かわって近所の部屋から大根を刻むような音が聞えてきた。 「ありましたよ。終りのほうが住所録になっていますから……」  わたしはそれを受け取って、いわれたところを開いてみた。住所録というと体裁はいいが、市販されている手帳の末尾に、編集部が刷ったがり版を切りぬいて、数ぺージにわたって貼りつけたものにすぎない。その紙もインクの色もすでに褪色してしまい、少し複雑な字画ともなると、うす暗い電球のもとでは判読するに困難なほどだった。 「ちょっと失礼」  井田と金沢の双方に声をかけておいて、立ち上ると手帳を電球にちかづけた。井田自身は電灯を必要としていないから、この部屋の電球は三十ワットほどの赤っぽい光しかだしていなかった。そのあわい光の下で、アイウエオ順にならべられた人名の冒頭にちかいところに、石本峯子の名をすぐに発見することが出来た。 「……ありましたか」 「ええ、ありました。江東区深川常盤町……一の二八、葵荘としてありますね」 「そう、思い出しましたよ。常盤町というのは芭蕉が庵をむすんでいた場所で、例の古池のほとりにバナナの樹が植えてあったという……その近所なのだそうです。葵荘、そういえばたしかそんな名のアパートでしたな」  わたしは自分の手帳を開いて住所を写しとったのち、ふたたび座ぶとんの上に腰をおとした。 「もう少し伺わせて下さい」  井田の生活のテンポを乱すまいとして、わたしは気をつかった。 「どうぞ。せっかくお見えになられたのですから、訊き落しのないようにして下さい」  彼が好意的なのは甲州ぶどうの手土産のせいではなく、元来がこうした親切なたちの人間であるようだった。話しっぷりにも、ジャーナリストの間でしばしば見られるはったりめいたところは少しも感じられなかった。 「石本さんは独身でしたか。それとも……」 「編集部に出入していた頃は独身でした。結婚されたという噂はついぞ聞きませんでしたな」 「どんな人でしたか。写真があったら見せて頂きたいのですがね」 「いや、それがね……」  当時を思い出したのか、やせた頬にふっと苦笑がよぎった。 「写真嫌いな人でしてね。一度わたしの雑誌で、あれはたしか新年号だったと覚えていますが、グラビアに寄稿家の写真をのせようという企画をたてたんですよ。ああした場合には、新人であればあるほど喜んで自分の写真を持ち込んでくるものですが、石本君は変っていましてね、どうしても嫌だというんですな。カメラマンを派遣したら、吉田総理じゃないが水をぶっかけそうになりましてね、ほうほうの態で逃げ帰ったことがあります。わたしは映画女優じゃない、作家は作品で勝負するのだというのが石本君の考え方なのですな。わたしは、石本君のこの考え方は間違っていないといまでも信じておりますよ。作家は作品で勝負する……。いい言葉じゃありませんか。それに比べて昨今の作家はおしなべてタレント化しているようですな。そのうちに、女流作家などは水着をきて週刊誌のグラビアにでるようになるかもしれんです。まあ、そんなわけでとうとうあの人の写真ぬきでやりましたが、石本峯子が入っていないのはどうしたわけか、という投書が早速とどいたことを覚えておりますよ」  ふたたび表情がいきいきとしてきた。声にはずみがついている。瞼の裏には、十年前の同僚や作家や画家たちが少しも齢をとらずに、息づいているに違いなかった。  わたしは質問をつづけた。 「ということは、石本さんの器量が悪かったからと解釈していいのでしょうか」 「いえ、そんなことはないですよ。十人並みの器量でした。美人というのではないが、なにかの拍子に綺麗だな、と思うこともありましたね。ひょいとした角度で、目つきだとか口もとだとかが、あどけないといいますか、童心まるだしの可愛い顔をするときがあるのですよ。そういう表情をながめていると、こちらの心までなごんだものでした」 「眼鏡をかけているとか、ソバカスが多かったとか、そうした特徴はどうでしたか」 「眼鏡はかけていませんでしたな。ソバカスのことはべつに記憶にありませんから、おそらく、なかったんじゃないですか」 「性格はどうでしたか。少し変り者だということの他に……」 「さあ……余りよくは知りませんな。作品はよく読みましたが、前にもいったように担当者ではなかったもんだから、親しく接するという経験がないわけですよ。ただ、一つ印象にのこっているんですが、どちらかというと気の強い女性のようでしたな。むかし盲腸炎で入院したことがあるが麻酔の効かぬままに、生き身で手術をしてもらったという自慢話をしていましたから」 「ほんととすれば女傑ですね」 「そう。しかし、みんなにやにやして聞いていましたよ。本気で信じたものがいたかどうか……。でも、いい加減の出まかせをいうような軽薄なたちの女性ではないですから、わたしは信用しました。どちらかというとものを深刻に考えたがるタイプで、あまり冗談などはいいませんし、いってもそれが板につかなくて、周囲の人がお義理に笑うといったふうでした。一度、編集部の連中と一部の寄稿家たちで海水浴にいったことがあるんですが、石本君は西瓜のタネをのみ込んでも平気なんですな。トマトもタネごと食べるし、甜瓜《まくわうり》はタネのついた腸《はらわた》の部分、あそこが旨いのだといってしゅるしゅる喰ってしまうというわけで、盲腸のある人間のほうが逆に羨ましがったりしたこともありました。そういった天衣無縫な一面も持っていたと思いますね」  わたしは相槌を打ちながら要点をメモにとった。しかし、井田と茂森の二人の話を合わせてみても、石本峯子の明確な人物像をえがきだすには足りないことが多すぎるのである。考えてみればそれも無理はないという気もするのだった。石本峯子が編集部に顔をのぞかせるのはひと月に一ぺん、原稿ができてそれを届けるときだったろうし、編集部だって多忙なのだから、彼女も長居はしないで、出されたお茶を一杯のんで帰っていくのがありようだっただろう。そうした断片的な接触によって得た印象が稀薄なのも、また止むを得ないことかも知れぬ。 「石本峯子というのは本名ですか、それともペンネームですか」 「さあ、それはどっちでしょうかね。望月君ならば知っていたでしょうが、わたしは存じませんな」 「本籍はどちらでした?」 「それも知りません。言葉に訛《なま》りがなかったから、わたしは東京近辺の生れだと思っていましたがね」  失望しかけた気持をそっと押えて、さらに質問をつづけた。 「亡くなった望月さんについて聞かせて下さい」 「いや、ラジオで聞いたときには全くおどろきました。元気のいい、叩いても死ぬような男ではなかったですからね。聞きちがいかと思いました。そこで新聞にでていた奥さんの住所あてに手紙をだして貰いまして、望月君に相違ないことを知ったようなわけです。もっとも、彼はたいへん酒好きでしたから、命を失うとしたら酒の上でのことに決っています。望月君が例えば情死でもやらかしたとしたら、わたしはもっと驚かなくてはならなかったでしょうね」 「そんなに呑んだのですか」 「いえ、安月給のわれわれには経済的な意味からいっても呑めるわけがありません。だから呑んだというよりも、酒に強かったと表現したほうが正しいでしょう。つまり、機会があれば幾らでも呑みました。それも一級酒がいいとか特級酒にかぎるとか、そうした贅沢はいわずにですね、酔うことさえできれば何でもいいという、些《いささ》か意地の汚い呑み助だったと思います」  火の立ち消えたタバコを口にくわえ、畳の上のマッチを手さぐりしている。わたしはそれを取ってやりながら、話をつづけた。たまたま、意地のきたない呑み助だという批判めいた言葉がでたところを狙って、彼の望月観を聞きたいと思ったからである。  電灯がくらいせいか、井田がすぱすぱやる度に、タバコの赤い火が妙に目についた。 「まあ、なんですね、死んだ人のことをどうこう批判するのは褒めたことじゃないけども、わたしみたいに融通のきかない男からみると、ちょっとね」  奥歯にもののはさまったような言い方をして、みじかくなったピースを唇がこげそうになるまで吸っている。 「女癖でもわるいのですか」  旭荘の管理人から聞いた話を思いだして訊いた。 「そう、それですよ。それも商売女を相手にするのなら奥さんが泣くだけで他に文句をいう筋合もないんだけど、素人女にまで手をだすんです。しまいには女流作家に対してまで……」 「女流……」  いまでこそ女性の推理作家もめずらしくなく、『塵の会』なるグループまでも結成されていたけれど、その当時の女流作家となるとぐっと数が少なかった。即座に思い出せるものといえば宮野叢子と、中村美与子の両名ぐらいである。ことのついでに触れておくと、中村美与子は戦前に出発した青森在住の作家で、戦後はほとんど活躍せず、その量は未発表のものを含めてわずか数篇にとどまった。かつて男装して街頭をあるいたことがあったけれど、ついにただの一度も女性であることを見破られなかったというエピソードを本人から聞いた記憶がある。そして戦後ふたたび創作に本腰をいれようとした矢先に心臓を患って亡くなったのだが、死亡当時のくわしい事情については何一つ知っていない。  その、数少ない女性作家を犯したとすると、それは石本峯子のことではないだろうか。 「いやいや、そうではありません。石本君とは違います。女流作家なんてあなた、掃いて捨てるほどいたんですから、わたしが女だといったからとて、それが石本君に限ったものでもないでしょう。名前はご本人のために申せませんが、とにかく……。鮎川さん、この話はこれきりにしましょうや」  掃いて捨てるほどいたというのは、勿論うそである。それに本人がひどく狼狽するところを見ると、それが石本峯子であったことはいよいよはっきりとしてくる。しかし彼が話題を変更したがっているのに気づいていながら、敢えてその件に執着し追及することは非礼であった。 「判りました。ただ、一つだけ知りたいのです。その事件はどうして洩れたのですか。石本さんが自分で吹聴するわけもないでしょうし、望月さんにしても自慢になる手柄話でもないはずですが……」 「酒に酔ったとき、ひょいと望月君が喋ったのです。酔っ払って正体のなくなった彼を、わたしが車にのせて自宅に送っていく途中で、ちょろりと洩してしまったわけです。しかし酔っていても、喋っていいこととならぬことの区別はつくとみえて、しまったというふうに口をつぐむと、それ以来二度と話をしませんでした。ですから、余計に真実だろうという気がするのですよ」  井田はあたらしいピースをぬきだして火をつけた。わたしも急に吸いたくなり、金沢にもすすめて、ライターをとり出した。それは推理作家仲間の新年会の福引き大会でもらった、自慢の七宝のライターであった。    8  あくる日も東京にでた。ラッシュアワーを避けて電車にのるのだから、東京に着くのはどうしても正午になってしまう。わたしはゆきずりのそば屋に入って、もりを食べる。鎌倉の家の近所にはそば屋がなく、したがってそば好きのわたしは四六時中欲求不満でいらいらしつづけている。わたしが東京住いの人を羨ましがる理由は、一つは交通が便利であることと、もう一つは好むときにそばが食えることであった。だから実をいうと、毎日のように上京することは、その意味ではむしろ楽しみですらあったのである。朝食をぬいて東京でもりを食い、夕方は夕方で、またそば屋に入ってタネ物をとる。昨夜金沢と一緒にたべた鍋料理が決してまずいわけではないけれども、そばを食いそこねたことに、一食損をしたような吹っ切れない気がするのだ。  わたしは銀座から築地まで歩き、中華料理店のとなりにあるそば屋に入ってもりを食った。戦前はざるにしろタネものにしろ、お客さんをもてなす場合には必ず二つとってすすめるのが習慣であった。ところが最近の人は胃袋が小さくなったとみえ、もりを二つとるものはいない。一人で二つ注文したのが可笑しいというので、そば屋の女中に笑われたこともある。そば屋の客も、変なところでお上品になったものだ。たかがそば屋で気取ってみたところで、仕方あるまいに。  築地から錦糸町行の電車にのる。茅場町をとおり水天宮を経て、隅田川をわたるあたりの風景は≪憎悪の化石≫に用いたことがあった。わたしのように作品の数の少ない男には、その小説を書いたときの喜びや怒りや苦しみが、はっきりと記憶にやきついていて消えることがない。電車が新大橋をわたりすぎるまで、わたしはあの長篇をかいた当時の思い出にひたっていた。  新大橋の停留所で電車をおりた。その辺りは自動車の修理工場などがたて混んだ、うるおいのない、まとまりを欠いた一帯だ。わたしは手近の横道におれ、隅田川のながれに沿ってくだった。いま歩いている町が新大橋の三丁目であり、そこをつきぬけたところが常盤町の一丁目になる。おそらく芭蕉が住んでいた頃は草ぶかい場所だったのだろう。それは本所の七不思議などという馬鹿馬鹿しい怪談が生まれていることからも、容易に想像のつくことであった。だがいまは何処をみても工場や倉庫がならび、化け物がでる余地もなければ、風流の道ともおよそ縁のとおい場所になっていた。  万年橋としるされた鉄の橋をわたる。江東区と墨田区はいたるところ運河がたて横に通じているから、橋が多いのだ。  芭蕉の旧居の跡と伝えられているのは、一丁目の一六番地である。葵荘はおなじ一丁目の二八番地だから、それほど離れた場所であるわけがない。まず芭蕉の住居のあとを探して、それから二八番地をもとめるというのがわたしの作戦だったが、その芭蕉庵がなかなか見つからないのである。  電柱に、去年の都会議員選挙の際のポスターが貼りつけられており、孫をおぶった老人が背中をゆすぶりながら、色のあせた立候補者の写真をながめていた。 「芭蕉の旧居のあと? さあ、知んねえな。終戦後ずっとここに住んでるけんどよ、そんなもん聞いたこともないね」 「それじゃ、葵荘というアパートはどう?」 「それなら知ってる。二つ先の十字路の右角だよ」  わたしは頸をのばしてその方向を見やったが、アパートらしいものはみえなくて、屋根の低い町工場みたいな灰色の建物があるだけである。  背中の子がむずかりだし、老人は一層はげしく体をゆすぶって、調子のはずれた子守唄をうたいはじめた。秋のさなかだというのに、老人はもうとっくり型のセーターを着ている。延びて大きくなった編目の間から、メリヤスの肌着のみえているのが哀れっぽかった。 「あれは工場じゃないのかね? どう見てもアパートじゃなさそうだが……」 「そりゃそうだよ、葵荘はとうのむかし焼けちまったからね。子供がマッチで火遊びしているうちに、揮発油《きはつゆ》に火がついて火事になったって話だけどよ」 「すると、葵荘に住んでいた人達はどこへ引っ越していったの?」 「知らないね。なにしろ、八、九年も前のことだからね。焼けだされて散りぢりになったそうだ」  しかしわたしは落胆しなかった。四散したとしても、誰かが石本峯子の行先を知っているのではないか。たといそういう人がいない場合でも、米屋で米穀通帳の記録をみせてもらえば転出先は判るに違いない。わたしは平素から米が自由販売制度にあらためられることを希望しているのだけれど、このときばかりは旧態依然たる配給制に感謝したくなった。  さいわい、葵荘の五、六軒先が米屋であった。余程のつむじ曲りでないかぎりは、そのアパートの住人達はこの店に登録していたに違いないのである。わたしはそう思い、至極安直な考えで、米屋の前に立った。そして米穀販売所なるものの大きな変貌に唖然としてしまった。  わたしが米穀配給所とつき合いがあったのは自炊生活をしていた頃だから、もう、十二、三年ほど前になる。その頃の米屋は米だけを商う店だったのに、いまの米屋の店先にはオレンジジュースだとかコーヒー牛乳だとかいったいろとりどりの瓶が並べられ、即席ラーメンやインスタントのマッシュポテトの袋がおいてあるかと思うと、その隣りに、きれいな表紙の週刊誌までが飾られているのである。  わたしは近頃はやりの六本木界隈に足をふみ入れたこともないし、ボウリングなるものを見たこともない。書斎と出版社の間をただわき目もふらず往復しているうちに、バスに乗りそこね、どうにも収拾のつかない時代遅れになってしまったようだ。派手にかざり立てられた米屋の店先をながめながら、わたしはそうした月並みな感慨にふけった。 「いらっしゃい」  算盤《そろばん》をはじいていた肥った中年男が、坐ったままでいった。右手の親指と人さし指をおり曲げ、いつでも珠をはじきつづけることが出来るような態勢である。 「この牛乳を一本……」  フルーツ牛乳の栓をぬいてもらい、甘い液体をひと口のんでから質問にかかった。  主人は運動の選手かなんぞのように身にぴったりとついたうす紫色のランニングシャツを着用し、古ぼけた手拭いで髪をくるんで、後頭できりりと結んでいた。そして話の合間に、鼻の頭にずり落ちてくる眼鏡を人さし指で押し上げる癖があった。 「葵荘に住んでいた人をさがしているんですがね」 「誰です? あそこの住人なら、ほとんどの人がうちの店に登録してましたからね」  誰かと訊かれてぐっと詰った。間がぬけたことだったが、石本峯子の本名を知らないのである。石本というのが本名であるならばともかく、それが筆名だったとすると、米屋の主人に説明のしようがない。顔形もわからなければ、本籍すらも知らないのだ。 「困るね、そんなあやふやのことでは返事のしようがないからね」 「しかし転出する場合には転出先を書いていくのではないのかね」  その記録のなかから女性をえらびだし、更に二十歳から三十歳の年齢に該当するものを対象にして探してゆけばいいではないか。 「そりゃ書いて出てゆきますよ。だけど五年たったやつはその年の大掃除の日に燃やしてしまうことにしているんです。さもないと店中が反古《ほご》の山になるからね。葵荘の火事は八年あまりむかしのことなんですよ、全部焼いてます」  彼の答は青天の霹靂《へきれき》であった。いかにも説明されてみれば当然なことなのだけれども、そのときのわたしは、一切の希望を米屋につないでいたのである。 「住んでいた人で行方の判っているものいないかな」 「いないねえ」 「管理人はどうだろう」 「管理人か。ありゃ小意地のわるそうな爺さんだったけど、生きてるんだか死んでるんだか、噂さえ聞いたことないですね」  米屋はまた眼鏡をずり上げた。 「アパートの持ち主はこの近所ですか」  こうなると藁《わら》にでもすがりつきたい気持だ。所有者ならば、何等かのメモを持っているかも知れない。わたしはそう考え、ちょっと声をはずませた。 「いや、夫婦とも、とうに死にましたよ。アパートに保険をかけとかなかったのが悪かったんだな。火事でパーになっちまったのがショックで、急に体が弱ってね、ばたばたと死んでいきました」 「ふむ」  落胆した。これでは追及のしようがない。 「葵荘に、石本峯子という小説家が住んでいたこと知りませんか。まだ一本立ちの小説家ではなかったかもしれないけど、とにかく小説を書いていた女性です」  店主は首をふり、その拍子にずっこけた眼鏡のわくをまた人さし指で押し上げた。葵荘に小説家が住んでいたとするならば、人々が珍しがって話題にしないはずがないというのである。客が入ってきたのをしおに、わたしは店をでた。急にあたりの陽がかげったような気がした。米屋がだめだとすると、では、どこで訊けばいいだろうか。  ふとわたしは、つい先頃よんだばかりの浅野洋の長篇≪旧婚旅行≫の一節を思いうかべた。そこには、いまのわたしと同じような立ち場におかれた作中人物が、区役所の住民登録票をしらべて、相手の移転先をつきとめるというくだりがえがかれていた筈である。よし、乃公《だいこう》もこの手でいこう。そう考えると、わたしの心にもふたたび明るい陽がさしかけてきた。  江東区役所の所在は深川白河町の一丁目だから、歩いて一キロにもみたぬ距離である。十分後にわたしはコスモスの花をかざった案内所に立って、住民登録票の閲覧について、グレイの上っぱりを着た受付係にたずねていた。 「移転なさった方のカードは五年間は保存してありますけど、それ以前の分はございません。焼却してしまうのですわ」 「焼く? すると……」 「はい。ですから、葵荘のぶんはずっと以前に破棄してしまいました」  わたしは自分の愚鈍さにあきれ返っていた。十分ほど前に失敗したおなじことを、ここでもまた繰り返すとは……。それというのも、浅野洋の作中人物の行動があまりにもスムーズに運んでいるものだから、ついこちらまでその気になってしまうのだ。  浅野のおかげで無駄足をふまされたことを考えると、腹がたってならない。この埋め合わせに鰻かなんかを奢らせなくては腹の虫がおさまらないのである。それもしみったれた中串なんかではなくて、脂ののったとろりとするやつを三人前ほど食わせてもらうことだ。盗作問題が起きてからというもの、気疲れから体重が五キロちかく減ってしまっている。その分を、鰻でとり返してやろう……。 「もしもし……」 「え? 呼んだ?」 「ええ。葵荘のどなたをお探しでしょうか」 「石本峯子という人なんだが……。誰か知ってる人がいるの?」  思わず身をのりだすと、相手の唾が霧のように散って顔にはねた。これがうす汚いおっさんの唾だったら、脱脂綿にアルコールをたっぷりとふくませて、気がすむまでごしごしとこすりたくなるのだけれど、先方が美人となると、有難いような嬉しいような気持になるんだから、われながら不思議なものである。 「石本さんという方は知りません。ですけど、管理人をしていた和田さんならば住所が判っております」  そう答えたのは二人並んでいる女子所員のうちの年嵩《としかさ》の、ユニフォームの下に濃いグリーンのワンピースを着たほうであった。口のきき方が歯切れよく、なにかびっくりしたような大きな目をしていた。 「和田さん?」 「ええ、和田善助さんです」  それは米屋の主人が小意地のわるそうなと評した、あの男である。わたしはちょっと失望を感じた。大体がわたしは先方《せんぽう》の出方次第で丸くもなれば四角にもなるたちだった。相手が意地のわるい態度をとれば、こちらはそれ以上にでる。推理作家の間でもそれはおなじことであった。今度の場合も、先がつむじ曲りの老人ということになると、まず十中八、九は喧嘩別れになりそうだ。和田善助というもと管理人と会見したところで、うまく話を訊き出せるかどうか自信がもてなかった。 「何処にいるの?」  なかばお義理に訊ねた。 「お隣りの墨田区です。そこでタバコ屋さんのお店をしているんですわ」 「番地なんか判る?」 「はい、戸籍の係長さんが釣り友達なんです。ちょっとお待ちになって下さい、すぐ聞いてきますから」  そう言い残すと、素早く立って扉のおくに入っていった。残されたほうが一人で客の応待をしている。わたしはそれを眺めながら、戦前のぶっきら棒な区役所の応待ぶりを回想して、その変転に感嘆これを久しゅうしていた。いや、単に横柄であるばかりではなく、一銭五厘の赤紙一枚でわれわれを戦地へ送り込む仕事も、都会では区役所が一手にやっていたのである。区役所の四角い建物は、戦中派のわれわれにとっては恐怖と死のシンボルでさえあった。だが、いまそこにはやさしい美女が坐っていて、区民のサービスに当っている。夢ではないのか。  案内係の机の前には、三人四人と来訪者の数がふえてきた。わたしは身を縮めて壁ぎわにより、使者の帰りを待っていた。  三分ちかくたった頃に、丸い目がもどってきた。 「お待たせしました。住所はこれに書いてありますわ」 「どうも有難う」 「この前の停留所で柳橋《やなぎばし》行の都電におのりになって、押上《おしあげ》で京成電車にのりかえると、一つ目の駅が曳舟《ひきふね》です。二丁目の八○番地というと、京成電車の曳舟駅と東武電車の曳舟駅にはさまれた、ちょうど真中にあたるのだそうですわ」 「有難う、どうも」  と、わたしは不器用におなじ礼をくり返していた。およそわたしは口下手なたちであり、美しい女性の前にでると、たといそれがそば屋の女店員であっても、歯ががくがくしてまともに話ができないのである。特にその傾向は、『塵の会』の諸嬢の前にでたときに著しい。  わたしはもう一度ふたりの受付嬢におじぎをしてから、玄関をでた。そして区役所前の安全地帯にたたずみながら、わたしと和田善助とを結びつけてくれた浅野洋に、ほんのお礼として鰻を馳走しようと考えていた。お互いにそろそろ齢だから、あまり脂っこいものをたべたのでは健康上よろしくあるまい。まあ中串の安いのを一人前、というところが無難ではないだろうか。    9  そのタバコ屋は広い通りに面していた。ここまで来て頭にひらめいたのは、この大通りが昔の曳舟のあとではないか、ということだった。広重の「江戸百景」にも描かれているように、往時は岸の両側にハンノキが植えられ、流れがゆるやかなために人足が岸を歩いて舟を曳いていった。いうまでもなく、曳舟の地名はそこから生じたのである。北原白秋のゆたかなイマジネーションはハンノキをアカシヤに置き換えた上で、「金と赤とがちるぞえな」というあの有名な≪片恋≫となって結実したのだった。わたしは多大の興味をもってあたりを見廻してみた。が、その流れは数年前に暗渠《あんきよ》となって地下に埋没されてしまい、アスファルトで舗装された通りは絶える間のない車の行列であった。広重の時代の、いや白秋の頃の面影をしのぶものは何ひとつ残されてはいなかった。  わたしは感傷をふり払うようにして、手近の電柱に身をかくし、タバコ屋の様子をうかがってみた。バットやパールやパイプホルダーを並べた小さなショーウインドウの彼方に、銀ぶちの老眼鏡をかけたみるからに小意地の悪そうな男がいた。あと二、三十年たつと美丈夫のほまれ高き大久保直公もああした爺さんになるのかと考えると、齢はとりたくないものだと思わず吐息がでるのであった。  店を確認したのち、くびすを返して、くる途中で目をつけておいた近所の菓子屋と酒屋をたずねることにした。彼が甘党ならば菓子を、辛党ならば酒をもってゆき、わずかの間でいいから何とかして曲ったつむじを真直に伸し、機嫌よく応待してもらおうという苦肉の策であった。  菓子屋のおかみは和田善助なんて名は聞いたこともない、とにべない返事をした。それにひきかえ酒屋の主人は笑顔をつくり、すぐそこのタバコ屋さんが和田さんだといって、店先まででてきて親切に教えてくれた。葵荘のもと管理人がこの店の顧客《とくい》であることが判ったので、特級酒の五合瓶をつつんでもらい、急ぎ足でタバコ屋へ向った。  まずピースを一箱もとめ、ついで酒瓶をみせると、苦い顔つきは少しも変化をみせなかったが、声の調子にかすかなやわらか味がでた。 「そこは何だから、こっちに入ったらどうかね」  わたしは遠慮せずにガラス戸を開けてなかに入った。そこは半坪のたたきになっていて、その奥が三畳の畳じきだった。和田善助はうすっぺらな座ぶとんに坐り、膝の上にポータブルラジオをのせていた。 「座ぶとんが一枚きりしかなくてね、気の毒だが、そこに掛けなさい」  座ぶとんを用意しておかないのは長居の客を警戒してのためだろうと睨んだ。わたしも箒《ほうき》をもち出されぬ先に、要領よく訊くことをきいて帰ることにしよう。 「何かね、用事というのは?」 「石本峯子という女性を探しているのですよ。十年ばかし前に葵荘に住んでいた人なんです」 「石本? 聞いたことのない名だな」  和田は横柄な目でわたしを見た。五合瓶のおかげで和《なご》んでいるに違いないが、それでもじろりと見られるといい感じはしなかった。こんな男が店に坐っていて、よくタバコが売れるものだと不思議な気がした。それともこの一帯には他にタバコ屋がないとでもいうのだろうか。 「小説を書いていた人です。だから彼女の本名はべつにあって、石本というのは、小説を書くときだけに使う名前だったのかもしれない」 「その、本名は何というのかね?」 「それが判らないのですよ。とにかく、十年ばかり前に部屋を借りていた人で、齢が二十二、三歳の女……。もう少し幅をもたせて、二十歳から三十歳ぐらいの女性ということにしましょう。そのなかに小説を書いていた人がいたはずなんですがね」 「さあ、小説を書いている女がいたら、せまいアパートのなかなんだから評判になるんだけどな。その話、なにかの間違いじゃないのかね?」  編集者の手帳にちゃんと記載されている以上、間違いであるわけがないのである。 「では、石本峯子あての郵便物が届いたことはなかったでしょうか」 「さあ……。なにも記憶にのこっていないところをみると、そんな手紙は来なかったんだろうね。配達された手紙はあたしが仕別けをするんだから、変った宛名の手紙が何度もまじってくりゃあ、覚えていないわけがないと思うんだよ」  とするならば、彼女あての注文なり稿料なりは、一切自分のほうから雑誌社へ出向いたときに手交されていたに違いない。ふとわたしの頭のなかを、石本峯子は自分が小説をかいている事実を秘めていたのではあるまいかという考えがとおりすぎた。  わたしには、石本峯子のそうした気持がわかるような気がした。わたし自身が推理小説を書いていることは、できるならば誰にも知られたくない。外出するたびに、「あれが推理作家なんだってサ」などと近所の人に奇異な目でみられることは、決して愉快ではないからだ。  しかし石本峯子の場合はまだ他にも理由がありそうだった。いまでこそ昨日の新人が今日の寵児《ちようじ》になれる時代だけれども、石本峯子の頃はそうではない。たとい実力はあっても、よほどの機会に恵まれぬ限りは、推理作家として陽の目をみることは難しかったのである。発表舞台が少なかったばかりでなく、ジャーナリズムがまるでそっぽを向いているから、いい作品を書いたところで認められることがないのだ。多くの人が才能をもちながら消えてしまい、そして彼等は推理小説が正当の評価をうけるいまの時代に至っても復活することなしに、忘れられたままになっているのである。  思うに石本峯子は、自分の作品が世にみとめられ自分の名前がクローズアップされる日が来るまでは、推理小説をかいている事実を、近隣の人々に知られまいと念じていたのではないだろうか。わたし自身にしてからがつい二、三年前までそうした気持から脱けだせずにいたし、先頃乱歩賞をもらった麦村正太が受賞の挨拶のなかで似たようなことをのべているのを聞いて、ああ自分ばかりではなかったのだなと胸中ひそかにうなずいたものだった。 「とにかく、二十歳から三十歳にかけての女性の名を全部知りたいのですが……」 「待って下さいよ。古い帳面があるはずだから見て上げよう。客が来たら、あんたが売っておくれ。ピースが四十円でパールが六十円だ、判ってるね? オリンピアスは六十円だが、ありゃまずいもんだから売れない。タバコ屋泣かせのタバコだよ、全く」  ぶつぶつ呟きながら背をまるめて奥に入っていった。立った姿を見ると意外に背のひくい男だったが、ひょっとするとそれは、膝がまがっているせいなのかもしれなかった。  押入れをかき廻しているのだろうか五分ちかく待たされたのち、和田善助はうす汚い表紙の大学ノートを手にして戻ってきた。その間、客がひとりも来なかったのは幸いだった。 「よく焼けなかったですね」 「葵荘が焼けたのはあたしが管理人をやめて半月ばかりした後のことなんだ。あとの管理人が決まる前に火がでてね。あたしゃ運がよかった。これもあんた、巣鴨のとげ抜き地蔵を信仰しているお陰だと思っているよ」  とげ抜きだか骨抜きだか知らないが、そのご利益によって当時の記録が残されていたのだとすると、わたしからもお地蔵さんにお礼の一言ぐらいは申し上げねばなるまい。 「で、正確にいうといつ頃のことかね?」 「まず昭和二十八年というところかな」 「二十八年か。あの時分はよかったな、全く物価がやすかったからね。こう、いまみたいに物の値段が倍増になったんじゃやりきれない。湯屋の料金まで上ったというのにピースは四十円で押えられているんだから、こいつは踏んだり蹴ったりじゃないかね」  わたしは彼の機嫌をそこなわぬように、適当な相槌をうとうとしたが、旨い返事がでなかった。それよりも、風呂屋のことを湯屋と呼んだことに気をとられていたのだ。落語にも「湯屋番」という話があるように、むかしの東京人は銭湯のことを湯屋といったのである。「風呂に入る」というかわりに「湯にいく」などといった。むかしの東京人のすることは、どんなつまらぬことでも粋にみえるから大したものだ。  和田善助が拾い上げた名前をメモにとった。井田基の話によると石本峯子は未婚だったというが、事実独身であったのかもしれないし、夫がありながら何かの理由でそれを隠していたことも考えられるのである。  わたしは鉛筆を片手に、亭主持ちも含めて二十歳から三十歳におよぶ女性をチェックしてみた。九人になる。 「だけどあんた、小説なんてものを書ける女がそうざらにいる筈はないと思うな。このなかの大半が小説なんて読んだこともないような、筋金入りのかみさんなんだからね」  老人の言葉はたしかにそのとおりだと思う。 「だからサ、うちの宿六がヨ」といった調子で井戸端会議をやらかす女が、石本峯子であるとは考えられない。江東区という土地柄もあるのだろうが、葵荘にはそうした住人が多かったというのである。そのような女を除外することによって残ったのは、田沢直江(二十九歳)八代さと(二十五歳)槻木《つきのき》トク子(二十四歳)の三人になった。 「田沢さんというのはどんな人でした?」 「未亡人だよ。本人は東京のどこかの学校の先生をしていたんだが、旦那というのが出来そこないの男で、そいつに騙されて結婚したらしいんだな。勿論、結婚したときに学校のほうはやめている。その後パチンコ気違いの亭主がダンプカーにはねられて死んだもんだから、造花の内職なんかしてひっそりと暮していたもんだ。むかしの教え子にぱったり出遭うと恥しいといって、ほとんど外に出なかったね」  二十九歳という年齢が石本峯子とは少しかけ離れているようだったが、石本も女性だから、編集者にサバを読んでいたのかもしれない。男性のわたしですら一つでも若くみられたいがために、一九一三年の生まれを一九一五年と称しているほどだ。 「むかし高校の先生をしていた人だから、小説ぐらいは書けると思うがね」  と老人は呟いた。 「この八代さとさんという人は?」 「これは独身だ。洲崎のバーにつとめていて、昼間は寝呆けた顔をしているけど日が暮れると途端に生き生きとしたもんだ。本人は大学の一年を中退しているとしきりに自慢していたが、これは眉唾ものじゃないかと思うな。算盤《そろばん》をやらせても掛け算ができないくらいだから」 「ふむ」  気のない返事をした。わたしも算盤はあまり旨くない。足し算のふた桁がやっとのことで、それもやる度に答えが違ってくる。算盤ごときもので才能をおしはかられては堪らない。だが、それはそれとして、発表舞台が『ゼロ』一つしかなかった石本が、稿料のみに頼って生きていこうとしたならば、まず栄養失調となることは覚悟しなくてはなるまい。夜の蝶となればある意味で人生経験をゆたかにすることも出来るわけだし、収人はふえるし、作家志望の石本峯子として一挙両得ではなかったろうか。かつては女流の純文作家の多くのものが、それを必修課目とでもするかのように、カフェーの女給となった時代さえあるのだ。 「大学はどこでした?」 「さあ。ただ大学大学といっていたけどね」 「専攻は何だといってましたか」  わたしは専攻の意味をくだいて説明したが、八代さとさんが何を学んだかということは知らないという返答だった。いわなかったのかもしれないし、聞いたけれども忘れてしまったのかもしれない、と彼は答えた。 「美人でしたか」 「だからさ、昼間はちっとも綺麗じゃなかったが、勤めに出掛けるときにはまつ毛をくっつけたり瞼を青くそめたりしてね、見違えるように美しくなったもんだ。化粧のうまい女だったな」  編集者の話では十人並みという程度だけれど、それは化粧しない日中の印象であったに違いない。雑誌社をたずねるのに、わざわざマスカラを塗りたくっていく女もないからだ。そうしたことを考慮すると、この八代さともまた、石本峯子である可能性をもっていた。 「槻木トク子さんはどうです?」 「これも独身だったね。一度結婚したことがあるが姑がやかましいもんだから、子供をおいて出てきたといっていた。だから、ときどき子供の顔を見にいくんだといって出掛けることがあったがね」 「勤めは?」 「もとのご亭主から生活費が出ているそうでね、ずっと遊んでいたよ。といってもそう大した額じゃなかったようだね。部屋代を二度ばかりとどこおらせたことがあったから」  槻木トク子、この女性もまた石本峯子らしいところが多い。『ゼロ』は稿料が比較的よかったという話だけれども、短篇一本の値段はたかが知れている。石本峯子としても一誌だけで喰っていくことは難しかっただろう。それで部屋代の払いが遅れることもあったのではないか。わたしには、槻木トク子もまた石本峯子であるような気がした。 「槻木さんというのはどんな人でした?」  老人は蟇口《がまぐち》をとりだすと五十円玉をつまみ、商売用の銭函になげ入れた。それから腹のふくらんだガラスの器に手をつっこんで、いこいをつかみ出した。 「これも変っていたね」 「ほう、どんなふうにですか」  わたしは噂というものにあまり信をおかないことにしている。もっとも円満にして常識人であるわたしのことを、鮎川は変人だ変人だと言いふらす怪しからんやつがいて、わたし自身が大変に迷惑をしている。そのことを考えても、世間の噂がいかに根も葉もない無責任なものであるかが、よく判るのだ。 「まあ人嫌いとでもいうのかね。隣近所のものとあまり口をきかないのだ。といってべつにお高くとまっていたわけではない。どうしたものだか、誰とも親しくしたがらないのだよ」 「なるほど」  交際ぎらいな人間を指して変人というなら、わたしもそう呼ばれても仕方ないかもしれない。推理作家仲間で親しくまじわっているのは極く限られた数でしかないし、推理作家以外に友人というのはただの一人もいないのだから。 「しかしですね、交際をしたがらないからといって、それが変人である理由にはならないでしょう」  それは質問であると同時に、わたし自身の抗議でもあった。 「そりゃそうだ。だがね、この槻木トク子さんには事実変ったことが多かったんだよ。例えばだね……」  いこいに火をつけながら、老人はその変り者であったわけを思い起そうとするふうであった。西にまわった秋の陽が、しみのういた横顔を明るくてらしている。 「つまりね、こんなこともあった。湯にいくにも、すぐ近くの芭蕉湯には入らないんだね。おんなじアパートのかみさん連と一緒になってやれお湯を汲みましょうの、お背中を流しましょうのというのが煩わしいといって、ずっと離れた湯屋にいってたもんだ。そこならばのうのうとした気分で暖ったまることが出来る、なんてね」 「ほう」 「八百屋や魚屋にしたってそうだし、米屋にしてもそうだよ。五軒ばかしいったとこに配給所があるのに、わざわざ遠方までいって登録してくるといった按配だ。やっぱり、近所のかみさんと顔を合わせて、お暑いのお寒いのというのが煩わしいというわけだ」 「ふむ」  気ののらない返事をした。話を聞けば聞くほど槻木トク子はわたしに似ている。わたし自身もどちらかというと近所とはなるべく没交渉でありたいと希《ねが》っているほうだった。いつだったか浅野洋が「鮎川さんは散歩もしないという噂ですがほんとうですか。ぼくなんか一日でも外出をしないと辛いですがねえ」というので、「近所の人と顔を合わせるのが嫌いだからですよ」と答えたところ、変っとるなあといった表情をされたことがあった。つまるところ、わたしは矢張り変人なのかもしれない。そして変り者なるがゆえに、この槻木トク子という女性の行動もよく理解できる気持がするのである。  石本峯子が槻木トク子かもしれないな、とも思う。 「この三人のなかで小説を書きそうな女性はどれだと思いますか」 「判らないねえ。三人が三人ともよく本を読んでいたからね。何か特徴でもあげてくれれば見当もつくだろうけど、あんたの話だけじゃ、どうも……」 「この人達がその後どこへ行ったか知りませんか」 「全然」  老人は白髪の頭をふった。 「あたしも愛想のいいほうじゃなかったし、だいいちアパートの管理人なんていう柄でもないんだ。ただ一時の方便としてやっていたに過ぎないのだからね。だからアパートの住人と仲よくしていたわけでもない、したがってむかしの連中が懐しがってたずねて来ることもないというわけだよ。ふらふら出歩けば思わぬところでぱったり顔を合わせることもあるだろうけどさ、店番をしていりゃ外出する機会もない。釣りにいくのはべつだがね。そんなわけだから、葵荘にいた人たちが何処でなにをしているかということは、なに一つ知らないんだ」 「弱ったな」  思わず溜息がでた。はるばる鎌倉から出てきて、半日つぶした揚句がこの有様である、嘆息もしたくなるではないか。 「移転先の住所がわからなくても仕方がないから、せめて誰が石本峯子であるのかという問題がはっきりしてくれるといいんだがね」 「だからさ、顔や体つきの特徴でもいってくれないことにゃ、話にならないんだよ」  老人のいうことも無理がないのである。だが、そういわれてみると何か特徴があったような気がして、手帖のページをもどしてみた。 「そうだ、盲腸の手術をしたことがある」 「でもそいつは駄目だ。あたしゃ男なんだよ。一緒に湯に入ったことはないんだから、裸をみたわけがない」  なるほど、いわれてみればそのとおりであった。落胆したわたしが黙りこんでいると、老人はなにを思い出したのか、にわかにしゃがれた声を張り上げると、奥のほうへ声をかけた。 「おい、槻木さんを紹介してやった病院は何ていったっけな?」  即座に細君の声がもどってきた。だしぬけに槻木なんていわれても、誰のことだか判らないというのである。 「葵荘にいた女の人だよ。ほれ、離縁されたというんでお前が同情していたじゃないか。二階のとっつきにいた……」  老妻はようやく思い出したらしく、その病院は岩山さんだと答えた。わたしには老人の思惑がどこにあるのか理解しかねて、ぼんやりその顔をながめていた。 「大したことじゃないがね、あたしが管理人をやめようという二ヵ月ほど前のことだったが、槻木さんが妊娠して、子供をおろしたいという相談をもちかけられたことがあるんだ。そこで岩山医院を紹介して上げたんだよ。だからその病院へ行って訊ねてみれば、盲腸の痕があるかどうか判るんじゃないかね。手術をする前にゃ、むかしどんな病気をやったかなんてことを調べるだろう。だから、診察簿にのっかってると思うんだ」 「そうか。そいつは調べてみる価値があるな」  反射的に、はずんだ声がでた。産婦人科のことは全く知らないけれど、中絶だって手術に相違ないのだから、事前に全身の診察もやるだろうし、患者に既往症について訊ねるぐらいのことはするだろう。そうとすれば、老人がいうように、カルテにその旨が記載されているに決っている。問題は、米屋や区役所の場合と同様に破棄されているのではないかという点にある。だが、医師のカルテともなると、より慎重に扱われることが想像された。十年前の患者のカルテが保存されていることに、かなりのパーセンテージで期待をかけてよいのではないか、と思った。  わたしは岩山医院の所在をメモにとって、立ち上ろうとした。だが待てよ、槻木トク子のカルテに盲腸手術のことが記載されていたと仮定してみて、だから彼女が石本峯子であると断定するわけにはいかないではないか。八代さとにしても田沢直江にしても、盲腸炎というありふれた病気をやらなかったとはいえないからだ。八代、田沢両人に盲腸手術の経験のないことが判明しないかぎりは、槻木トク子のカルテに意義をみとめることはできない。  さらにまた、槻木トク子が盲腸をやっていなかったなら、疑惑の対象は一転してあとの二人に向けられなくてはならない。八代が石本なのか田沢が石本なのか、ふたたび振り出しにもどるのである。そうしたことを考えると、一旦は気負ってみたものの、前途には依然として一縷《いちる》の光明もないことに気づかねばならなかった。  わたしは敢えて立ち上った。悲観的な考え方をしていたのでは始まらない。とにかくやってみることだ。 「ついでに、もう一つ奥さんに訊いてほしいんです。田沢直江さんと八代さとさんに盲腸の手術をした痕があったかどうかということを。この人達は近所の銭湯にいっていたわけでしょう」  老人はまた、しわだらけの頸をよじり、しわがれた声で怒鳴った。二、三の応答がなされたのち、田沢直江も八代さとも、いずれもそのような疵《きず》痕はなかったという返事があった。疵があればそれは記憶にのこるに相違なく、なにも残っていないところから考えてみると、二人とも真白くてぽってりとした下腹だったに違いないというのだった。 「あの頃、ゴム紐の行商にきた男に瘰癧《るいれき》のあとがあったことまではっきり覚えているくらいですからね。その男の顔なんて十分もすれば忘れてしまったというのに」  彼女のそうした主張を、わたしは信じてもいいと思った。    10  まだ日没までには間がある。わたしはその足で岩山医院をたずねることにした。  この産婦人科医院があるのは台東区の揚屋町の四丁目だった。そういっても判らない人には、むかしの吉原だといえばピンとくるはずだ。わたしはバスに乗って白鬚《しらひげ》橋をわたり、泪橋までいって下車すると、あとは都電沿いに歩いた。運動不足のわたしは、外出するたびに、極力その機会をいかして歩くことにしている。いまだかつて単独でタクシーに乗ったことがないというのが、わたしのささやかな自慢なのだ。  ひと頃は不穏の空気にみちていた山谷も、今日この頃はねむったように静かである。焼酎でも呑んだのだろうか、昼日なかから赤い顔をした労務者が千鳥足であるいていたが、笑い上戸だとみえて、大声でわめいては腹をゆすぶって笑っている。それが、わたしが目撃した唯一の山谷らしい出来事であった。  山谷の停留所から右におれると、吉原はすぐ鼻の先である。入口のアーチにはいまもって「吉原」というネオン管がついているが、一歩それをくぐると、売春防止法が施行《しこう》される前の、あの日中のけだるいような青楼《せいろう》の面影はあとかたもなく消えてしまい、なんともまとまりを欠いた、ちぐはぐな雰囲気の町となっていた。  とっつきの江戸町は間口がひろく奥行がみじかい。そこに軒をつらねた娼家の多くが妓楼の看板をとりはずし、旅館や喫茶店やパチンコ屋などに商売がえをしている。なかには表扉をかたくとざしたまま、ひっそりと息をつめている店もあった。おそらくこうした店の主人は、ひそかに赤線復活の日のくることを夢みているのではないだろうか。ああした阿漕《あこぎ》な商売をしていた店の主人が、いまだに防止法の打撃から立ちなおれずにいるほど殊勝な人間だとは、なんとしても考えにくいからである。そうした家の外壁には、言い合わせたように『金春楼《こんぱるろう》』だとか『五十鈴《いすず》』などといった、むかし懐しい看板がそのままかかげてあった。  江戸町を通りぬけると、道をはさんで左が角町、右が揚屋町ということになる。江戸時代から連綿としてつづいた『角《かど》海老《えび》』は、この町角にあることによって名づけられたのである。尤もわたしはここの格式ばった風格になじめなくて、ついに一度も登楼したことがない。あの金銀や鼈甲《べつこう》の櫛で飾りたてた花魁《おいらん》を敵娼《あいかた》とし、吸いつけタバコか何かでやにさがりながら、「わちきはお主を好きでありんす」とか何とかいわれて、一夜の歓をつくしたかったものだと近頃しきりに悔まれてならないが、それも売春が禁止されたいまとなっては、何ともするすべもないのである。  ことのついでに説明しておくならば、この郭《くるわ》言葉の目的としたものの一つは、娼婦の出身地をかくすためだったという。早い話が相手の女から「おいどんは薩摩の産でごわす」なんていわれたらどうだろう。あたかも西郷どんと同衾《どうきん》しているような、勇壮にして武骨な錯覚をおこしてしまうではないか。おなじ内容を、「わちきは西国の生まれでありんす」というふうに囁かれれば、南州翁のまぼろしは一瞬にして何処かへけし飛んでしまい、逆に妖しきムードがかもし出されるというものだ。わたしは、こういう言葉を発明した遊女屋の親爺のわる智恵に感嘆しないわけにはいかない。  揚屋町のかどを曲ってしばらく行ったところの、とある路地の入口に立った。以前、その両角には『寿々本』と『青海波』という妓楼があったのだが、いまは前者はしるこ屋となり、後者の入口には、なかばちぎれた紙片が初秋の風にはためいている。目を近づけてみると売店舗としてあった。この店には切れ長の目をした鳥肌だつような凄絶な美人がいて、遊冶郎《ゆうやろう》が恋のさや当てから刃傷沙汰をおこしたことがある。防止法とともに廃業した彼女は、南多摩郡の町田市でサラリーマンの奥さんになったという話を聞いた。果たしておとなしく主婦の座についていられるかどうか、根が跳ねっかえりの女だったから疑問でならない。勿論わたしも一年間ほど根気よく通いつづけたが、資金切れで涙をのんだのだった。タバコ屋の老主人がおしえてくれた岩山医院は、この路地の奥にあるというのである。  つっ立っているわたしと、肩が触れるようにして、アロハにサングラスのおきまりの姿をした男がすぎていった。わたしは路地に入った。陽かげになったその小路は、冬のように陰気だった。二、三枚のおち葉と紙くずが小さなつむじ風にまき込まれて、店じまいをした娼家の勝手口のところでくるくると渦をまいていた。  岩山医院の玄関は格子戸をたてた日本風のものであった。いまどき、よほど辺鄙《へんぴ》な田舎へでもいかねばお目にかかれないような造りである。その格子に黒塗りの板がつるされてあり、白いペンキの毛筆書きで診察時間が記されている。わたしは腕の時計をみた。診察の時間がいま丁度おわったところであった。  すぐに手術室に通された。最後の処置がすんでまだ時間がたっていないのだろうか、看護婦が消毒器のなかでさまざまな器具の煮沸消毒をしていた。足でペダルをふむと音をたてて蓋があく。すると看護婦は蒸気のたつなかに手を入れて、ピンセットのようなもので金属製の器具をつぎつぎと取りだすのだった。 「……推理作家の鮎川哲也さんですか、ふむ」  岩山医師はわたしと同年輩ぐらいの小肥りの男だった。ふとい頸の上に、およそ医師には不似合の楽天的な童顔がのっている。 「申しわけないですが、わたしは推理小説は興味がなくて、何も読んでいないのですよ」  興味がなくて幸いである。そのお陰で、わたしが恥ずべき盗作者として世間から糾弾《きゆうだん》されている男であることなどは、ちっとも知っていない。わたしも、気が楽であった。 「随分たくさんの器具をつかうものですな」 「ええ、なにしろ手探りでやる手術ですからね、盲目の方がラジオの受信機の修理をやるように、非常に難しいのですよ。したがって器具もたくさん使います。いまつまみ出した棒、あれが消息子といいましてね」  医師は淡々とした口調でその使用目的を説明した。 「銀盆にのせてあるいろんな長さの棒、あれが拡開器です。医者によっては開口器とも呼んでますが、一号から二十五号まであります。いま終った患者さんには、四号から十六号までの大きさのものを使用しました。その隣りにあるのが麦粒鉗子で……」  医師はつぎつぎと器具の解説をしてくれる。どうやらわたしが取材の目的で来訪したものと早合点をされたらしいのだ。 「どうぞ、こちらへお出で下さい。そのほうがよく見えます。これがキューレットでして、胎児をかきとるために使います。考えてみれば残酷な仕業ですからね、キューレットを使う段になるとやはり心おだやかではないです。おれは一種の殺人をやっているのだと思って、気がとがめるものですよ」 「はあ、なるほど」  返事をするのもうわの空であった。わたしは元来が気のやさしい性格だから、斬ったのはったの血を流したのという話は大嫌いであり、手術だとか血潮だとか臓物などという話をきくと、それだけでもう全身から力がぬけていくような、なんとも頼りない気持になってくるのである。われわれ推理作家の仲間には、例えば某君、あるいは某々君はては某々々君の如く、婦人科の手術だと聞くと舌なめずりをして見学にいく連中が数多くいるというのに、何としたことであろうか、わたしにとってクレオパトラの喇叭管《らつぱかん》も蟇蛙《がまがえる》の脳下垂体も、グロテスクで吐き気をもよおすという点ではちっとも変らないのだ。 「どうも大変参考になりました。わたしの女房に処置が必要となった場合は、ぜひとも先生にお願いします」  器具の話をうち切らせようとして、わたしは口ばやにそういった。 「あなた、そりゃいかんですよ。女房に中絶させるなんて、夫の恥ですからな。わたしがこんなことをいうのは可笑しいですが、この手術は危険この上もない。ですからわたしの家内が五人目の子を身ごもったときには、生みたくないというのを叱りつけて生ませました。それほど危険な手術なのです。鮎川さんがこれ以上子供をほしくないなら、最初から妊娠しないように努力すべきですよ」 「そうですか、帰ったら女房にもそう注意をしてやることにします。夫ばかりが懸命になっても仕様がありませんからな。二人で一致協力ということにしないと」 「そうです、そうです」 「ところで今日おたずねしたのは」  間髪をいれずにいった。 「ずうっと以前、そうですな、かれこれ十年ばかり昔になるのですが、槻木トク子という女性が手術を受けに来たはずなのです。じつは混み入った事情がありまして、もう二週間ちかくこの人の行方をさがしてきました」 「ほう」  漠然とした興味を感じたらしく、医師は歩きかけた足をとめてわたしを見た。 「その人のカルテは保存してあるでしょうか」 「カルテは親爺の代から全部保管してありますよ。ただし、関係者以外にはお見せできないことになっております。ご存知でしょうが、医者には患者の秘密をまもる義務が負わされていますのでね」 「それは知っています。しかしですね、わたしはその患者がどんな手術を受けたかというようなことを教えて頂こうというのではないのです。槻木さんが盲腸の手術をした経験があったかどうか、ただそれだけを知りたいのですよ」 「ふむ」  医者のまるい童顔が少しやわらいだようだった。わたしは言葉をついだ。 「あまりくわしくお話をしては時間がかかって、お邪魔になりますから、かいつまんで要点だけをのべますけど、その槻木トク子さんがわたしの探し求めている人物か否かは、彼女が盲腸を切っているかどうかということで識別されるわけですよ。このわたしという一人の人間の浮沈にかかわる重大なことですから、ぜひ先生のご協力を得たいのです」  わたしの熱弁に岩山医師は心をうごかした様子だった。手術衣のポケットからタバコをとりだして口にくわえると、それに火をつける前にもう一人の看護婦をふり向いて、カルテを探してくるように命じた。 「ちゃんと整理してありますから、簡単にみつかりますよ。ま、そこにお掛けになって下さい」  人造革をはったスツールを指さした。わたしは何気なくタバコをはさんでいる彼の指を見、体つきはむっくりと肥っているのに、その指先の意外にすんなりとした恰好にしばらく気をとられていた。おそらくは手先が器用な性質なのだろうし、だからこそ見えない場所の手術もうまいわけなのだろう。 「吉原もかなり変りましたな」  質問を封じるためにわたしのほうから話しかけた。医師は膝におちた灰をしずかに掌に払いおとし、吸殻を灰皿にすてた。 「変りましたね。売春防止法が実施されたとたんに、空気が一変したものです。目でみるというよりも肌で感じましたね。そういう変り方です」 「女たちが荷物をまとめて散っていく光景は、ちょっとした観物だったのではないですか」 「いえ、一度に蜘蛛の子をちらすように去っていくのじゃなくて、徐々にいなくなるのですから、壮観というのとは程遠い感じでしたね。でも、かなりの数の患者だった女が暇乞《いとまご》いにきてくれましたよ。小金をためたものはこれから洋裁店をひらくのだといって意気揚々としている、その一方では失業して、これからどうやって食っていこうかというわけで悄然としているものもいる、といった有様でした。ついこの間、その意気揚々としていた一人が手術をうけにやって来ましたが、またどこかでもぐりの売春をやっているらしい。雀百までといいますが、ああした安直な手段で金をもうけることを覚えてしまうと、やめる決心はしたものの、忘れるわけにはゆかぬらしいですな」  そうした話をつづけているところに、先程の看護婦が一枚のカルテを手にして戻ってきた。器具の消毒をやっているのは小意地のわるそうな丸顔の年増美人だが、こちらは角ばった顔の不愛想な女だった。笑っては損だといわんばかりに、終始、仏頂づらをくずさない。しかしどちらも清潔な感じで爪をよく手入れしている点、さすがに職業がらだけのことはあると思った。  医師がカルテを眺めている間、わたしは所在ないままに室内を見まわしていたが、何気なく彼の机に目をやったとき、そこに置かれたガラス瓶のなかの異様な物体に気をうばわれた。イモリかヤモリのアルコール漬けを思わせる不気味なものである。全体が紫がかった灰色をしており、ぶよぶよした感触の、みるからに嘔吐をもよおさせるしろ物だった。何ヵ月になるのか知らないが、まぎれもなく胎児である。わたしも四十年ちかい昔、こんな姿でいたのかと思うと、人前で服をはぎとられたような何とも気恥かしい感じになる。と、その胎児の顔付がだれかに似ていることに気がついた。はて、誰だろうか。  わたしが胎児を見つめていると、むこうも負けずに、フォルマリンのなかからガラス越しにわたしを見返すようであった。胎児の頭には毛が一本もなく、頭全体がなみはずれたおでこのようである。そう考えたとたんに、大久保直公のことを思い浮べた。わたしはこのヤモリの化け物に眼鏡をかけさせてみる。するとその顔は、しわが寄った工合といい女好きな目つきといい、正に直公に瓜二つになるではないか。瓶のなかの胎児がいまにも口をあけて、彼独特の調子でへっへっと笑いかけてきそうな気がして、なんだか落着けない気分になってきた。  急に医師は顔を上げ、わたしに声をかけた。 「鮎川さん、このカルテがそうですな。当時の槻木トク子さんは江東区深川常盤町にお住いです。手術をしたのは昭和二十八年一月二十九日、優生保護法が改正されたあくる年にあたりますな。それまでは、何でもかんでも手術しちまうということは許されなかったのです。まあ、この法律が成立したことによって人妻が派手によろめくようになった、ともいわれております」 「ところで盲腸の痕はどう記入されていますか」  医師のお喋りに我慢できなくなって口をはさんだ。法律のことなんかどうだっていい。 「そうそう、盲腸手術のことでしたな。待って下さいよ……」  医師のほそい指先がカルテの上をたどり、一点で止った。すると陽気な笑顔がふっと消えて、たちまち渋面がとってかわった。 「訝《おか》しいな。記載されておりません」 「すると槻木トク子さんはわたしが求めている人ではなかったということになる。先生、これはすこぶる重大なことなのですが、ひょっとして、ひょっとしてですよ、先生が書きおとされたということは考えられないでしょうか」  わたしも必死である。先方の自尊心を傷つけぬよう顔色をうかがいながら、そう訊ねた。 「書きおとしということはあり得ません。しかしですね、こちらの予診に対して患者さんが故意に過去の病歴をかくそうと努めた場合は、あるいはうっかりして語らなかった場合もおなじことですが、記載もれという結果にもなりますね。早い話が心臓に異常のあるようなときには聴診器でいとも容易に気づきますから、以前に心臓病をしたなどということはすぐに知れますが、例えばその人がひどい頭痛持ちであるなどということは脳波のテストでもしない限り判らないわけですよ。この槻木トク子さんの場合、盲腸の疵痕は下腹部にあるのですから、おそらく手術をするときに目にふれたと思いますが、関連性がないのであらためて記入することをしなかった……、こんなふうにも想像されます」  なぐさめ顔に医師はいった。  結局この訪問では、槻木トク子は石本峯子であるかもしれぬし、ないかもしれぬという、至極曖昧な収穫しかなかったことになる。せめてカルテに彼女の移転先の住所でも記入されてあれば……と期待していたのだったが、それすらも外れてしまった。 「その後ふたたび手術を受けにきたことはなかったでしょうか」  あたらしいカルテには新住所が書かれているに相違ない。そう思ったのだ。 「ありません、一回きりです、患者さんのなかには二度と手術を受けまいと固く決意する人もいるかわりに、二度三度と平気でやって来るのもおりましてね」  医師は壁ぎわの、これも黒いレザーを張ったベッドを目で示した。上からカーテンがさげられ、被術者の顔をかくすようになっている。 「患者さんはあの上に寝て、非常にぶざまな姿になるわけですよ。それを極度に恥かしがって一回でこりごりだという女性と、安直に割り切って、顔色一つかえない婦人とふたとおりあるわけですな。しかし大体において、女性なんてものは図々しくできているようです。可憐なようでいて残虐で、しとやかなようでいて図々しくて、全く得体の知れぬ怪物だということを、こんな仕事をやっとりますと、つくづく思い知らされますよ」  しんからそう考えているように、真剣な顔つきでいった。しかし、それは女とばかり限ったものでもないだろう。男性がこの医師の評価をうけないのは、単に、妊娠して手術室のベッドに横臥するという機会がないからにすぎないのだ。  わたしは長居したことを謝して立ち上った。そして、役にたたなかったことを済まなく思っているような顔つきの岩山医師におくられて、玄関をでた。だがそのときのわたしは、槻木トク子のカルテに肝心のことが記載されていないからといって、少しも落胆してはいなかった。  わたしが葵荘の住人のなかから三人の女性をえらび出したやり方は、この上なく慎重なものだった。そのうちの一人が石本峯子であることは疑問の余地がない。そして田沢直江と八代さとの二人には手術の痕跡がなかったと称するタバコ屋の老妻の言葉があやまりでない限り、トク子は絶対に石本峯子その人であるに違いないのだ。    11  その後の二日間はなすことなく過ぎた。疲れがでたとみえて体がけだるく、いくらか熱っぽかった。二日目の二十三日には大橋刑事が再度たずねてきて、とりとめのない雑談をして帰っていったが、その目的がわたしを監視することにあったのはいうまでもない。終日むねがもたれたような気分になり、夜は早目に床についた。  あくる日のこと、思いがけなく花屋が美事な懸崖の菊の鉢をとどけに来て、呆気にとられているわたしに、お代はすんでいますからと言いおいて帰っていった。それぞれの鉢にはビニールの袋に入った小さなカードがつけてあり、封を破って読んでみると、『塵の会』からの心のこもった励ましの言葉がうつくしい文章でしるされてあった。なんという好意! なんという優しさ! それを一読したとたんに、全身の疲れが勢いよくふっ飛んでいったように爽やかな気分になり、猛然たるファイトが湧いてきた。  わたしは久しぶりに机に向った。槻木《つきのき》トク子の行方をさがすには新聞広告によるのが手取り早いと考え、その文案を練ろうと思ったのである。いままで、新聞の広告というものには大して関心もなく、滅多に読むこともなかったけれども、いざ自分で文句を勘案しようとすると、容易なわざではないことが判った。なにしろ一字が何十円にも相当するのだから、しまりのない文を書いたのでは料金が大変なものとなる。なるべく短くて、しかも効果的な広告文をつくるということは、わたしのような長篇作家には体質的に不可能にちかい仕事だった。十余年前ニ深川ノ葵荘ニ居住セシ……、これも駄目だ。槻木トク子氏ノ行方ヲ知リタシ、同氏ハ十年ノ昔——。これも駄目。  大久保直公から電話がかかってきたのは、考えあぐねて鉛筆をなげだして旨くもない渋茶をのんでいたときだった。三時を少しまわった頃のことである。 「あなたに会いたいという人がいるんだ。住所が判らないもんだから編集部に電話をかけてよこしたんだよ」 「誰だい?」 「真木竜子というんだ。まだ顔をみてないから別嬪《べつぴん》かどうか判らないけどもさ、なんでも時間に制約されているから、鮎川さんのほうで東京に出てきてもらいたいといってる」  真木竜子なんて聞いたこともない名だ。その未知の女が会いたいから上京しろというのは、少し礼儀を知らなすぎはしないか。わたしがむっとしてそう答えると、大久保は同感の意を表した。 「それは鮎川さんのいうとおりだよ。ぼくも頭にきたもんだからね、一体なんの用だと高飛車にでたんだ。すると槻木トク子さんのことで少々お知らせしたいことがある、というじゃないか。こいつは会ったほうがいいと考えたもんだから、早速あなたに連絡したわけなのさ」 「そいつはいいニュースだ、有難う。すぐ出掛ける。どこに行ったらいいのかね?」 「いまぼくは印刷工場の校正室にいるんだよ、出張校正でね。こっちへ来てくれないかな」  わたしは受話器をおくとただちに外出の支度をした。ズボンをはいて半袖のシャツを着、財布をもてばそれでいいのだから、五分とはかからない。  飯田橋からバスに乗りかえて五分ほど走った江戸川橋に、『月刊推理』の印刷を引き受けている協和印刷の大きな建物がある。灰色の工場が幾つもならび、神田川のにごった流れにそれぞれの影をおとしている。ユニフォームを着た工員が並んでキャッチボールをやっているかと思うと、となりの棟では、刷り上った紙を大型トラックにいそがしく積み込んでいたりした。  橋をわたり、石の門を入ると正面に四階建ての社屋があって、広場には二十台ちかい車が駐車していた。そのほとんどが一流の出版社の車である。  わたしは大久保の愛車ポンコツ㈿号がいないかと思ってきょろきょろしたが、見つからなかった。さてはおんぼろ車で乗りつけるのが気恥かしくて、歩いて来たとみえる。この車は天井に大きな穴があいていて、雨天のときは屋根にビニールの風呂敷をひろげ、四隅をセロハンテープでくっつけて走らなくてはならない。先年の冬、池袋から東京駅までのせてくれたのはいいが、寒風に吹きさらされたわたしは、風邪をひいて十日あまり寝こんでしまったくらいだ。夏は夏でその穴から直射日光がさすから、色白の大久保は飛びでたおでこの部分のみが真黒にやけ、正面からみると一種異様なご面相となる。  出張校正室はその背後の、さらに一段と立派な三層のビルであった。入口を入ったところに案内板がでていて、それに「何々社様、何号室」と記入された札がずらりとさげられているところは、ホテルの結婚披露場かなにかを連想させる。そういえば、廊下や階段にあかい絨毯がしきつめられてある点も、廊下の両側に校正室がならび、扉がぴったりと閉じられているさまも、どこかのホテルに似ていた。わたしは二階にのぼり、「推理社様」という板きれがかけられた扉をたたいた。すぐに扉があいて、あの美人の記者が顔をだした。 「どうぞ」 「ボッコちゃんは?」 「いま、真木さんという女の人を迎えにいっているんですの」  なるほど、だから車がなかったわけか。 「帰ってくるのは五時すぎになるだろうといっておりました」  出張校正といえば戦場のようにあわただしいのが普通である。工場で植字した活字づらにインクをはき、紙をのせてローラーでこする。いわゆるゲラ刷りというのがこれだ。それをぺージ順にそろえて、メッセンジャーが校正室にとどけてよこす。出張している編集部員は読み合わせをしたり原稿と照合したりしてミスをなおす他に、逆さになったり横に寝たりしている誤植に朱を入れて、ふたたび工場に逆送するのである。睡眠不足のあかい目をしょぼつかせながら、不精ヒゲを生やした野郎同士でベッドシーンの読み合わせをやると、それが濃厚な書き方をされていればいるほど、あさましくて興ざめだそうだ。さもありなん、と思う。  工場ではしるしをつけられた活字をなおし、あらたに書き入れられた原稿によって組み替えをしたりしたのち、再校ゲラをまた校正室に送る。『月刊推理』は三校までとってから輪転機にかけることになっているが、そうした一切の仕事をきわめてかぎられた日数のうちにやってしまわなくてはならないのである。工場のほうも機械を動かすスケジュールは先の先まできちんと立っているし、校正室のほうにはつづいてべつの雑誌社が入る予定になっているのだから、のんびりしてはいられない。気がいらだっているのが当然であり、殺気だたないとしたらむしろ不思議であった。 「わるいなあ」 「いいんですのよ。今日で校了になるんですけど、今回はとてもすらすらいって、時間があまるくらいですの。それにうちの編集長は、相手がわかい女性となると目の色かえて飛んでいくんですわ。それが趣味ですのよ」  なにもそう恐縮がることはない、というのであった。  校正室はつめたい壁にかこまれた、一見、病院の個室といった感じがした。室内にはカーペットは敷かれていない。中央に大きなテーブルがあり、周囲に六脚ばかりのイスがおかれている。机上にはゲラと作家の原稿とが散乱していて、そのどちらにも、赤インクや赤の色鉛筆で校正専用の文字や記号がかきなぐられていた。作家が、あるいは奥さんに、あるいは二号さんに清書をさせ、きちんと揃えて綴じさせた苦心の原稿も、いったんそれが編集者の手にわたされるとこの有様だ。わたしの原稿はそこにないのだけれど、無残な光景を目にすると、やはり胸が痛むのである。 「みんなはどうしたの?」 「いま食事に出ていったんです。ここの食堂の定食は飽きたといって、水道端のほうへ食べにいきました」  そいつはチャンスだ、とわたしはほくほくした。この柳下良子という記者はすらりとした痩せ型で、赤いやや厚みのある唇はいつもぬめぬめと濡れているようにみえ、すべてがわたしの好みに合った女性だった。真夏にはサングラスを好んでかけるが、そうすると表情にきついアクセントがついて、知性がありながらチャブ屋の女のような妖しい魅力があふれ、それはもう震《ふる》いつきたいほどになる。彼女の黒い瞳をみていると盗作問題もへったくれもなくなり、ひたすら没我の境に身を投じたい思いに駆られるのだ。  夏の終りに彼女をさそって、箱根に半日のドライブをこころみたことがある。が、気のきかない大久保がのこのこついて来るものだから、あのときはほんとうに往生した。芦ノ湖のモーターボートの上でも、駒ケ岳のケーブルカーやロープウェイのなかでも、わたしと柳下良子の間には決って直公がわり込んで坐るというわけで、さすが温厚のわたしも腹がたち、ぷりぷりし通しだった。そのとき失った機会が、いまふたたび廻り来たったのである。  だが、いきなり手を握るわけにもゆかぬ。ものには順序がある。色事師たるもの一挙にはやることなく、そこに至る過程をこそ楽しむべきだという話を、ベッドシーンを得意とする推理作家の短篇でよんだ記憶があった。その道の専門家がいうのだから嘘ではあるまい。 「この間の大福は旨かったかい?」  おもむろに切りだした。いつもならば美人を前にすると顎ががくがくするのだが、今日はふしぎに微動だにしない。 「美味しかったわ」 「でもね、大福一個で誘惑しようとするなんて、直公のやつ案外しみったれてやがるな」 「そうじゃないのよ、あのときはしけてたんですの。本当はうちの編集長ったらとても気前がいいんですわ」  身内の悪口を言われるのはいやだとみえ、彼女はむきになって弁明しはじめた。 「なにしろ下町の生まれでしょ。だから宵越しのお金を持ってるなんて恥みたいに考えているんです。サラリーは幾らもとっていないくせに、先生方とお酒を呑むと、いつも自分のほうからぽんと払っちゃうの。お釣りはいらないよ、なんて……」  そういえば直公は子供の頃からそうだった。中学生のわたしは、肩揚げのとれない小僧ッ子の彼に、しばしばカルメ焼きや心太《ところてん》をおごられた覚えがある。後年これを省みて、年長者でありながら少々だらしのない話だったと反省したくもなるのだが、なにぶんにも大久保が典型的な江戸ッ子気質の持主なのだから止むを得まいではないか。 「でも、そう無駄づかいをされては家計をあずかる奥さんがたまるまい?」 「そうなんです。しわよせはみな奥さんのとこへいくんです。家計をけずれ、三度のめしは一汁一菜にしろ、お前が栄養失調で死んだら、おれが骨を拾ってやるなんて、浪曲みたいなこというんですわ。奥さんがほんとにお気の毒……」  下をむいて声をつまらせた。 「そのくせ会社にでてくると、女房の飼育に成功した成功したといって、会う人ごとに自慢するんです。なにさ、そんなに削るのが好きなら、自分のおでこでも削りゃいいじゃないの」 「ま、そうおでこおでこというなよ。あれで結構気にしているんだから」  もうそろそろよき頃だろう。わたしはそう判断していきなり良子の手をにぎると、ぐいとばかり引き寄せた。 「あれエ……」 「しっ、でかい声だすな!」  わたしは一匹の狼となっていた。理性なんてとうに何処かへすっ飛んでいた。 「みんなが帰ってくるわよ」 「いま出掛けたばかりだといってたじゃないか」  机の上のゲラ刷りと原稿を手早くはらいのけ、そこに良子をおし倒して、必死の抵抗を排除し、いましも乱暴狼藉におよぼうとした。 「おじさま、勘忍して! 良子お嫁にゆけなくなるウ」  どこかで聞いたことのあるセリフだ。 「いやです。だめ、止して! 人がみてるわ」  柳下良子はすんなりした両脚を必死でばたつかせた。わたしはいきなり猿臂《えんぴ》をしかるべき個所にのばした。  ××、×××××××。××××、×××、×××××××××××。×××××。 「××××、××……」  ×××××、×××、×××××××××××××。 「お願い、そこで人が見てるのよ。恥かしくて死にたいくらい」 「どこにだい、誰もいやしないじゃないか」 「後ろをふり向いてご覧なさいよ」  背後をみて愕然とした。静かな教授がそこにいた!    12  静かな教授というのは、多岐が書きおろした同題の長篇からきている。この日の多岐恭は白いリネンの上衣をつけ、黒いボウタイをきちんと結んで、壁に背をくっつけるようにして端然と机にむかっていた。書きかけの原稿用紙と小辞典、それに万年筆が二、三本。あとで知ったのだが、めずらしいことに今回の彼は締切りに間に合わず、非常手段としてここに缶づめにされていたのだった。  出張校正室に留置された場合、段取りはつぎのようなことになる。すなわち、書いた原稿は片はしから編集員がとり上げて割りつけをし、メッセンジャーに持たせて工場にとどける。原稿を画家にまわす時間的な余裕がないから、絵組みと称して、先に作者のほうが絵になるようなシーンを幾つか設定し、人物の特徴をのべたメモとともに編集者にわたすのである。画家は編集者からとどけられたデータによって、まったくの想像だけをたよりにして挿絵をかくことになるのだ。したがって思い違いを生じることもあり得るわけだし、編集部にしても画家にしても歓迎しない方法なのだけれども、ときとしてはこうした手段によることもあるのである。いずれにしても滅多に生じないケースだから、わたしとしても、ここにこんな伏兵がいるとは予想もしなかったのだ。 「やあ、とんだとこを見られましたなあ、あっはっは」  わたしは照れくささを誤魔化すために、ただもう口を大きくあけて笑った。一昨々日、編集室で大久保の濡れ場をたしなめたわたしは、わずか三日のちに、全く逆な立ち場におかれたわけだ。顔は笑っているものの、恥かしくて正に卒倒しそうであった。床に絨毯がしいてあれば、ゴキブリと化してその下に潜り込みたき心境でもある。  わたしがああした行動にでる直前に、多岐が「よう鮎川さん」とかなんとか、ただ一言でいいから言葉をかけてくれれば、わたしは恥をかかずにすんだ筈である。彼の沈黙がうらめしかった。  だが、腹をたてる気にはならなかった。多岐が黙っていたのはべつに出歯亀君みたいな覗きの趣味があったわけではなく、もともと口数の少ない性格の持主であることを、わたしがよく承知していたからである。そうした多岐の性質をものがたるエピソードは、幾らでも数えることができる。  例えばこんな話がある。ある編集者が彼の書斎をたずねて三時間ほど語って帰ったが、この間多岐が発言したのはただの一回だけ、それも、「ちょっと……」といったきりだという。この「ちょっと……」と言ったのは多岐がトイレに立ったからであり、もしそれをしなかったならば、彼は前人未到の沈黙の記録を樹立するところであった。  多岐はかつて『月刊推理』に連載された長篇≪処刑者≫の稿を起すにあたって、大久保直公とつれだって箱根へ取材におもむいたことがある。取材中は「秋草がきれいだね」とか「ロープウェイに乗った女は美人だったね」とか「峠の茶屋でまんじゅうを食いそこなったのは残念でたまらんね」とか呟くようにいうこともあったそうだが、さて宿についたとたんに抑鬱症にかかったカタツムリの如く黙り込んでしまい、大久保がどう話しかけても、ウンともスンとも答えなくなった。大久保がお喋りの伝六であるならば、さしずめ多岐はむっつりの旦那ということになるわけだが、それにしてもこの旦那の沈黙は徹底していたそうだ。あふれるような温泉にひたっても、いい湯だともいわなければ、山の幸と海の幸をこてこてと盛った夕食を食っても、べつに旨かったともいわないし、満腹したともいわない。 「とりつく島がないとはあのことなんだな。弱っちまってね、取材をすませたら宿なんかに泊らずに、そのまま東京に帰ればよかったとつくづく後悔したもんだよ」  わたしにその話をしたのは三年もたった後のことだったが、にもかかわらず大久保は眉をかげらせて、長嘆息した。  思うに、多岐は小説のプロットをたてていたのではないだろうか。胸中にさまざまな性格を持った人物群が空想され、彼等によって惹き起される事件のかずかずが想定される。それを追いかけるのに夢中になって、大久保直公の愚にもつかぬお喋りなどまるきり耳に入らなかったのではないか。  テーブルを前に黙然として対峙しつづける推理作家と編集長の姿が、膳をさげにきた女中の目に奇異なものとして映じたことはむりなかった。それから後は三、四十分ごとに分別くさい顔つきの番頭がやってきて、やれアンマは要らぬかの、娯楽室でビリヤードを突かぬかなどとうるさくすすめた。 「つまり、われわれがあまり沈んだ様子をしているもんだから、てっきり同性心中をやらかすんじゃないかと警戒されたわけなんだよ。だけどさ、ここだけの話だが多岐さんと心中することだけは願いさげにして貰いたいもんだね。戸川正子さんとならつき合ってもいいけどよ」  大久保は頸をすくめてそういった。  だから、この寡黙の推理作家が都心のあるホールの壇上に立ち、推理小説について一席ぶったという話を東都ミステリイの担当者であるH氏から聞かされたときには、わたしもことの意外さにびっくりした。持ち時間は三十分だったそうで、まさか半刻《はんとき》の間を棒みたいにつっ立っていたわけでもあるまいと思って訊いてみると、「いやなかなか美事な話しぶりで、鮎川さんの文章をひき合いにだして褒めていたですヨ」とのことである。わたしはまたまた魂消《たまげ》てしまった。  つい先年まで、本格派の書く文章はなっておらんというのが大方の評であった。本格派のあれは「探偵小説」ではなくて「探偵綴り方」であるなどと巧いことをいう人もいて、わたしは腹を立てるよりも笑ってしまったものだ。彼等のそうした批判を、わたしはいまもって忘れることはできない。わたしが遅筆家で日にようやく六枚というのも、悪文コンプレックスがペン先にまつわりついて離れないからである。そうしたわたしの文章を、推理小説向きの簡潔な筆だといって、≪落ちる≫のころから秘かに感服していた名文家の多岐恭が称揚してくれたというのだ、驚かぬわけには参らない。  しかし考えてみると、遅筆だの速筆だのというのは生得のものなのかもしれない。ハードボイルドの第一人者として自他ともにゆるす大虻《おおあぶ》春彦の作品なんか文章がスピード感にあふれているものだから、読者のほうはつい錯覚をおこして、すごい速筆家のように思い込み勝ちなものだけれど、じつは案に相違してひどい遅筆家なのだそうだ。二、三行書いては気に入らず、原稿用紙をくるくるとまるめると、振り向きもせずに背後の屑籠にポイと投げ捨てるのだそうだ。そうだ、そうだと無責任な引用ばかりしているようだが、編集者とはちがって作家には同業者の仕事部屋を覗き込む機会がない。いきおい、噂にたよるのは止むを得ぬことなのである。大虻の場合、三十分とたたぬうちにあたりは紙屑だらけになるそうで、「まるでマンガに登場する作家そっくりですよ、うふふ」ということである。  褒めるといえば、関西の沈舜水が神戸のホールで講演した際にも、「昨今推理小説のブームだといわれておりまするが、鮎川哲也という本格派の作家がおりまして、この人の本が十万二十万と売れるような日がこなくては、真のブームとはいえんのであります」といささかアクセントの怪しい標準語で絶叫してくれたことがあるそうだ。沈舜水にも鰻をおごって謝意を表したいと思っていたが、「ぼくはああしたぬるぬるした魚は好かんのや」とのことで断念した。残念である。  さてその後、日比谷のあるホテルで開かれたパーティの席上でひょっこり多岐の姿を見かけたので、近づいていって「褒めてくれたそうでどうも……」と礼をいうと、彼はまた平素の寡黙家《かもくか》に還元していて、つぶらな目をただ二、三度ちかちかさせただけであった。  口数が少ないだけに、多岐恭の姿を注意ぶかく観察してみるならば、心の底の感情をじつに雄弁にもの語っていることに気づく筈である。例えば『塵の会』の作家に対するときには、それは憧れと讃仰をこめて、雲母の如くきらきらと輝きだす。一転してわれ等同性作家に向けられると、さながら都衛生局のヴァキュームカーでもながめるように露骨な嫌悪感をうかべ、急速に光が失われていくのだ。本人がいかにポーカーフェイスをよそおっていても、わたしの目を瞞《あざむ》くことはできない。  校正室における彼の眸にうかんだものがまぎれもない軽侮のいろであることを知り、わたしは狼狽した。 「た、た、多岐さん!」  情けなくも声がかすれ、うわずっている。 「い、いまのこと、だ、誰にもいわないでほしいんだ」 「判ってます、鮎川さん、判ってます」 「判ってくれる? ほ、ほんと?」 「信じることです。鮎川さん、ぼくを信じることです」  抑揚のない、しずかな声であった。柳下良子はわたしの横でスカートのフックをはめていた。 「鮎川さん、あなたはいま盗作問題で頭がいっぱいなはずです。これ以上なにを悩む必要がありますか。ぼくはいま原稿かきに没頭していたから、他のことは何もみなかったし聞えもしなかった。大久保君には口がさけても喋らないから安心なさい。お喋りな彼の耳に入ったら一大事だ、たちまち噂がひろがってしまう。あなたは自殺でもしなくてはならんことになります。柳下良子さん、よろしいですか。いまのことは絶対に洩らしてはなりませんですぞ」  わたしは顔を上げ、レンズの奥のつぶらな眸をみた。そこには幾分の優越感とわたしに対する憐愍《れんびん》のいろがないまぜになっているように思えた。多岐の牧師の説教を連想させる真摯《しんし》な口吻に、わたしはそれを信じていいのだと直感した。わたしの腕は無意識にのび、ペンダコのある多岐のなまあたたかい手をかたく握りしめていた。 「やあ、鮎川さん、すっかり待たせてしまった。多岐先生、原稿どのぐらいできた?」  元気な声がして、大久保が入ってきた。そして、わたしの顔をみると、いぶかしそうに小首をかしげた。 「どうしたの? 虚ろな表情をしてさ」 「いや、何でもない。夕めしに何を食おうかと考えていたところだ」 「そんならいいけどさ。ああ、入って下さい、遠慮はいらないですよ」  あいている扉の外に声をかけた。するとクリーム色のブラウスに格子じまのスカートがふわりと動いて、スモークグリーンのサングラスをかけたわかい女が入ってきた。廊下には絨毯がしいてあるけれども室内の床はむき出しのままである。とたんにハイヒールの音が高く聞えた。 「鮎川さん、こちらが真木竜子さんですよ」 「…………」  記憶にない女である。わたしを呼びだし、槻木《つきのき》トク子についての情報を提供しようとするこの女性は、一体どこの何者なのか。  女はゆっくりとした動作でサングラスをはずした。その素顔を目にした瞬間、わたしは思わず息をのんだ。なんとそれは、一昨々日の二十一日の夕方、吉原の婦人科医院の手術室で器具を消毒していた丸顔の看護婦ではないか。 「まあ……まあ、掛けて下さい」  真木竜子が腰をおろすと、柳下良子が気をきかして散らばったゲラ刷りを手早くかき集めた。 「仕事がおわったので急いできたんです。夕食までに帰らないと工合がわるいんで、早くしたいんですわ」  目鼻だちがくっきりしていて、小柄で、一見可愛いげだが、目に険がある。それが彼女を底意地のわるそうな女にみせていた。 「判りました。すぐ話を聞きましょう。槻木トク子さんの行方を知ってらっしゃるそうだけど……」 「ええ。でも、幾らくださる? ただじゃ嫌ですわ」  口のきき方がてきぱきしている。物事をわり切って考えるたちの女らしかった。正直のところわたしは、真木竜子なる女性の申し出は彼女の好意によるものであり、それに対して心ばかりのお礼をすればよいのだろうというふうに、きわめて安直に考えていたのである。わたしどもの世代にはそれが通用しても、若い世代にはまったく通用しないということは観念的には承知していたけれど、いざその場になるとつい失念してしまうのであった。竜子にきりだされ、わたしははっとした。財布の中身は一万五千円ぐらいしかない。 「お礼はだしますよ。幾らぐらいほしい?」 「一万円でいいわよ」 「まあその程度なら持ってる。しかし、あなたの話というのはどんなこと?」 「槻木トク子の居所を知っているんです。くわしい話はあと廻しにして先にお金もらいたいんだけども……」  一万円札をだした。女はそれをぱちんと指ではじいてから、ハンドバッグにしまい込み、かわりに小さな紙片にかき写した住所のメモを机においた。江戸川区|鹿骨《ししぼね》町二五八一 堀松子。  江戸川区というのは、いま話をしているこの江戸川橋とはまるで方角がちがう。ここは都心ともいうべき場所だけれど、江戸川区は東京の東のはずれにあり、千葉県と境を接している。鹿骨町一帯は農家の多くが花卉《かき》の栽培を手がけていて、早春の都内の花屋にかざられるパンジー、デイジー、シクラメン、グロキシニア等々の鉢物は、そのほとんどが鹿骨から出荷されるのである。 「この堀さんという人の家に、槻木トク子さんが住んでいるわけですね?」  間借り生活でもしているのだろうと、わたしは考えていた。 「そうじゃないんです。この堀さんが、あんたが探している槻木さんなのです」 「だって姓も名も違っているじゃないですか」 「それはお嫁にいったからだといってました」 「結婚したのなら姓は変るだろうけど、名まで変るのはおかしいね」 「おかしいといったって、この人が槻木トク子さんなんだから仕様がないじゃないの」  看護婦はきっとなって喰ってかかるようにいい、下手に喧嘩をして一万円札をとりもどされてはつまらないとでも考えたのか、すぐに態度をやわらげた。 「トク子っていう名はスマートじゃないでしょ。だから改名したんじゃないかしら」 「松子だってあんまりいい名じゃねえな。目玉の松っちゃんみたいだからな」  大久保が横から口をはさんだ。  目玉の松っちゃんというのは、活動写真の草創期に活躍した時代劇の人気俳優のことで、すべての人に愛称をもって呼ばれた役者は、あとにも先にもこの目玉の松っちゃんとエノケンぐらいのものであろう。ニックネームのとおり、目玉が大きかったが、ずんぐりとして幅広の、どちらかというと醜男に近かった。 「とにかく、あんたが堀さんとトク子さんが同一人物だと断定したいきさつを話してみなさい。そうすりゃこの人も、納得するんだから」 「いいわ、話すわ」  女はちょっと言葉を切って唾をのみこんだ。 「あたし、記憶力はわりかしいいんです。だから患者さんのことならたいてい覚えています。うちの先生によろめきの果ての赤ちゃんを始末してもらった奥さんが、何年かのちに、なにくわぬ顔で旦那さんとデパートなんか歩いているのとすれ違うと、つらの皮をひん剥いてやりたくなるんです。そんな経験がしょっちゅうありますわ。だってあたしがあの病院に入ってから、もうずいぶんになるんですもの」  胎児の摘出は平均五、六分でおわる。したがって患者の回転率もはやく、一日に手がける患者は相当の数になるから、よろめきさんに出会うのは不思議ではないのだという。 「それに、槻木トク子さんは顔と声があたしの従妹にとてもよく似ているんです。だから、よけいはっきり覚えていたんですわ。槻木トク子さんが二度目に来たときも、すぐ気がつきました。ところが堀と名乗るもんだからその名で以前のカルテを探すけど、見つからないんですわね。女の人って結婚したり離婚したりするから、名前が変るのは慣れてますけど」 「だが、岩山さんは彼女が二度と来たことがないといわれたよ」 「それは先生の記憶力があたしほどでないこともあるけど、もう一つの理由は、二度目の手術は室伏先生達がおやりになったからです。うちには、先生がしめて三人いるんですわ」  一人の手術に二人の医師がつくのだそうだ。 「前のカルテの名を書きかえて使おうと思ったら、堀さんは止めてくれというんです」 「どうして?」 「決ってるじゃありませんか。結婚前にも一度中絶したことがあるなんて記録を残せば、あとでいざこざが起ったとき大変ですもの」 「なるほどね」 「ですから、そんな場合には患者さんのいうことを聞くことにしているんです」  扉があいたかと思うと、顔見知りのわかい編集員がどやどやと入ってきて、わたしに手をあげて挨拶したり、黙礼をしたりした。『月刊推理』の編集者はまじめで優秀な人がそろっている。なかの一人は小脇に書評紙らしいものをかい込んでいたが、すぐにそれを多岐にみせている気配がした。 「ほうら、出ているでしょう。多田慎吾のやつ、近頃ますます調子にのってますね。大上段にふりかぶってる。自分より偉いものはないって感じですね」  新聞をひろげる音がした。多岐恭が多田の書評を走り読みしている様子である。 「多岐先生はどうですか、批評家に叩かれると癪《しやく》にさわりますか」 「ぼくは平気です。怒ったことがない。どんな批評をされても、尤もだなあと思いますよ。素直なたちなんだなあ……」  手放しで自讃している。 「多田にやられても平気ですか」 「いや、この男だけは駄目なんだ。腹は立てないけれども、尤もだなあと感心することがないのですよ。多田という男は、なにか人間的に欠陥があるんじゃないかな」  寡黙がトレードマークである多岐が、執筆がはかどったせいか珍しく軽い口調で喋っている。多田のやつめ、ざまア見やがれと思う。執念ぶかい多田慎吾は、今週号の書評においてもスッポンみたいにわたしに噛みついているに違いないのだ。 「用がないなら帰るわよ」  しびれを切らしたように真木竜子はいった。ハンドバッグをしっかり抱きしめ、二度と離すまいとでもいうような恰好である。 「ああ、いいです、ご苦労さん」  わたしは、大久保に送られて出ていく女の背後に声をかけながら、心のなかではこれから直ちに鹿骨町へまわってみようと考えていた。槻木トク子の居所が判ったというのに、荏苒《じんぜん》として腕を拱《こまね》き、明日まで待つことはなかろう。 「そいつは賛成できないな。女の所在がはっきりしたんだから、もう慌てる必要はないと思うよ」  戻ってきた大久保はすぐに反対した。 「明日が校了だから、明後日まで待ってぼくと一緒にいきましょうよ。ぼくという証人がいないと、あとでどんな言い逃れをされるか知れたもんじゃない」  前にもしるしたとおり、わたしという男は女性が苦手だ。これは内緒の話だが、『塵の会』の連中をちらりと見ただけで鳥肌がたち、しゃっくりが出てくるほどである。一人でいくなどと勇ましいことを考えたものの、ここはやはり世慣れた大久保を連れていくほうが、何かにつけて便利だろう。 「それから、金沢さんも同行させて上げたらどうかな。対決の場に同席したいといっていたからね」 「異存はないよ。連絡はきみがやってくれ」  いよいよ終盤戦にきたことを思うと、じっとしていられない気持である。同行者の数がふえすぎると、舟、山に登ることにもなるが、三人ぐらいならば丁度いいところだろう。 「多田のやつ、何ていって謝るだろうな」  なによりもまず、そのことが浮んでくる。 「案外けろりとしているんじゃないか。常識では律し得ない男なんだから」  大久保が明るく笑う。誰がけろりとさせておくものか、とわたしは思う。    13  あくる日の過ぎるのが、ひどくもどかしく感じられた。午後から机にむかうと、『塵の会』にあてて、菊の鉢の贈り物に対する礼状を時間をかけて書いた。一つの鉢は玄関の靴函の上に、そしてもう一つはいま手紙をしたためているテーブルにのせられ、馥郁《ふくいく》とした香りをあたり一面にただよわせているのである。  それにしても、女性に手紙を書くのはなんと難しいことだろうか。励まされる身の倖わせをくどくどしたためると、一見恋文ふうな文章になってしまうのである。これが彼女たちの旦那さんの目にふれたならば、どんな誤解をまねくか知れたものではない。そうしたことを考えると、通りいっぺんの、至極形式的な、無愛想な礼状とならざるを得ないのだ。だがそれでは、せっかく好意をみせてくれた彼女らに対して相済まない。わたしは三時間あまりも机にむかい、頭をさんざんなやませた揚句、ようやくのことで書きおえた。正にそれは長篇一本を脱稿するほどの苦行であった。  封をして切手をはってしまってから、ピースに火をつけて一服する。そして、わたしがなぜかくも女性作家にもてるかをつらつらと考察してみる。彼女らが手紙をくれたり贈り物をくれたりするのは、女性特有の思いやりのある性格によるものであろう。だが、これがわたしでなくて、例えば多岐恭や紀野舌太郎だったとしたら、どうだろうか。恐らく彼等にはハナもひっかけないに違いないのだ。では女性作家がそろってわたしにのみ好意をみせてくれる理由はなんであるか。これはわたしの単なる想像にすぎないのだけれど、そのわけは、わたしのセックスアピールにあるのではあるまいか。  そう考えてみると、あれこれ思い当るふしがいくつもある。ホテル・オークラのロビイで会ったときの新庄文子が、わたしを見つめた際のあの陶然たる眸。鎌倉の尼寺のつめたい畳にぺったりすわって、わたしを熱っぽく見上げたときの難波きみ子のぎらぎらと輝いた目。日航ホテルで開かれたパーティにおいて、たまたまとなりに席をしめた朽木靖子が、わたしに語りかける度に示したなんともはや艶然たる視線。日活国際ホテルのシルバールームで初対面したときに、アイスクリームをなめながら、あでやかにわたしに語りかけた三木悦子のとろけるような眼差《まなざし》。彼女たちはただもう鮎川哲也のセックスアピールに当てられていたのではなかったか。心なしか、それぞれのケースにおける諸嬢は、呼吸さえもはずんでいたようであった。その日の午後いっぱいを、わたしは自分のセックスアピールと女性推理作家とを結びつけ、けしからぬ空想にふけって刻《とき》をすごした。ただ単に空想するだけでは鳥肌もたたぬし、しゃっくりも出ないのである。  待ちに待った二十六日の正午前に、家をでた。西久保巴町のオンボロビルの推理社をたずねると、大久保はすぐに降りてきた。 「待ってたんだ。さ、出掛けよう」 「金沢さんは?」 「急に随筆をたのまれたんだそうだ。残念ながら同行できかねるから、鮎川さんによろしくといってたよ」  数少ない味方である金沢文一郎の前で、槻木トク子に手をついて謝らせてやりたいと思っていただけに、彼が同道しないということは、わたしにとっていささか残念であった。  都心の車の洪水は、大久保のあざやかなハンドルさばきをもってしても、如何ともなし難い。港区の巴町をスタートしたのが午後の二時。中央区、江東区をぬけて、江戸川区の鹿骨町についたのは四時になろうとする頃だった。  二五八一番地は、わたしの地図によると鹿島神社の西側ということになっている。大久保は車を停めると、運転台で中腰になって立ち上った。首を車の屋根からつきだして、あたりの様子を見ようという寸法である。ポンコツ車も、こうした場合になるとすこぶる便利だ。 「東京もここまで来ると田舎だなあ」  屋根裏で声がした。草花の栽培を業《なりわい》としている地帯だけに、藁葺《わらぶ》きの農家が点々としていて、その間にガラスばりのフレームや、都会風のサラリーマンの住宅らしきものが見えていた。 「車をここにおいといて、少し歩いてみようか」  二人は外におりた。まだ舗装されていない道には荷車のわだちの跡が深くきざまれ、いたるところに、ハコベやカヤツリ草が生えていた。通りかかった農婦にたずねると、堀家はすぐに判った。社《やしろ》の木立ちをバックに立っている小さな赤いスレートの屋根がそれであった。 「勤め人ですか、旦那さんは」 「よく知らないけどよ、千住の革会社にでてるって話だよ」  背中の女の児が、大久保のおでこを見るや否や、火がついたように泣きだした。こんな頑是《がんぜ》ない幼児でも、異様な人相はわかるものとみえる。  農婦に礼をのべて別れると、われわれはキャベツ畑の横の小道をたどって、赤い屋根の家へむかった。東京もここまで来ると、アカトンボが群れをなして飛んでいる。わたしは以前に茅ケ崎に、いまは鎌倉に住んでいるのだけれど、トンボの数はやはり少ない。こんなに沢山みかけるのは、全く久し振りのことだった。  垣根に黄菊がうえられている。玄関は日本風の格子で、すりガラスがはめてあり、ちょっと見には岩山医院の入口に似てないこともなかった。さすがにわたしも冷静たり得ない。大久保の手前、落ち着いているように見せかけようとするのだが、胸がときめいて、喋るとうわずった声になりそうだった。わたしは口をつぐみ、無理にも呼吸をととのえようとする。わたしに盗作作家の汚名をきせた槻木トク子は、そもそもどんな女なのだろうか。素直におそれ入りましたと詫びるであろうか。 「きみが声をかけてくれよ」 「よしきた」  格子の前にたつとベルボタンがあった。大久保の赤インクのついた指がそれを押した。ふた間程度の小さな家だから、ベルは、枕許で鳴った目覚し時計のようにけたたましい音をたてて響きわたった。  すりガラスにブルウの洋服がうつり、サンダルをつっかける音がした。格子戸があくと、目の吊り気味の、どこか知的な感じのする若造りの女が立っていた。細面《ほそおもて》で、まず美人の範疇に入るといっていい。  わたしは指先で大久保の背をつついた。万事お前がやれという合図である。尤も、相手がわかい女性となると、黙っていてもせせり出るのが大久保の癖なのだけれども。  大久保は半袖シャツのポケットから抜いた名刺を、ちょっと改まった態度で相手にわたした。女はちらと目をおとすと、ふたたび顔をあげて怪訝そうに大久保を見つめ、説明を待っている。かすかに香水のにおいが漂ってきた。 「こちらが鮎川哲也さんです」 「はあ」  わたしの名なんて聞いたこともない、といった顔つきである。これがその辺の主婦であるならば、本格物の推理小説を読んだこともないだろうし、したがってわたしの名を知らなくても不思議はない。しかし槻木トク子はわたしの作品を盗んだ張本人なのである。仮りに十年むかしの背徳行為を忘却していたとしても、昨今いろんな新聞の学芸欄や文化欄でこれだけ叩かれていれば、その記事が目にとまらない筈もなかろう。鮎川哲也の名をみるたびに、この女の心のなかでは、古創《ふるきず》が思い出したように疼《うず》いていたはずである。  こいつはしたたか者だぞ、とわたしは思い、油断なく相手を見つめていた。 「どんなご用ですか」 「あなた、堀松子さんですね?」  大久保は慎重な態度にでた。 「ええ。どんなご用ですかとお訊きしているんです」 「その前にもう一つ訊きますがね、あなたは以前に槻木トク子というお名前でしたな?」  一瞬、狼狽のいろが濃く走った。 「知りません。何をおっしゃるんですの? 帰って下さい。帰らないと近所の人を呼びます」 「そう興奮することはないでしょう。われわれはただ、事件を円満に解決したいと思っているだけなんだ。それには先ず、あなたがむかし槻木トク子さんだったことを認めてくれなくては、話が進行しないのです」 「認めません。知りません。あたし生れたときから松子です。トク子だなんて、とんでもない言いがかりです。早く出ていかないと人を——」 「奥さんが強情をはるなら、われわれも無理にでも認めてもらいますよ。そこに停めてあるわたしの車のなかに、吉原の岩山医院の看護婦を連れてきているんです。年増《としま》の、まるい顔をした看護婦ですよ。あなたも覚えているだろうが、むこうもあなたをよく記憶しているといってます。最初あなたは槻木トク子の名で診断をうけに来た。そして何年かたった後に、今度はいまの名前で診療をうけに来ているんです。われわれの調べはここまで進んでいるのですよ。もう、槻木トク子であることを認めてはどうですか」  雑誌の編集長にしておくのは勿体ないようなはったりであり、ドスの利いた声である。これで黒眼鏡をかけさせれば、ベテランの強請《ゆすり》屋として充分に通用する。大久保の知らざる一面を見せつけられて、ただ気を呑まれてつっ立っているわたしは、つぎの瞬間、はっと我れに返らせられた。堀松子が小走りに畳に駆け上ったかと思うと、そこに身を投げだして、ヨヨとばかりに声をあげて泣きだしたからである。 「ヨヨ、ヨヨヨヨ、ヨヨ、……」  わかい女性に目の前で泣かれるのは、生まれてはじめての経験であった。これが恋愛小説の愛読者であるとか、テレビドラマのファンとでもいうならばこうしたシーンにはしばしば出くわすだろうし、したがって男がどんな処置をとればよいかということもおのずと心得ているだろうが、生憎わたしはメロドラマに興味がなかった。こうなると全くお手挙げである。  だが、フェミニストを誇称するだけあって、大久保直公はちがっていた。間髪《かんはつ》をいれず駆けよるとぽんぽんと靴をなげ捨てて、膝で二、三歩にじり寄るや、まるで映画のなかの二枚目かなんぞのように堀松子をひしとだき寄せた。 「ね、泣いちゃいけない。ほら、白粉《おしろい》がはげてヘナチョコになりますよ。先刻は大きな声をだして悪かった。謝ります、勘弁して下さい、悪気があったわけじゃなかったんです。要するにあなたがトク子さんであることを知れば、それでいい。ぼくがはっきりさせたいのは、それだけなんです」  やさしく口説きながら、中華そばのつゆのしみか何かのついた汚れたハンカチをとり出すと、つんと天井をむいて拗《す》ねたような鼻をつまんでやる。女も心得たものでチンとはなをかむと、ぐっしょりぬれた顔をおこし、ハンカチを目にあてて涙をふいた。 「あなた達、ゆすりに来たんじゃないんですの?」  鼻のつまった涙声で訊いた。泣いたあとの女はひどくなまめかしい。大久保もおなじ感じをうけたとみえ、ぺろりと舌なめずりをした。 「ゆすりだなんて、穏やかじゃないな。ぼくはこれでもれっきとした雑誌の編集長ですぜ」 「あたしが結婚する前にも子供をおろしたってことをネタに、お金をせびりに来たんだと思ったのよ。あんなことが主人に知れたら、あたし自殺してよ」 「あんたみたいな美人に死なれちゃ困るな。美人は世の中を照らす太陽みたいなもんだからな」  例によって直公は、殺し文句をならべるのが堂に入ったものだった。 「どうです、あなたは槻木トク子さんですね? もうこうなったら、未練がましいことはいわないであっさり承認するでしょうね?」  直公が追及した。あやすように猫なで声をだすかと思うと、一変して検事みたいな酷な扱い方をする。正にそれは名人芸といってもよかった。わたしのような初心《うぶ》で世間知らずの男には、とうてい彼のような真似はできない。結局は槻木トク子にまるめこまれて帰ってくるのがおちである。 「そうじゃないんです、あたしは槻木トク子さんじゃありません」  甲高い悲鳴みたいな声だった。 「違うって? そんならなぜ槻木の名で手術をうけたんです」 「槻木さんはお友達なんです。あたしが妊娠したことを打ち明けたらば、安くて親切でいい医者を知っているから紹介してやろうといって、岩山医院につれて行ってくれたんですわ」 「ふむ」  多分に懐疑的なひびきをもたせて直公は鼻をならし、疑いぶかいまなこで女の顔を見つめた。 「信じられないな」 「でも本当なんです。わたしが独身の身でこんな手術をうけたことが世間に知れたり、ましてや将来夫になる人に万が一でも知られたら困るだろうからと槻木さんが、私の名をお使いなさいといってくれたんです」 「なるほど、つじつまは合っている。しかし、この話があなたの創作でないことを証明するデータもないわけですな」 「え?」 「あなたは依然として槻木トク子さんであるかも知れないわけですよ」 「…………」 「そうだ、あなたはかつて盲腸の手術をしたことありませんか」  唯一のきめ手を思いだしてわたしが叫んだ。女は吊り上った目をわたしに向けて、首をふった。 「ありませんわ」 「われわれが探している槻木さんは盲腸の手術をしたことがあるんです。あなたが手術の経験がなければ、あなたは槻木トク子でないことになる。しかし残念ながら、単に言葉の上であなたがトク子さんでないと否定しても、はいそうですかと信用するわけにはゆかんのです」  わたしの語調にはいささか挑戦的なひびきがあった。女が泣いたのも、泣くことによってわれわれを驚かせて攻撃の手をゆるめさせようとするお芝居にすぎないのだと、わたしは睨んでいた。わたしの言葉にとげがあるのも当然だった。  それが堀松子の癇にさわったようである。黒い目がきらりと輝き、その目がさらにきりきりと吊り上ったようにみえた。 「判りましたわ。そんなら証拠を見せて上げようじゃないの。おなかに手術の痕がなければ納得してくれるわね?」 「勿論です」 「じゃ、どちらかお一人に、隣りのお部屋まで来てもらうわ」 「おれが行く!」  抜く手もみせず、直公が叫んだ。武蔵がかの巌流島において小次郎を斬ってすてたときも、かくあろうと思えるほどの素早さであった。女のブルウのワンピースの背中に手をあて、いそいそと隣室につれ込もうとする大久保の指に、十七金の指輪がきらりと光ってみえた。襖《ふすま》が邪慳にとじられた。  残されたわたしの立場こそ何とも間のぬけたものだった。たたきにつっ立ったまま、小さな玄関を見廻していたが、全神経はそうすまいと思っても耳に集中してしまうのである。  カーテンを閉める音がした。畳をするような足音がして、それが止んだかと思うとためらい勝ちにフックをはずす音がきこえた、ゴックンという音が聞えたのは、直公がなま唾を呑み込んだのであろうか。 「慌てないでよッ」  堀松子のたしなめる声がする。つづいて息を吸いこむあらあらしい音。これも直公にきまっている。畜生、なにをやってやがるんだろう……。次第にわたしは中っ腹になってきた。  ふたたび唐紙があけられて直公が姿をあらわした。大久保はぽっと上気したような顔をし、おでこ一面に汗をふきだしていた。うたた寝をした後のように目に生彩が欠けている。堀松子もさすがにわたしを正視しかねて、目を伏せたままだった。 「どうだった?」  先方がぼうっとしているので、しびれを切らしたわたしが訊いた。大久保はようやくわれに返ったとみえ、わたしと松子を半々に見るようにして答えた。 「堀さんがいわれるとおりだよ。盲腸手術のあとはない。この奥さんは絶対に槻木トク子ではあり得ないね」 「……ふむ」  率直にうなずきたくない気持だった。フェミニストの大久保のことだから、彼女の立場に同情するかなにかして、白を黒だといいくるめるのじゃないだろうか……。しかし、わたしはそうした考えをただちに払い落した。いくら鼻の下のながい彼だとはいえ、女に泣きつかれたことぐらいで、長年の友であるわたしが盗作者として葬られようとしているのを見捨てるはずがないのだ。 「奥さん」  胸中の思いを直公にさとられまいとして、わたしはことさらに眉をよせ、むずかしい表情をこしらえた。 「はい」  興奮したあまりに、ついはしたない行為に走ってしまったことがまだ恥かしいとみえ、下をむいたままである。両方の耳も赤くそまっていた。一体、直公にどんな調べ方をされたというのだろうか。 「疑ったことをまずお詫びします」 「はあ」 「ところで、槻木トク子さんとはどういうご関係だったのでしょうか」 「あの、ずっとむかし進駐軍につとめていた時分のお友達でした。二人とも基地のPXでセールスガールをしていたんです」 「親友だったわけですね?」 「ええ、おなかに赤ちゃんができたことを打ち明けるくらいのお友達……、ですからいちばんの親友ということになりますわ」  まだもじもじしている。言葉づかいがばか丁寧になったのも、いまだ平静にもどっていないからに違いない。坐ってうつむいていると、頷くたびにぬけるような白いうなじが見える。 「槻木さんはその頃、推理小説を書いていませんでしたか」 「ええ、書いていました」 「どんな傾向の……?」 「さあ……。ときどき読ませてもらいましたけど」 「ペンネームを覚えていますか」  息を殺して返事を待った。 「はい、覚えています。石本峯子という名でしたわ」  大久保がよかったというように大きく吐息した。石本峯子とトク子が同一人であることは、これで確定したわけである。疑惑の一つがはじめて氷解した。 「じつは奥さん」  わたしは一段とあらたまった声をだした。 「わたしはこの槻木さんの小説を盗んだという疑いをかけられて、困っているんです。そこで是非とも槻木さんに会って話し合いをしたいと、こう考えているのです」  槻木トク子のほうが盗作者だということは、敢えて伏せておいた。 「槻木さんの居所をおしえて頂きたいのです。ご存知でしょう?」 「いいえ、存じません」  はじめて顔を上げた。恥じらいの色を泛《うか》べたその顔は、さらに艶っぽくなっていた。何度もくり返すようだけれど、大久保は襖の陰でなにをどうしたというのだろうか。 「知らない? だって親友なのでしょう?」 「はい、でも知らないんです。あの人は、住んでいたアパートが火事になったとき、焼け出されてしまいました。そして『ちょっと郷里へ帰ってくるから』というハガキをくれたきり、音信不通になったんですの。あたしのほうから手紙をだしたくても、宛名が判らなくて……」 「郷里というのは何処ですか」 「知りません。郷里の話なんてちっとも聞かなかったものですから、東京生まれだとばかり思っていたんです」 「言葉の訛《なま》りは?」 「ありません。ちゃんとした東京言葉でした。あたし自身にしても標準語を喋っているつもりなんですけど、たまに変なアクセントをつけてしまって四国の生まれであることが判ったりするんです。でも、槻木さんはそんなことありませんでした。ほんとうに上手な標準語を喋っていましたわ」  堀松子の言葉をそのまま信じてよいのだろうか。言葉の訛りというものは、生粋の東京人ならばすぐ気がつくものだけれど、地方育ちのものには気づかずに聞き逃してしまう場合が多いのである。四国生まれの松子が「完全な標準語だった」と主張しても、東京生まれのわたしが聞けばどこかに発音のミスがあったかもしれない。身近な例をあげてみよう。山田耕筰氏の作品に「夕焼け小焼けの赤トンボ……」という歌曲があるが、あの旋律どおりアにアクセントをつけた「アカトンボ」が東京の発音であって、地方の人はこれを「垢《あか》トンボ」というふうにカにアクセントをもたせて発音し、自分では少しも気づかずにいる。このように東京の人間からみると、名詞一つを耳にしただけでも相手が本物の東京生まれであるのか、巧みに標準語を真似ている偽者であるかは、即座に見ぬけるのだ。  ひとことでいいから槻木トク子の声を聞きたい。痛切にわたしはそう思った。 「槻木さんの写真はありませんか」 「そうね、たしか一枚あったはずですわ」  松子はそういうと再度となりの部屋に入って箪笥をかきまわしていたが、やがてブロニーの変色しかけた写真をもって戻ってきた。わたしは引ったくるようにして手にとる。大久保がおでこをつき出して覗き込む。 「あまりよく撮れていませんけど……」  たしかに彼女がいうとおり、へたなスナップだった。一人の女が芝生の上に横になって、画面の外の人物に呼びかけているようなポーズである。暑い時分であるとみえ、袖のみじかいブラウスを着ていた。 「あの頃はまだカメラのいいものはありませんでしたし、フィルムも値がたかくて手に入らなかったんです」 「これじゃよく判んねえな」  がっかりしたように大久保が呟いた。落胆したことはわたしも同様だった。ピントがぼけているから、そこに写っているのが若い女性であることは見当がつくものの、表情や顔の特徴はまるきり掴めない。薄ッぺらな胸から、いかにも呼吸器系統の病気にかかりそうな印象をうけた。 「進駐軍につとめていた頃にとったんですわ」 「このほかにはないですか」 「ええ……」 「槻木さんは写真嫌いだったという話ですが、どう思いますか」  尖った顎をつきだすようにして、松子は天井をにらんだ。腑におちぬ顔つきである。 「知りませんわ。そうした噂は」  わたしはいままでと同様に、ここでもトク子の顔の特徴をたずねてみたがはっきりしたことは判らなかった。松子のように細面でもなく、かくばってもいず、どちらかといえば丸いほうだった。目鼻立ちにしても目立ったものはなくて、不美人でもないかわりに美人でもない。色は白くもなく黒くもなし、歩き方にくせがあるわけでもない。肥ってもいなければ痩せてもいないという、何ともとらえどころのない返事であるのはがっかりした。松子が観察力や表現力にとぼしいせいもあるだろうが、同時に、槻木トク子という女がきわだった個性に欠けていたことも事実であるようだった。  辞去するとき、わたしは改めて無礼を詫びた。直公もそれにならって例の猫なで声で謝意をのべたが、松子は桜色にそまった頬をうつむけてちょっと頷いたきりだった。スカートの裾からのぞいてみえる二つの膝小憎がひどく愛らしくみえた。    14  せっかく意気込んできただけに、わたしの失望は大きかった。車のなかでもむっつり口を閉じ、バックシートにふかぶかと寄りかかったまま、不機嫌に黙りこんでいた。反対に大久保はうきうきした様子だった。ときどき鼻唄らしきものを口ずさんでいるが、音痴の彼が唄うということは稀有《けう》の現象なのである。余程たのしかったに相違ない。  だしぬけに声がした。鼻唄だけでは我慢ができなくなったものとみえる。 「儲けちゃったな、えっへっへ」 「なに?」 「いまの一件さ」 「ふむ。どうやって調べたんだ」 「えっへっへ。ああいう役はハンサムでないとつとまらないよ。鮎川さんには無理だな」  いい気なもんである。何がハンサムだ、半サムのくせに。 「はぐらかすなよ。パンティを脱がしたのか」 「鮎川さんじゃあるまいし、ぼくはそんな手荒なことはしないさ」 「じゃどうした?」 「パンティのなかに手を入れたんだ」 「疵痕をみたわけじゃないんだな?」 「手でさわれば判るよ、見なくてもね。ところがすべすべしていた。朽木靖子さんの頬っぺたよりも、遥かにはるかにすべすべだったよ」  大久保は笑うまいと努力している様子だが、頬の筋肉がだらしなくゆがんで、ついにやにやとしてしまう。虫様突起という退化した器官が頭のてっぺんなり足の裏なりにあったなら、大久保はこれほど上機嫌にはならなかったのである。盲腸が下腹部に生えていることを、彼のためにそっと祝福してやった。 「おい、ハンドルに気をつけてくれよ」  車は荒川放水路に架けられた小松川橋にさしかかっていた。ここまでくるとトラックやバスの姿をかなり見かけるようになる。放心状態で思い出し笑いなどをしていては、いつ事故を起さぬともかぎらないのだ。 「そうそう、朽木さんといえば≪天の上の天≫のなかにミスがあるといって、沈さんにわざわざハガキをくれたそうだよ」 『月刊推理』に連載したあの長篇を、沈舜水は非常な意気込みで書き上げたのである。締切りをまもらぬ作家が多いなかで、沈だけは約束の日よりも十日間も早く送稿してくるのが常だったという。しかしあまり根をつめたのが祟ったのだろうか、彼は胃痙攣の発作を起すようになり、一時はそれが習慣となって、上京してホテルに滞在しているときも、夜中に医師を呼んでもらう騒ぎをしたほどだ。 「ふむ、どんな?」 「女の肌着のぬぎ方の順序が違ってるんだそうだ」  話を聞いてみると、問題になったのは≪天の上の天≫のラストに近く、主人公の浮田がコールガールの和江をホテルに連れ込むシーンなのであった。浮田はかがんで相手の靴をぬがし、ストッキングをはぎとり、さてコルセットをはずす段になると、「コルセットは難しいから、あたしが自分でとるわ。どうせあんた、こんなのとる趣味はないんでしょ」と和江がいって、自分から脱ぎ捨ててしまう。殻をむかれたエビさながらに、女はピンクのパンティ一つでベッドに横たわる……というのが、沈舜水の描写なのである。 「何処がいけないんだい?」 「うむ、朽木さんにいわせるとね、あの人が裸になるときは……というのはつまり、彼女が旦那さんとお床入りするときのことだろうと思うんだがね」  想像を逞ましゅうして余計なことをいうのが彼の癖なのだ。風呂に入るときだってパンティを脱ぐではないか。 「朽木さんが裸になるときはまずパンティを先にとってから、最後にコルセットをはずすんだそうだ。だから沈さんの小説では順序が逆だ、そういうことなんだな」 「ふうん」 「沈さんがこの小説を書くときには、ベッドルームにおける奥さんの動作を横目でちょろちょろと観察して、正確を期したといっている。つまり沈さんの奥さんは初めにコルセットをはずして、それからおもむろにパンティを脱いでベッドに入るというわけだ」 「……ふうん」 「朽木さんのハガキを読んで、沈さんあわてた。本にするときにはミスを訂正する必要がある。そこで早速ぼくに電話をかけてよこしたというわけだ」 「ふうん」 「沈さん大いに迷ってね。脱ぎ方にも関西と関東とでは相違があるんだろうか、と訊くんだ。今度上京するまでに、はっきりしたことを調べておいてほしいというんだよ。上京するのは来月のおわり頃に延びたらしいんだがね」 「ふうん」 「どうだろう?」  どうだろうと訊ねられても、わたしには返事の仕様がない。幾らわたしが変人だとしても、女性が下着を脱ぐところを垣間みてにたにたしているような、そんな虫酸《むしず》の走るような嫌らしい変人とは変人がちがう。わたしがそう答えると、大久保は困惑しておでこを振った。 「弱ったな……。いっそのこと『塵の会』に往復ハガキをだしてオバサマ達のアンケートを求めてみようか」  急に元気づいたように、声をはずませた。 「ついでそいつを活字にすれば、評判になってすごく売れるぜ。これ、いいアイディアだよね。そう思わない?」  オバサマだなんて、大久保が陰でこんな怪しからん冗談をいっていることなど、『塵の会』の連中はちっとも知っちゃいないのだ。こうしたことを、新庄文子や戸川正子にこっそり教えてやりたいものだと思う。こんな男がフェミニストであってたまるもんかい。  わたしは問《とい》には答えずに、冷淡な調子でつづけた。 「そんなことをするよりも、大久保夫人に訊いてみれば簡単に判るんじゃないのか」 「いや、それがまずいんだ。うちの奥さん何もはいとらんのや、ノーパンですわ。へっへっへ」  冗談をいうにもほどがある。自分の妻の重大な秘密をかるがるしく他言するとは何事であろうか。半ば腹をたて半ば呆れ返って、わたしは再び口をつぐんだ。  一時間あまり走りつづけ、ようやく都心に近づいたころだった。信号待ちの停車をしているときに、大久保はふとわたしをふり返った。 「どう? このまま『ボルチモア』に行かないか。ぼくが奢《おご》るぜ。ね、もっと元気をだしなさいよ」 『ボルチモア』は新宿の裏通りにあり、推理作家なんかがよく集まるバーである。わたしはほとんど呑めないし、ホステスの腰をなで廻したりする趣味もないものだから、かつて紀野舌太郎に連れられて訪問した以外には、バーなるものは知らない。正直の話、こんな場所でかねを捨てるやつは馬鹿としか思えないのである。 「気がすすまないな」  盗作作家のレッテルをはられている以上は、少し行ないを慎しむべきではないか。わたしがそういうと、大久保は大きく頭をふった。 「その考えは間違っていると思うな。潔白ならむしろ堂々と胸を張っていくべきだよ。鮎川さんは図々しいみたいでいて、案外うぶなところがあるんだなあ」  褒めたんだか揶揄《やゆ》したんだか判らないことをいい、道を新宿にとった。  運転歴十何年という彼は、東京中の道路なら知らないところはない。その日も、わたしには見当もつかないような近道をとおって走り、気がついたときには伊勢丹横の通りにでていた。  もうすっかり暗くなっている。ネオンが綺麗だった。東京のそれを毒々しくて不愉快だと評する人もいるけれども、わたしは鎌倉という片田舎に引きこもっているせいか、色彩に富んだ、さまざまに工夫をこらしたネオンの動画をみるのは大好きだ。 『ボルチモア』は、新宿では一流のバーなのだそうだ。中国に、坊主だか哲学者だか質屋の親爺だったかよく覚えていないが、とにかく一言居士みたいな人がいて、山高きをもって貴しとせず、木多きをもて貴しとすとか何とかいったそうだが、バーの一流たる所以はいかなる条件によるのだろうか。勘定書きが高いということか、内部が広くて飾りつけが凝っているということか、それとも美女がわんさといるということか。大久保に訊いてみたが、さあと小首をかしげたきりで返事をしなかった。  それはともかくとして、このバーにはホステスが二十人あまりもいて、面積もかなりの広さがあるから、入口の近くにすわると奥のほうにいる客は人相すらはっきり見えないほどである。紀野舌太郎、浅野洋といった連中、それに多岐恭の顔もちらとみえたような気もするが、はっきりしない。 「ああら、いらっしゃい。つい十分ばかり前まで、星野先生とお噂をしていたんですのよ」  マダムがはなやいだ声をかけた。さすがに水商売の女性ともなれば、滅多にこないわたしの顔も覚えていてくれる。そういわれてみると、このところ星野新一ともしばらく顔を合わせていないことに気がついた。 「残念なことをしたな」  星野とわたしとは、どういう因縁か知らないけれども、わずかの差ですれ違いをやることがしばしばあった。彼が新婚旅行からもどったときも、ほんの僅かの差で、その生ま生ましい感想を聞きそこね、口惜しがったことがある。  その日、用があって推理社をたずねると、当時『ピーコック・マガジン』の編集長をしていた中原海彦がにやにやしながら出てきて、ついいまし方、星野が蜜月旅行から帰宅して電話をかけてきたんだよと、秘密でもうちあけるように囁いたものだった。 「帰るなり、第一番にわが社に電話をくれたんですよ」  この編集長には、それがまたたまらなく嬉しかったらしいのだ。 「で、感想はどうだったって?」 「まず溜め息をもらしましたね。それから『ああ、楽しかった』といいました。それきりです」 「なるほどね、『ああ、楽しかった』か……」  ああ、楽しかった……。考えてみると、新婚旅行の感想を表現するのに、これほど適切な言葉は他にないことが判るのである。ああ、楽しかった……。電文にして一音信にもみたない僅かな字数のなかに、一生の記念となるべきもろもろの思い出が要約され整理されて、みごとにおさまり返っているではないか。ああ、楽しかった……。いままでの脚本家や放送作家のうちに、これほど簡潔にして要を得たセリフを書いた人がいくたりいたことであろう。ああ、楽しかった……。この短い表現を告げられたとき、わたしは、星野新一が本質的にショート・ショートの作家であることを、身にしみて痛いほどに感じたのだった。  酒をのむ場合でも、星野はショート・ショートである。腰をおろす、酒を注文する、マダムとひとくさりお喋りをやる。そしてグラスがからになると、勘定を払ってさっと出ていくといった按配だ。すれ違いになったのも無理ないことかも知れぬ。  わたしは入口近くに席をしめた。ばかの一つ覚えのようにヴァイオレット・フィーズを注文する。これ以外にはカクテルの名を知らない。 「ほう、いろんな評論家がいるね。新宿でなにか会合でもあったのかな」  大久保はくらい光線のなかで眸をこらすようにして、奥のほうのボックスを眺めながら、低くつぶやいた。なるほど、いるわいるわ。鱶沢《ふかざわ》鮫平、宗像《むなかた》欣也、吉原牛太郎、山中馬之助……、ぞっとしない連中がとぐろを巻いている。世に流布されている噂によれば、彼等は互いに仲がわるくて、しょっちゅう啀《いが》み合っているという話だったが、面と向えば歯をむくわけにもゆかないのだろうか、おなじボックスに坐り、至極むつまじそうに談笑している。  身をそらせ、ひときわ偉そうなポーズをとっているのは鱶沢鮫平である。その妙な名は勿論ペンネームに決っているけれど、南京玉をはめこんだような眼は、あの恐しい人喰い鮫にそっくりだ。この某大学の講師は本格物が嫌いであることを何かにつけて公言し、もう本格物の時代ではないということを機会あるごとに繰り返していた。事実、本格物についてはなに一つ判っていないくせに、図々しくも本格派の作品について無知そのものの評論をこころみ、大方の失笑を買うのが常である。この男が、名探偵の登場するいわゆる挑戦派の推理小説を評して、天才的名探偵なんてしろものが世の中にいるわけがない、明らかに嘘っぱちだ、人間が書けておらんなどとわめき立て、日本のある本格作品を葬り去ろうと試みたことがある。彼の手にかかると≪Yの悲劇≫ですら一読に価せぬ愚作ということになるのだから止むを得まいが、作者にしろ読者にしろ、神の如き推理の才能をもつ名探偵なるものが単なるお話にすぎないことは先刻承知の上で書いているのだし、読者もまたそれを知っての上で読んでいるのだ。探偵ばかりじゃない。連続殺人だとか密室犯罪などというものが現実世界にあってたまるものか。その、架空の、天才的な犯罪者が企てる超現実的な犯罪事件に対しては、クロフツ流のリアリズム探偵があちこちをうろついてアリバイを叩いて廻ったところで、何の役にも立ちゃあしない。凡人探偵の頭脳では太刀打ちできない犯罪に対抗するためには、いやでも超一流の才能を持ったスーパーマンを登場させなくてはならないのである。こうした判りきったことが判らないくせに、こんな推理小説は時代おくれだ、なんという古さであろうなどと慨嘆するのを聞いていると、てめえの頭のわるさにこちらが慨嘆したくなるのだ。  反対に身をのりだして、誰かがひとこという度にはりこの虎みたいに大きく頷いている肥った男。これは吉原牛太郎だ。嘘だか本当だか知らないけれども、その名のとおり以前は吉原で妓夫太郎《ぎゆうたろう》をやっていたそうで、売春禁止法が成立して失職したものだから、推理小説の評論家に商売替えをしたのだという。そういえばわたしが京町のあたりを素見《ひやか》して歩いていたときに、「よウ、未来の海軍大将ッ」と声をかけた男が牛太郎によく似ていたような気がする。珈琲一杯おごられれば、掌を返したようにどんな愚作でも褒める。その、箸にも棒にもかからぬものを秀作であるように褒め上げるところに、この男の不思議な才能があるのだった。もっとも、れっきとした大学の独文科をでており、ある人が訳したハンス・ハインツ・エーヴェルスの短篇の誤訳をたちどころに指摘したといって大久保が驚いていたから、そんじょそこらの妓夫太郎とはわけが違うのだろう。  四人のなかで宗像欣也はいちばんの貴公子である。本人もそれを意識していて、ふちなし近眼鏡をかけ、おつに気取っているのは嫌味だが、美男子であるだけにホステスにはよくもてるようだ。いまも、上半身裸みたいなドレスを着た女が横にぴたりと坐って、タバコに火をつけてやっている。宗像はある座談会のなかで「ぼくは鮎川の小説はほとんど読んでおらんのだがねえ」といい、おなじ座談会の終りのほうで「鮎川も近頃はマナリスムスだなあ」と発言していたことがあった。一読してわたしは、訝《おか》しなことをいう男だなと思った。評論家を名乗っている以上、読まないというのは自分の不勉強を告白するようなものではないか。さらにまた、沢山読むからこそ、マンネリに陥っているかどうかが判るのだ。読みもしないで、どうしてマンネリだと断定することができるのか。わたしは、彼のそうした勇壮な発言に抵抗を感じるとともに、マンネリの一言で片づけようとする安易なやり方に、批評家精神の不在をみてとって、宗像自身のためにも残念に思ったのだった。マンネリズムといわずにマナリスムスなどという言葉を好んで使いたがるのも、この男の気障《きざ》っぽい癖の一つであった。  山中馬之助は深川の木場にちかい銭湯の若主人である。湯屋というのは意外に儲かる商売だというが、いつもいい服を着、栄養のよさそうなつややかな皮膚をして、年中あそんでばかりいるところをみると、この言葉は満更うそでもなさそうだ。女よりもジャズが好き。公休日には浴場にステレオをもち込み、大きな音で鳴らしておいて、自分は番台の上でそれを聞くのだという。暇をもて余しているせいだろう、推理小説の評論をはじめとしてジャズの評論、活け花の評論から絵の評論、さては詩の評論から建築の評論にまで手をひろげるといった精勤ぶりだ。他のことに関してはわたしは全くの素人だから彼の才能のほどは判らないけれど、ハードボイルドの評論はともかくとして、本格物の評論はまるで見当ちがいのことを書いている。鮎川の長篇はどれをよんでも決ったようにアリバイ破りがでてくる。同工異曲だ、千篇一律だ、じつにくだらん、といったのは、この馬鹿である。  四人はいずれも若かった。四十をすぎている牛太郎をわかいといっては当っていないが、推理小説の批評家という看板をかかげ登場したのがつい二年ほど前なのだから、その意味でわかいというのである。彼等は互いにライバル意識を陰に陽にちらつかせながら、気負いたっているようだった。この連中の書いたものを読むたびに、それは評論に名を借りて自分の学と才能をひけらかしているような印象を、わたしは例外なしに受けるのだ。作者を完膚なきまで叩きのめすことが、秀れた批評家の唯一無二の条件であると錯誤しているのではないだろうか。 「ぼく等のものを滅茶苦茶やっつけて、それがどうなるというんだろうなあ」  いつだったか、浅野洋が述懐したことがある。 「批評というものは作家を励まして、進むべき道を暗示してくれるのが本当じゃないですか。やっつけられる度に、ぼくはつい癪にさわって、仕事をほうりだして駁論《ばくろん》をあれこれと考えてしまうのですよ。そんなことに思考をむけるなんて無駄なことですがね。それだけの時間を創作のほうに向ければ、読者にとっても作者自身にとってもずっと意義があると思うんだがなあ……」  浅野の言葉にわたしは同感だった。売れなかった頃のわたしもまた、ともすれば腐りそうになったものだが、江戸川、荒、大井、中島、平野氏といった評論家たちに直接間接にはげまされて、どうやら挫折することもなく今日に至るを得たのである。だからなおさらのこと、人を傷つけることによって自分を売りだそうと努め、つま先立ってわめいている山中等のやり方が腹立たしくもあり、また憐れでもあった。 「ガソリンをぶっかけてさ、バーベキューにしてやりたいな」  推理作家きっての紳士として折り紙つきのわたしがこんなことをいい出すのは、わずか一杯の酒で酔ったからに相違なかった。大久保はへっへっへと笑ったきりで、なにもいわない。彼の立場はつねに厳正中立である。 「先刻金沢さんに電話しといたから、追っつけくる頃だよ。随筆は案外はやく片づいたそうだ」 「そうか、待ち遠しいな」  わたしは思ったままを正直に答えた。  シュロの鉢の陰になったテーブルに、一年ばかり前に弱冠二十歳で登場した新人で「SF七人目のホープ」として騒がれている古池謙吉が女と一緒にすわっていて、ときどきわたしのほうを振り向くと、軽侮と不快感のいりまじったいやな視線をなげてよこすことに気づいていた。しまいにはくわえていたハッカパイプをテーブルにのせ、連れの女になにか囁いて、今度は二人がそろってわたしを睨みつけるという有様である。推理小説がブームだといわれていた頃にジャズプレイヤーから推理作家に転向してきた古池は、忽ちにしてジャーナリズムの寵児となったせいか、その言動には多分に鼻息のあらいところがあった。先輩に対する礼儀といったものはまるきり念頭になく、先人の作品を故意に無視し、否定し、黙殺し、天上天下唯我独尊的な態度を露骨に示すのがつねだった。わたしは無闇に先輩ぶるのは嫌いなたちだけれども、こう無遠慮な目で眺められると、つい、小僧っ子のくせに生意気な、という気持をもたされるのである。次第にわたしも平静たり得ず、大久保の話に微笑をもって答えることが面倒くさくなってきた。  扉があき、痩身の金沢文一郎が上衣を片手にかかえて入ってきたのはその頃であった。 「大久保君から簡単な報告は聞いたですが、人違いだったそうですな」  彼は向き合って坐ると、わたしの顔をしげしげと見ていたが、やがて慰めるようにそういった。 「自分では潔白であることが判ってますから強気でいますがね、変な目つきでじろじろ見られたりすると、やはり嫌な気持がします」 「ですがね、腹を立ててはいけませんな。なにしろ石本峯子のほうが十年も先に発表しているんだから、常識的にみても鮎川さんのほうが怪しく思えるのは止むを得ないことですよ。あすこにいるのはSFの古池君でしょう? あなたを妙な目でながめているようだが、彼が悪いんじゃなくて、あなたを非難するのが当然なんです。気にしちゃだめですよ」  早くも古池の視線に気づいたところ、凡手ではない。大久保はいまになってシュロの鉢のほうに頸をねじって見ていたが、先方と目が合うと、ちょっと慌て気味に黙礼をかわしていた。編集長ともなれば、わたしのように虫の好かないやつには背をむけるといった勝手な真似もできず、誰とでもおなじように微笑をうかべて接しなくてはならないのだから辛い。わたしだったら三日で窒息してしまうだろう。  あらためて注文した酒をのみながら、金沢とわたしの間ではまた批評家の批評がはじまった。大久保は慎重に口をつぐんでいるけれども、金沢も評論家には恨みがあるとみえ、わかい連中を歯に衣きせずに罵倒した。 「些細なことのようですがね、ぼくは彼等の自信過剰が面白くないですよ。やつ等はこれこれしかじかだから愚作だと思う、とは決していわない。愚作だ、と断定するんだ。その増長ぶりが鼻についてならないのです。まるで自分が神様にでもなったような気でいる」 「神様だかなんだか知らないが、人間ばなれがしていることは確かですな。いまも大久保君と話をしていたんですが、推理作家が万能でないように、彼等も万能であるはずがない。そこでです、ハードボイルドしか理解できない批評家はハードボイルドだけを取り上げて、あなたみたいな虚無派の作品やわたしのように本格派の作品には、一切手をださないようにしたらばどうかと思うのですよ」 「そう、それは賛成ですね。いま鮎川さんがいわれた不満は単に本格派の作家ばかりでなしに、例えばハードボイルドの作家にも通用することだと思いますね。だが、あそこにいる連中にはそれが出来ないんだな。自分にはハードボイルド以外は判りかねると告白するだけの勇気に欠けているのですよ。おれは頭がいいんだから何でもこなせるといったポーズをとりたがる。虚栄心です」 「確かにそうですね」 「両極の端にある本格派とハードボイルドとは、いってみれば古典音楽とジャズの関係に似ているじゃないですか。楽譜をみて楽器を鳴らす点は共通しているけれども、内容となると全く異質のものです。どちらにも評論家というのはいますよ。いるけれどもですよ、音楽評論家はジャズには決してタッチしようとはしないし、一方ジャズ評論家のほうもクラシックには嘴《くちばし》をいれない。彼等は賢明にも二つの音楽が全然べつのものであることをよく知っているからです」  ジャズの話になると、大久保が目をかがやかして身をのりだして来る。不協和音を用いて演奏効果をあげようとするジャズと音痴との間には、なにか共通した因子があるのかもしれない。 「推理小説の評論も、それぞれの専門に分割されるべきですよ。建築の評論と推理小説の評論を同時に手がけるなんていうふざけた真似はやめるべきです。大久保君、これを確立することはきみの使命でもあるし責任でもあるのだよ。ぼくはそれをきみに期待しているんだ」 「えっへっへ」 「えへへじゃないよ。ぼくは真剣なんだぞ」 「失礼、へっへ」  アルコールが廻るにつれ、この編集長はますます機嫌がよくなり、表情にはしまりが欠けてくる。金沢は苦い顔をしてよこをむくと、むっつりおし黙ってハイボールを飲みだした。  話がとぎれた。わたしも酔ってきたようだ。口あたりがいいものだから、つい油断して、ヴァイオレット・フィーズを二杯もあけてしまったのである。とろんとした目で更にバーのなかを見廻す。隅におかれたバスレフ型のスピーカーボックスの隣りに、ひたいの禿げ上った評論家が、同年輩の推理小説の翻訳家とテーブルをはさんで、顔をつき合わせて話に熱中している姿がみえた。水原金造である。髪の毛はかなり後退しているが齢はまだわかい。  水原は顔の真中に大きな鼻をつけ、いつも微笑を絶やしたことがないので円満居士として通用している男だった。だがわたしは、彼が意外に意地のわるい性格の持主ではあるまいかと、秘かに考えている。この男は常套手段として、Aなる作家を論じる場合に作風の似たBなる作家を拉《らつ》しきたり、BをけなすことによってAの優秀性を強調するのだけれど、この引き合いにだされ踏みにじられるのは、すべてが水原の憎しみを買っている連中なのである。  さらにまた、彼がよく用いる手にこんなのがある。差しさわりがあるからわたし自身を例にとって説明すると、文中で本格派の作家の名を列挙する際に、淵屋隆夫と麦村正太と沈舜水を数えあげて、故意に鮎川哲也の名をおとすということをやるのだ。お前なんかを認めちゃおらんのだぞといわんばかりに……。たまさか編集長が気づいて指摘すると、歯のぬけた大口をあけてあっはっはと笑い、「そうそう、鮎川哲也というのがいたっけな」といったさり気ない調子でわたしの名を原稿に追加するのである。万事がこの調子だ。  扉が開いた。まんまるい顔に眼鏡をかけた男を先頭に、一団の男女が入ってきた。女性は難波きみ子と朽木靖子だった。 「あら、ご機嫌!」  難波嬢が声をかけた。目をきらきらと輝かせ、なにか楽しいことでもあるのだろうか、今夜は一段と美しい。わたしは二人の女性に対して、ありったけのセックスアピールをこめた笑顔で応じてから、先頭の男に視線を返した。まだ会ったことはないけれど、それは写真で見覚えのある万田権治ではないか。  二、三年前のことになる。あるパーティで万田の姿を目ざとく見つけた朽木女史が「あら、あそこに万田さんがいるわよッ」と、難波嬢の横腹をついた。 「どれどれ、どこ? あ、いるいる」  そこで二人は、人々の群れを縫って近づいていくと、万田をとっつかまえて、「こないだのあんたの批評を読んだわよ。あれ、なんなのさ、見当はずれもいいとこじゃない」と難詰したのだそうだ。  その話を両女史から聞かされた私が、ニヤニヤしながら「万田さん、どうしました?」と訊いたら、「オタオタしてたわ、おほほほ……」という返事であった。以来、万田権治は女性恐怖症となってしまい、婦人から「あなた」と声をかけられただけでチョコンと跳び上がるほどだといわれている。その真偽はともかく、彼の評論のなかに女流作家を対象としたものが皆無に近いという事実が、この噂が単なる噂にすぎぬものではないことを暗示していると思う、と誰かがいっていたのは印象的であった。  それはともかくとして、こうしたいきさつがあるのだから、万田権治と難波嬢とが並んでやってくるというのは不思議な現象だと思って然るべきなのだが、酔っていたわたしはそこまで頭が回転しなかった。  わたしは近頃輩出したわかい評論家のなかで、万田の才能を買っている。本格物の骨法をよく呑みこんでいて、彼の批評をよむたびに、わたしはただ苦笑して頭をかくばかりだった。その論旨はつねに正鵠《せいこく》を突き、しかも作家をいたわる思いやりがこめられているから、腹が立たないのだ。逆に、よりよい作品を書こうという意欲がわいてくる。山中馬之助などとは違って背伸びしてものをいうこともしないし、水原金造のように意地のわるいねちねちしたところもない。  万田に対して抱いていたそうした印象が、酒の力をかりてわたしを立ち上らせたらしいのだ。 「よう……」  危なげな足取りで追いかけると、わたしは床《フロア》の中央のあたりで彼の手をとらえた。 「よう、万田君、握手しよう。きみは偉い、海軍大将みたいに偉い。握手じゃ不足だ、キスして上げよう」  相手がどんな表情をしたか、酔っているわたしには記憶がない。いや、覚えていないというよりも、てんで気づかなかったといったほうが正しい。とにかくわたしは彼の頸っ玉にかじりつくと、頬っぺたをぺちゃぺちゃと音をたてながら舐めだした。妙に塩っぱかったことだけは、不思議にもはっきりと頭に残っている。 「止してくれ、止めてくれ。冗談じゃない!」 「これは好意なんだぜ。好意を受けないなんて、きみ——」 「ぼくは万田じゃないんだ。汚ないことはしないでくれ!」 「なんだって?」  弾じかれたように飛びのいた。いや、飛びのいたつもりだけれども実際はひょろひょろと後ずさりをしたのだったろう。足がもつれ、危うく後ろにひっくり返りそうになった。 「鮎川さん!」  横あいから手を伸ばしてささえてくれた男がいる。見ると、わたしと同じく鎌倉住いの久野啓二であった。推理作家であると共に、鎌倉時代の仏教美術の研究では名を知られた少壮学者でもある。 「や」 「鮎川さん、あの人は万田権治さんじゃありませんよ」 「誰?」 「渡海英祐さんです」 「あれが……? 信じられない。万田さんに瓜二つだ」 「瓜が二つでもナスが三つでも、渡海さんは渡海さんなのですよ」  久野啓二は赤子をあやすような調子で、おだやかに優しくいった。いつだったか東都ミステリイのH氏が、「あの両人は区別がつかない、どちらもビスケットみたいな丸い顔をしているから」と笑いながら語ったのを、わたしは唐突に思い泛べていた。 「今夜ぼく等の『無罪クラブ』の例会があるんです、この先のレストランで……。まだ時間があるもんだから、ここで暇をつぶそうとしたんです」 「ふむ」  彼がいう『無罪クラブ』とは、『射殺クラブ』がプロの推理作家によって結成され、『塵の会』が女流のみのグループであるのに反して、コンクリート技師の飛島高であるとか高校教師の右左田謙であるとか、さては少壮学者であるとか会社員であるとか、ノンプロ作家を主体とする男女混成の集団なのだ。神戸の貿易商である沈舜水も、メンバーの一人になっている。そう説明されてみると、朽木靖子も難波きみ子も『無罪クラブ』の会員だし、渡海英祐もまたその一員であることを思いだした。 「鮎川さんは槻木トク子の行方を探しているんでしたね?」  念をおすようないい方を渡海はした。わたしは咄嗟に返事をすることが出来なくて、黙ったままで頷いた。 「なにかの参考になるんじゃないかと思うんですが、ぼく、ひょんなことから槻木伝兵衛という老人と話をしたんです。この伝兵衛さんが、槻木トク子のことを知っているというんですよ」  急に体がしゃんとした。頭から水をかぶったように、いっぺんに酔いがさめた。 「と、渡海さん。どこにいるんですか、その、で、伝兵衛さんは?」  どちらも槻木姓だから、親戚か、さもなければ同郷人に違いない。そうした考えがちらっと頭の隅でひらめいた。    15 「これからすぐに行ってみます」 「まあまあ、そんなに慌てないで、少し話をしようではないですか。あとでメモに書いてあげます」 「どこで知り合ったんですか」 「おでん屋ですよ。ぼくがある週刊誌からルポルタージュをたのまれて、カメラマンと二人で新橋のおでん屋に入ったことがあるんです。その辺の屋台のおでん屋に女子高校生のポン引きが出没するというんで、彼女の生態をとらえようというのが狙いなんで。ところが、おでんを五つ皿も食って待っていたのに、その女がなかなかやって来ない。で、退屈まぎれにあなたと石本峯子の噂をしていたんです。そして、石本の本名が槻木《つきのき》トク子だという話をしていると、かたわらでちびちびとやす酒を呑んでいた老人が不意に声をかけてきて、槻木トク子のことを知っている……といいだしたわけですよ」  大久保も金沢も、身をのりだして聞いている。 「槻木というのは珍しい名だな」 「仙台の六つ手前の駅だ。ツキノキと読むんだがね」 「ふむ。すると東北の出身かな」  酒がまわるにつれ、大久保、金沢文一郎、渡海英祐の三人はますます談論風発し、呑めないわたしは、おいてけぼりを喰ったみたいにしょんぼりして、水のおかわりばかりしていた。 「鮎川さんじゃないですか。どうしたんです、深刻な顔をして」  いきなり声をかけられた。目を上げると、叶《かのう》一郎のやせた顔がそこにあった。わたしのように肥った男からみると、痩せた男というのは羨ましくてならないのである。一体なにを食えばこうすんなりとした体つきになれるのだろうか。 「べつに深刻な顔をしているわけではないけど……」 「どう考えても世をはかなんだ顔ですよ。そう悲観してはいけないな。人間万事塞翁ガ馬です、いいこともあれば悪いこともある。いちばん大切なのはしぶとい根性を持つことではないですか。もっと鉄面皮になることですよ」  ついでにちょっと誌しておくならば、�敵は幾万ありとても……�という勇壮な軍歌の作詞者が、明治時代の知られた作家である山田|美妙斎《びみようさい》、で叶一郎はその孫なのである。叶はいうまでもなく筆名で、本名は山田クンなのだ。  叶はわたしが止めるのもきかずにブランディを注文した。バーテンが大きなグラスの底にウィスキーみたいな褐色の液体をほんのちょっぴり注いでくれた。しみったれたやつだな、手前の財布がいたむわけでもないのに、と思ってみていたが、あとで聞いたところでは、ブランディなる酒はごく少量をグラスにあけ、それを掌であたためながらさんざ香りをたのしんだのち、おもむろになめるようにして呑むのだそうである。わたしはそんな知識はないから、いきおいよくがぶ呑みをし、忽ちのうちにひどく酔ってしまった。  酔眼朦朧となったのははじめての経験だったが、じつに愉快なものであることを知った。テーブルの上のグラスが二つにみえる。渡海の目玉が四つにダブって見える。渡海ばかりでなく、金沢も大久保も、白粉をぬってルージュをつけたホステスどもも、四つ目小僧の化け物だ。満足な顔をしているのはわたし一人だけだから、優越感にたっぷりひたれて、なんともいえぬいい気持となる。千円札をとりだすとそれが二千円にみえるというわけで、自然に気分が雄大になってくるのだ。  水原金造の大きな鼻を横目でながめながら(このでっかい鼻も二つある)、わたしと叶は、若手批評家連中を肴に、大いにメートルをあげた。こうした場合に、旧満州育ちの叶とわたしはもっぱら北京語で会話をすることにしている。  わたしども旧満州の小学校で教育をうけたものは、頭のなかに内地の諸君とは比べものにならぬほどに沢山のことを詰め込まれるのである。国語には補充読本というやつがあって、ハナ、ハト、マメ、マスの国定教科書の他に、≪桃源郷≫だとか≪杜子春≫だとか≪黄鶴楼≫だとか、中国に材をとった英雄譚や仙人談や伝説などを学ばされる。地理にしたってそうだ。文部省の教科書で日本地理をやった上に、これと並行してべつの本で旧満州地理を教えられるのである。そして更に小学五年生になると、手ぐすね引いて待っていた中国語の教師により北京官話をみっちりと叩きこまれるといった寸法だ。自慢じゃないけど、モヤシみたいな内地の諸君とは鍛《きた》えられ方がちがう。  ついでに誌しておくが、理科の教科書は日本の小学校とは全くべつのものを用いた。酸素だの窒素なんていう話は共通しているが、あちらに多いニセアカシアだとか黄海で漁れる高麗エビなどという動物植物になると、国定教科書では間に合わないからだ。同様に唱歌も、南満州教育会編纂の�かぜに首ふる高梁《カオリヤン》の�という≪風車≫、�栗売り爺やはかあいそう�という≪栗売り≫、�石炭くべましょう、どんどんくべましょう�の≪ストーヴ≫といった旧満州に材をとったものを押しつけられる。その合間に、ときたま日本の唱歌を年に二つか三つぐらい教わる、といった按配であった。北原白秋作詞、山田耕筰作曲の≪待ちぼうけ≫≪ペチカ≫などは今日では日本の歌として唱われているけれども、もともとは南満州教育会の委嘱をうけ、旧満州大陸に材をとってつくられたものなのである。  さてそうしたわけで、わたしは小学生の頃に二年間ほど北京語をおそわり、一方叶一郎のほうは中学高校をつうじて、十年間も勉強しているのである。わたしが訥々として喋るのは無理ないこととしても、叶が流暢に北京語をあやつるのは当然なのであった。以上のような理由から、叶とわたしが他人の悪口をいうときは意識して北京語で会話したり、あるいは日本語のなかに北京語の単語をはさんで意志をつうじたりする。  例えば「難波小姐《ナンバアシヤオジエ》が盤家《パンジヤ》するそうだぜ」といえば、難波きみ子嬢が引越すそうだとの意味になる。こんなふうに北京語をまぜて会話をすると、相手の鼻先でその男をやっつけても、当人は馬耳東風といった顔つきですましているから、われわれにとって便利この上もない。つい先頃も、大久保直公の目の前で「大久保直公好女色。彼、恐妻家也」「左様、左様」などとやってると、どう思い違いしたものか当の大久保がうれしそうに目尻をぺろんとさげて、「何の噂をしてるのさ、女の話ならぼくにも聞かせてよ」ときたもんだ。  その夜の二人はわかい批評家批判につづいて女流推理作家の月旦《げつたん》などをたっぷりとやったような気がするが、なにしろブランディにしたたか酔っていたものだから、はっきりとした記憶がない。そのうちにアクビを連発してなかば眠りかけたので、叶も呆れ顔で立っていってしまったようだ。  酔いがさめたのは一時間ほどのちのことである。わたしは忘れていた槻木伝兵衛のことを反射的に思いだし、小腰をうかした。のんびりしている場合ではない。 「おい大久保君、これだけ呑んだら満足したろう。どうだ、伝兵衛さんを訪ねようじゃないか」 「いやだ、勘弁してよ。ぼく、もっともっと呑みたいんだもの」  ウィスキーの瓶をしっかと抱っこして、テコでも離すまいという決心のほどがうかがわれた。金沢はとうち見ると、これは完全に酔いつぶれたらしく、テーブルに身を伏せて苦しそうに肩で呼吸をしている。何もそんなにまで呑まなくてもよさそうなものだが、根《こん》をつめて仕事をしたあとは、意外に早く酔いがまわるのである。  彼等をさそうことをあきらめ、渡海英祐がテーブルの上に書き残してくれたメモをとり上げた。礼をいおうと思ってきょろきょろと姿を求めたが、彼ばかりでなく、久野啓二も朽木靖子も難波きみ子もいなかった。『無罪クラブ』の会場のほうへ行ってしまったに違いない。 「再見《ツアイチエン》」  叶に手をふって挨拶した。再見とは文字通りまた会おうの意味で、サヨナラのことである。 「請再来《チンツアイライ》」  彼も盃を上げて答えた。またいらっしゃいの意である。ときたま「珍来軒」なんていう中華料理店を見かけるが、これは「請来軒」がただしい。客の来るのが珍しいようなショボクレた店では困るではないか。  表にでると、わたしは手を上げてタクシーを停めた。 「どちら?」  空車の標示板を倒しながら、運転手が不愛想な声でたずねた。わたしはポケットから渡海のメモをとりだし、うす暗い車内灯にちかづけて鉛筆書きの文字をみた。酔って書いたのだから仕方ないが、あまり達筆とはいいかねる筆蹟で、「一ツ橋電停前、山川ビル地階、槻木伝兵衛」としてある。  どういうわけか知らないけれども、男性の推理作家のほとんどは無邪気な字をかく。その作品の透徹した理論から、明晰な頭脳の持主であることを想像したくなるA君、B君、C君、D君等々々、いずれも言い合わせたように稚気満々の手蹟である。かくいうわたしも例外ではない。むかし小学生の頃に習字の時間というのがあって、字の下手なわたしは終始劣等感をもちつづけたものだった。そして大人になってもなお、そのコンプレックスは抜けきれなかったのである。ところがどうだ、推理作家になってみると右や左の旦那方がそろいもそろって奇妙奇天烈な字をかくものだから、わたしの劣等感は一瞬にしてふっとんでしまった。昨今は気分すこぶる爽快である。  運転手のがっしりした背中に行先を告げてから、はやる心を押えてバックシートによりかかった。セドリックは四谷見附をぬけ半蔵門に直行すると、左折して千鳥ケ淵にでて、九段坂をくだった。傑作の評のたかい淵屋隆夫の長篇≪影の告発≫の舞台となったのがこの近辺である。そうしたことを考えているうちに、いまにもそのあたりの横丁から、校長夫人に対する邪恋をとがめられた中学教師が、刑事の追跡から逃れようとして走り出てくるような気がした。  一ツ橋の電停は、神保町から右に曲ったところの一つ目である。この一画は、ビルと二階建の商店とがほぼ半々の割合でならんでいる。商店はほとんどが灯を消して店をとじていた。  車から降りたわたしは歩道にたち、上を向いてビルのシルエットに視線を投げた。まず、電車通りをへだてたところに、投光器の光をあびてくっきり浮び上っている集英社の建物が目に入った。その四階の窓がこうこうと輝いているのは、週刊誌の編集部に間違いなさそうだった。  しかし、集英社が山川ビルでないことは明らかである。わたしは集英社はオミットして、そのほかのビルを軒並みにたずねてみたけれど、どうしたわけか山川ビルを発見することはできなかった。探しあぐねたわたしは、通りかけた店員ふうの男に声をかけた。片手に手ぬぐいとシャボンを入れた小さな洗面器をかかえている。 「山川ビル? そんな名のビルは聞いたことないなあ」 「停留所の前という話なんだがね」 「ないですよ、そんなビル。ぼくは中華料理店につとめているから、よく配達にいくんです。このへん一帯のビルの名は暗記してますよ。山川ビルなんてないね」  店員がサンダルの音をたてて行ってしまうと、わたしはポケットから再びメモをとりだし、街路灯の下にかざしてみた。ひょっとすると読み違いをしているのではないか、そう思ったからである。だが、誤読をしているわけではなかった。ちゃんと一ツ橋電停前、山川ビルとしてあるのだ。  では、渡海英祐はなぜ存在しないビルのことを書いたのだろうか。そう考えてきたわたしは、渡海がものすごい健忘症であるという噂を、ひょっこりと思いだした。その一つの例を聞かされたときのわたしは、まさかいくらなんでもそんなことはあるまいと多分に否定的だったのだけれど、現実にこうしたケースにぶつかってみると、噂を信じないわけにはゆかなくなってきた。  そうはいうものの、いくら渡海が健忘症であるにもせよ、現実にないビルの名を創作してメモにしるしたということは、なんとしても信じられなかった。だが、たとえばここに山本ビルなる建物があり、そのヤマモトをヤマカワととり違えてメモしたというならば、考えられぬことではないのである。このことを確かめるために、わたしは早速にも当人に電話をかけて正確なビルの名称を問いただそうとしたが、生憎なことに今夜の『無罪クラブ』の会場を訊いておかなかったものだから、なんとも打つ手がない。そこで止むなくこの夜は鎌倉へ帰ったのである。    16  われわれ推理作家は、どうしても夜中に仕事をするほうが能率があがるようだ。まずほとんどの連中が寝につくのは三時から五時にかけてのことになる。草木もねむる丑満刻《うしみつどき》、ただ一人机にむかっていると、たまらなく眠くなる。あたたかい寝床にもぐり込みたい誘惑にかられる。そうしたときにわたしは、信州の淵屋隆夫が寝不足の目をこすりこすり炬燵のなかで書いているだろうことを思い、紀野舌太郎が眠気ざましに大好きなインスタントラーメンをすすっているだろうことを思うのだ。すると忽ちわたしの怠け心もすっ飛んでしまって、また万年筆を手にとるという寸法だ。  こうしたわけで推理作家は午後の一、二時ぐらいまで寝ているのが多い。われわれの仲間では、午前中に電話をかけるのはお互いに避けるのが常識だった。われ等にとって朝っぱらから電話で叩き起されることほど迷惑はないのである。  あくる二十七日、わたしは午後になるのを待ちかねて、仕事部屋のダイアルをまわした。 「ぼく、渡海英祐ですが……」  うすら寝呆けたバスがきこえた。 「こちら鮎川です。昨夜はどうも失礼」 「なんだ、鮎川さんですか。電話だと声がかわりますね。ところで伝兵衛さんに会われましたか」  いとものんびりした調子である。わたしは腹立しい気持をぐっと押えつけた。 「いや、そのことで電話したんですが、山川ビルが見つからなかったんですよ」 「信じられないな。停留所の正面の八階のビルですよ。そこの管理人で、地階に住んでいるんです、一人で」 「あなたはそういうけど、そんなビルはなかった」  一ツ橋電停はおろか、神保町一帯にはそのような八階建の大きなビルは一つもないのである。少しつっけんどんにいってやった。 「鮎川さん、あなた何処の停留所のことをいっているんです?」 「決っているじゃないですか、一ツ橋ですよ」  渡海英祐はそれを聞くと、とたんにあわてた口調になった。 「申しわけない。それ、ぼくの書き違いです」 「書きちがいだって?」 「ええ。ぼくは一ノ橋と書いたつもりなんです。なにぶん昨夜は酔っぱらっていたもんですから……」 「ふむ」 「鮎川さん、すみません。呑むと、ぼくてんで駄目になるんです」  叩頭《こうとう》している様子が声の調子からよく判る。そう謝られると、わたしも軟化せざるを得ない。 「なに、いいですよ。わたしはこれからすぐ一ノ橋の山川ビルにいくことにします。たしか一ノ橋というのは、麻布ですね?」 「ええ、麻布一ノ橋です。ほんとに、頭に自信のあるぼくともあろうものが、なぜこんな間違いをしたか判らない。鮎川さん、ぼく今後きっぱりと禁酒します。誓います。ついでにタバコも止めます」  殊勝にそんなことまでいうのである。だけどわたしは、このつまらぬ誤りが酔ったために起ったものだとは思わない。あくまで健忘症のせいだと考えていた。  以前、『無罪クラブ』の面々が鎌倉の寺で精進料理をたべる会を企画したことがある。寺側としても、前もって出席者の人数を知らせておいて貰わないと、仕度ができない。そこで当日の出席希望者をチェックしたわけだが、いよいよ明日が鎌倉ゆきだという日になって、渡海英祐があわてて参加取り消しを申し入れてきたのである。世話役で、東都ミステリイを担当していたH氏がその理由を訊ねたところ、渡海は言葉をにごして誤魔化そうとつとめたが、ついに問いつめられて、「明日がぼくの結婚式であることをすっかり忘れていたもんですから……」と、面目なげに白状したのであった。大切な、人生に一度の結婚式とあらばいたし方ない。止むなく『無罪クラブ』では渡海の欠席をみとめ、その穴埋めとして、鎌倉に居住している非会員のわたしが泣きつかれ、瑞泉寺で好きでもない精進料理をくわされる羽目となったのである。 「わたしも沢山の作家とつき合ってきましたがね、自分の結婚式を忘れたという人は、あとにも先にも渡海さん一人ですよ、あっはっは」  H氏はそういって哄笑したものだ。つまり、渡海英祐の健忘症はことほど左様に桁《けた》がはずれているのだそうである。その彼をついうっかりと信用したわたしのほうが、迂闊さを責められて然るべきではないか。受話器をおいて、わたしはそう反省した。  しかし、わたしはすぐに元気をとりもどした。伝兵衛老人が麻布の一ノ橋の山川ビル地階にいるという話は、今度こそ間違いではあるまい。槻木伝兵衛老との話し合いから大きな収穫は期待できぬとしても、得るものが皆無ということはあるまい。うまくいけば槻木トク子の行方をつかめるかもしれぬ。  そう考えたわたしはいそいそと洋服ダンスをあけると、シャツを着、ズボンをはいた。仕事部屋の電話のベルが鳴ったのは、わたしが靴をはこうとして下駄箱の扉に手をかけたときである。 「鮎川さん? ぼく大久保」 「二日酔いだな? 元気がないぞ」 「うむ。頭がいたくてかなわんよ。あのバーテンめ、アタピンを呑ませやがった……いや、そんなことはどうでもいい。ぼく、いまびっくりしてるんだ」 「さては、奥さんに例の件がばれたのか」 「いや、そんなことじゃない。あんなことくらいでは驚きやしないよ。ちゃんと覚悟はできているんだから」 「それじゃ、どうしたというんだね?」 「もう、ラジオのニュースで聞いちゃったかもしれないけど……」 「どうした? 早く喋れよ」 「槻木伝兵衛のことなんだが……」 「彼がどうした?」 「殺されたんだ。後頭部をなぐられて死んでいるのを発見されたんだよ」 「なんだって?」 「発見されたのは今朝の十時頃だ。山川ビルの一階は『ブルースター・モーターズ』といってセコハン車の陳列場になっているんだが、そこの女事務員が用件を思い出して伝兵衛を地下室に訪ねていって、屍体を見つけたというわけだ。つい先程新聞社から連絡があった」 「殺されたのはいつなんだ?」 「それは知らない。まだ発表されていないんだ。鮎川さん、ここだけの話だけども、まさかあんたが殺したんじゃあるまいね」 「ば、馬鹿なことをいうな!」 「はは、これは冗談」 「だから、馬鹿な冗談はよせといっているんだ」  かっとなったわたしは、ちからまかせに受話器をたたきつけた。だが、すぐそのあとで、大久保に悪いことをしたような、すまない気がして心が痛んだ。どうも、ここ三週間ばかりというもの、気がいらいらして、些細なことで爆発するのである。  さて気がしずまるにしたがって、わたしの心は伝兵衛老の死にかたむいていった。わたしが老人に会ってトク子の不利益になることを訊きだすのをおそれ、犯人は伝兵衛の口をとざしたに違いないのである。これを逆に考えるならば、伝兵衛老人はわたしの不名誉を救うべき何事かを持っていた、ということになる。わたしはこの老人の死が残念でならなかった。はなはだ自己中心的な考え方で恥かしいことだが、そのときは伝兵衛の死をいたむ気持はほとんど起らなかった。  伝兵衛が殺されてしまったいまとなっては、山川ビルをたずねる必要もない、それに、このことに関していずれまた大橋刑事がやってくることは間違いないのである。わたしは服を着物にきかえて、机の前にすわった。そして自分のアリバイのことを考えてみた。  槻木伝兵衛が、仮りに昨夜の七時から九時頃にかけて殺されたのだとすると、『ボルチモア』で呑んでいたわたしには立派なアリバイがあることになる。だが、殺害時刻がそれ以後だとすれば、バーを出て一ツ橋をうろついたのち自宅に帰ったわたしには、アリバイを立証してくれるものはないのだ。前回の望月殺しのときの刑事は、うさんくさそうに目をぎろりとさせたものの、わたしの主張することをまあなんとか納得した様子で帰っていったが、今度はそうはゆくまい。わたしが徹底的な訊問をうけることは、まず間違いのないことだった。  窓の外で、枯葉をかきまわす音がしたと思うと、突拍子もない銹《さ》び声で小綬鶏《こじゆけい》が鳴いた。山に棲む鳥のなかで、彼ほど不愉快な声をだすものはいない。山鳩ののんびりした啼き声は眠気をさそうが、小綬鶏が近くの山で鳴こうものなら、徹夜をしたあとの熟睡しているときであっても、ぱっと目があいてしまうほどだ。しかも、おりがおりとて、チョット来イというその鳴き方までが勘にさわった。わたしは窓から首をつきだし、声をあげて追いはらった。  ふたたび机にもどったとき、電話が鳴った。 「さっきは悪かった。ごめんよ」  大久保のしおらしい声がきこえた。 「いや、こっちこそ。なにか用かい?」 「刑事が会いたいというんだ」 「会いたければくるがいい。呼びつけるとは何事だ」  わたしの声は、自分でも呆れるほど、すぐにとんがるのである。 「そんなにとげとげしちゃ困るよ。刑事が会いたいというのは、なにも鮎川さんばかりじゃない、ぼくもそうなんだ」 「きみも? ボッコも疑ぐられているのか」 「そうじゃない。昨夜『ボルチモア』にいた連中のほとんどが呼ばれているんだ。近頃お手伝いさんのなり手がないみたいにさ、刑事のなり手も少ないんだな。それで彼等は手不足をかこっている。一人一人をたずねて廻るのは時間がかかってかなわないから、みんなに集まってもらってぱっとやっちまおうという寸法なんだよ」 「警察の家庭事情なんて知ったことかい。行くのは絶対にいやだ」  わたしは断乎としていった。わたしの性格には、みずから認めることだけれど、多分に頑固なところがある。変なところで意地をはり、それがもとでつまらぬ目にあったりする。 「そうくるだろうと思った。鮎川さんはつむじが曲っているばかりでなく、へそまで曲っているんだからな。しかしね、事件の内容について当局側からの発表もあるんだよ。近頃の警察は大分さばけてきたから、キブ・アンド・テイクなんてことも知ってるしね」  さすがに大久保は、わたしを操縦する術を心得ている。そう聞かされてみると、わたしもかたくなに強情をはりつづけているわけにもゆかなかった。 「仕方ない、出席してやるよ」  と、わたしは恩きせがましい口調でいい、場所を尋ねてから受話器をおいた。    17  講談社のうしろの崖の上に、二つの別館がたっている。さる財閥一族の邸宅であったという立派な西洋風の建物である。  むかし、講談社の書きおろし推理長篇募集に≪黒いトランク≫を投じ、それが当選したとき、わたしは初めて講談社をたずねた。そしてこの別館の一室に案内されてゲラに朱を入れたり、階段の中途にたたされて口絵用の写真をとられたりした。だから別館は、わたしにとってひとしお思い出のふかい場所なのである。  後日、その口絵写真をみた人が、鮎川さんて豪壮なお邸に住んでいるんだなあと感心したという話を聞いたことがあるけれど、大富豪の家だったのだから、豪華なのは当然なことだった。講談社の婦人雑誌の編集部がモデルの写真をとるときなども、しばしばこの階段を利用するのだそうだ。  この出版社の堂々たる建物に圧倒され、さぞかしわたしは上気していたことだろうと思う。しかし、それはわたし一人のことではなく、東都ミステリイのH氏の話によると、はじめて講談社をたずねる新人作家はほとんど例外なしに小さくなってしまうのだという。なかには、重厚な雰囲気に反抗をこころみ、壮士みたいに肩をはってふんぞり返ったのはいいが、勢いあまってソファから転がりおちた人もいるそうである。朽木靖子のごとく、普段着のまま、片手に大根を入れた買い物籠をぶらさげてやってきた人は、いまだに例がないということだ。いかにもドメスチックな推理小説を書く人にふさわしい挿話ではないか。爾来、彼女は女傑だということになっているのだが、当人はその世評に頬をそめ、「あらイヤですわ」といってしきりに否定する。まことに奥床しきかぎりと申さねばなるまい。  現在わたしが所属している日本推理作家協会は、この別館の一室を借りて事務局としている。そうしたことから、刑事の訊問はこの別館の第一応接室でおこなわれることになっているというのである。わたしは、東京駅から地下鉄で茗荷谷にでて、そこから歩いて講談社にむかった。  十年ぶりで別館に入った。第一応接室は、正面玄関を入ってすぐ右手にあった。扉をあけると、三十人ちかい推理作家や批評家たちが思い思いにソファやイスに坐っていた。約束の時刻は四時ということになっている。わたしが到着したのはまだ四時前で、マントルピースを背にした大橋刑事が、叶一郎としきりになにか打ち合わせをしているふうだった。叶は事務局の書記長だから、こうしたときにも世話役を買ってでなくてはならない。その横で、マントルピースの上を机がわりにして原稿をひろげ、みなに背をむけてせっせと仕事をしているのは、立って書くことで有名な酒沢左保だ。  わたしが室内を見廻していると、眼鏡をかけたみるからに重厚な感じの青年と視線があった。海洋推理の高林泰邦である。彼が手をあげてとなりの補助イスに招いてくれたので、わたしはそこに坐ることにした。高林の寡黙でおちついた性格は名船長だった厳父ゆずりのものではないかと思うのだが、この腰の坐ったわかい作家としずかに雑談をかわしていると、とかく苛々しがちなわたしの気持もしずまってくるようであった。 「ではこれから大橋刑事の話がはじまります」  叶の声に顔を上げると、マントルピースを背にした大橋が鷹みたいな目つきでわれわれを見渡していた。気のせいかも知れないが、先日拙宅をたずねて来たときよりも、表情がいっそうとげとげしく、するどさを増しているようだった。  刑事はかるく咳払いをした。 「みなさんにお集まり頂いたのはほかではありません。電話で触れたように、山川ビルの管理人をしていた槻木伝兵衛という老人が、昨夜殺されました。兇行時刻は十時頃ということになっています。当人はまだ服を着たままで寝た様子はないから、この十時前後という推定時刻は、かなり正確なものではないかと、われわれは考えています。パイプタバコをふかしながらラジオを聴いていたところに、犯人がやって来た。現場の様子からそうしたことが考えられるのです」  大橋刑事の目がわたしをみるたびに、それは一段とかがやくような気がして、なんとも気持がわるかった。 「被害者はべつに警戒した様子がない。ですから、侵入者が人相風体のわるい男であったとは思えないのです。そいつが顔見知りであったならば警戒をしなかったのは当然のことですが、仮りに知らない男であったとしても、扉をあけて部屋のなかに入れたところを見ると、この訪問者は信用のできるタイプの人間であったことが想像されるわけですな。早い話が、ここにおいでの方々のように、一見紳士ふうの男だったに違いない」  鱶沢鮫平と吉原牛太郎がちらと顔を見合わせ、くすぐったそうに苦笑している。紳士ふうといわれたことが、よほどうれしかったに相違ない。 「ちょっと。加害者が男であることは、どうして判ったのですか」  こうした場合にトップを切って質問するのは、浅野洋に決っている。新聞記者の出身だから、ものおじということを知らない。 「いや、女であるかもしれんです」  刑事はあっさりと訂正した。彼の脳裡には、鮎川哲也が仮想犯人としてえがかれているのだ。だから犯人は男性であるときめてかかったのである。そう思うと、わたしの衿頸のあたりが急にぞくりとしてきた。 「ところで、この渡海さんに伺うと、槻木伝兵衛が山川ビルの地下に住んでいることを人に語ったのは、昨日の晩がはじめてだということです。後にも先にも『ボルチモア』で喋ったことがただ一回だといわれる。ですから犯人は、昨夜『ボルチモア』にいて、渡海さんの喋るのを聞いたものではないか、ということが考えられるわけです」 「しかし刑事さん、だからといって渡海氏のいうことを聞いたもののなかに犯人がいるというのは、いささか速断ではないですか」  紀野舌太郎が立ち上って問いかけた。 「例えばわたしがその話を聞いてですな、帰りがけに屋台で焼鳥かなにか食いながら、浅野君とそのことを話題にした。たまたま伝兵衛氏に恨みのある紳士風の犯人がよこでそれを聞いておって、こいつはいいことを聞いたとばかり、ただちに一ノ橋へむかった……。こういうことも考えられるのではないですか……」 「あなたはどこの焼鳥屋に行かれたんです?」 「ゆきませんよ。『ボルチモア』からそのまま自宅へ直行しました」 「すると、そこに紳士風の男が呑んでいたというわけではないのですな」 「勿論です。仮定の話ですよ」 「なるほど」  たちまち興味を失ったように、刑事は一同のほうに視線をかえした。 「刑事さん」  と、今度は渡海が手を上げた。 「誤解があるようだから申しておきますが、ぼくは山川ビルのことをみなに喋ったわけではないのですよ。喋ったのではなくて、メモに書いたのです」 「しかし、そのメモはすぐに鮎川さんの手に渡されたのではなくて、しばらくの間、テーブルの上に置いてあったのではないですか」 「ええ、それはそうです。ぼくは途中でバーを出ましたから」 「鮎川さん。あなたがメモを手にとるまで、そのメモが卓上に放置されていたのは、時間にしてどのくらいです?」 「酔っていたのでよく判らないんですが、まず三十分か一時間ぐらいだと思います」  刑事は視線を渡海にもどした。 「テーブルのどの辺に置いたのですか」 「ぼくの真ン前ですよ」 「どんなテーブル?」 「二人ずつ向き合うやつです」 「酔っていたとなると、そのメモを誰かがとり上げて読んだとしても、気づかなかったでしょうな?」 「ぼくが出たあとのことは知りませんよ。でも、坐っているときにはそんな真似をする人はいなかったようです。尤も、こんな事件になるとは思いませんから、べつに気にもかけていなかったんです」 「あなたのテーブルについていたのは誰と誰でしたか」  一段と刑事の目がするどさを増した。 「それはその……」 「渡海さん、かまわないからいいなさいよ。まずわたしです」  金沢文一郎が発言した。 「それから大久保直公君もいましたな」 「四人目はホステスですか」 「いや、われわれが推理小説の話ばかりしていたもんで、女はすぐほかのテーブルに行ってしまいました」 「ホステスが立っていった後、その席は最後まであいていたのですか」 「それがね、入れかわりたちかわり、いろんな人が来ました」 「ほう、誰と誰が?」  刑事のぞんざいな口調に、温和な金沢もちょっと不快を感じたらしく、薄い眉をかすかによせた。 「わたしも酔眼朦朧としていましたからはっきり記憶してはいませんが、古池謙吉君がきたようですな。それから吉原牛太郎君、山中馬之助君に多岐君」  くんづけで呼ばれた牛太郎と馬之助は憤然としていろをなしたが、刑事に睨まれて頸をちぢめた。 「三人きりですか」 「いや、まだいたと思いますが、いまいったように酔っていたもので」 「ふむ」  大橋刑事は手帖から目を上げると大久保と渡海に声をかけ、ぬけた作家名を補足してくれるよう頼んだ。大久保という編集者がいた以上、そのテーブルに作家が入れかわり立ちかわり寄ってきたのは当然なことである。ここに出席している連中のほとんど全部が、あいたイスに坐ったことを知ったとき、大橋刑事はがっかりしたようだった。 「しかし、刑事さん、ここにいる諸君のなかに容疑者がいるとは頷けないですね。渡海さんは思い違いをして、山川ビルが神田一ツ橋にあるようにメモしたのですよ。事実わたしは一ツ橋へいって、さんざん探しまわったけれども、発見できずにあきらめたのですから」  渡海が面目なさそうにまるい顔を伏せたのをみて、わたしは悪いことをいってしまったと後悔した。満座のなかで恥をかかせてしまったことになる。 「あなたはあきらめたが、犯人はそうではなかった。これはわたしの想像ですが、犯人は電話ボックスに入って山川ビルの住所をしらべた。ご存知かどうか、電話帖をみると、山川ビルというのは都内に二つあります。銀座西に一つと麻布に一つと。ダイアルを二度まわせば、伝兵衛老人がどちらに住んでいるかは簡単に判るではないですか。その結果、一ノ橋の山川ビルにいることが知れたのでそちらへ直行したのですよ」  そう語ってから刑事はわたしを見た。 「さて鮎川さん、あなたは一ツ橋に山川ビルが存在しないことを知ってあきらめたといっていますが、事実はそうではなくて、電話ボックスに入って電話帖をしらべたのではないのですか。二つのビルに電話をして伝兵衛老人が麻布にいることを確かめたのではないですか」 「冗談じゃない」 「冗談じゃない? そうでしょうか」 「一ツ橋からまっすぐ東京駅に行って電車にのって帰りましたよ。山川ビルにはいかなかった」 「だれかそれを証明してくれる人がいますか」  妙にねちねちした言い方をする。 「いませんな、誰も。だが、わたしには槻木老人を殺す動機がないでしょう。わたしは伝兵衛氏に会って、その口から石本峯子の行方をつきとめようとしていたんです。彼を殺してしまったのでは、話を聞くことができないじゃないですか」 「さあ、それはどうですかね。話を聞いているうちに、この男が生きていてはなにかと工合がわるいということになって、思い切ってやってしまったのかもしれない。しかし、そんなことはあとで調べれば明らかになる。わたしも伊達《だて》に刑事をつとめているわけではないのです。被疑者に自白させるコツは充分に心得ていますよ。しかし、いずれにしても物証がなくてはどうにもならない。今後はもっぱらこれの発見に全力をつくします」  自白させるコツというのは、いわゆる精神的な拷問を意味するのだろうか。そう考えただけでわたしの全身を悪寒がはしった。 「鮎川さんにいっておきますが、これからはつねに尾行をつけますよ。いいですな?」  いやだと断っても、それを承知する相手ではない。わたしが憤然として視線をそらすと古池謙吉の目にぶつかった。小肥りのこの男は、例によってハッカパイプをすーすーやりながら、陰険な切れながの目に軽蔑したようないろを浮かべ、わたしが眸をそらせるまでじっと睨みつづけていた。  訊問がおわったあと、なんともやり切れない気持をいやそうとして、鎌倉に住む久野啓二をさそうと、講談社前の『芋平』というすし屋に入った。ここは講談社をたずねた作家や画家がよく利用する店で、なかには文士が書いた色紙や半切がいくつも飾ってある。むりやり書かされたわたしの字も、おなじように横の壁にかざられていた。この春、店の親爺が酒によわいわたしに巧みに盃をさしておいて、ほどよくアルコールが廻った頃をねらって紙と筆をつきつけたのである。人一倍悪筆のわたしの筆蹟がれいれいしく掲げられているのは、本人にしてみるとさらし首にされたような恥かしい気持であった。  二人はとまり木に腰をのせると、まだ日も暮れぬうちから酒を注文した。 「上手とはいえなくても、推理作家らしくていいじゃないですか」  わたしの半切をじっと眺めていた久野は、みえすいたお世辞をいってわたしを赤面させた。 「小心火車。なんですか、あれは?」  大きな声でたずねられたのには閉口した。 「わたしはこの店の放漫財政をいましめたのですよ。つまりその、経営が火の車にならぬようつねづね小心であれという意味です」 「なるほどね。君子自重……、これもやはり鮎川さんの筆ですね」 「へえ、そうなんです。君子自重セヨ、これはあたしのモットーですよ。近頃はもっぱら自重して、競輪場や競馬場へは絶対に近よらないことにしてます。家内も鮎川さんのお陰だなんて喜んで……」  おしぼりと醤油の小皿をさしだしながら、親爺が黄色い歯をむいて笑った。白髪の坊主頭にまめ絞りの鉢巻をしめている。  久野啓二は鎌倉時代の仏教美術を専攻する少壮学者である。だけに、書くものは第一作の短篇≪玩物の果てに≫から長篇≪手は汚れない≫≪偽りの風景≫にいたるまで、材を美術界にとったものが多く、彼の描写は安心して読むことができるのである。そのものしずかな学究肌が女性の好みに合うというのだろうか、われわれの間で彼ほど女流作家に敬愛されているものはいない。それでいて肩幅のひろいがっしりとした体格は、一見ラグビーの選手を連想させるのだ。  外国作家のなかでわたしの好きなのはエラリイ・クイーンなのだが、久野啓二はトリックとか論理の綾とか犯人の意外性ということについては、まるきり不感症なのであった。わたしがクイーンを読むと作者の苦心がいたいほどこちらの身につたわってきて、ただもうクイーンの才能に感心してしまうのだけれど、彼はこうした点にいささかの面白さも共感も得られない様子だった。彼が、推理小説が単なるエンターテインメントであることに激しい不満と抵抗とを感じていることは、そのおだやかな話しぶりの合間からよくうかがわれるのである。二人が推理小説を話題にしたところで、面白い発展をみないことは判りきっている。だから久野啓二は昨夜の『無罪クラブ』の会合のたのしかったことを語り、わたしはもっぱら相槌をうってそれを聞いた。しかし久野の話をきいていても、わたしの心底には大橋刑事の追及からうけた不快な思いがしこりとなって残っているせいか、どうも興がのらない。会話がぷつんと途切れるとわたしはすしをつまみ、久野は独酌で徳利をならべた。おとなしい性格に不似合のことだが、久野は酒豪であった。  格子がひらかれた音にふり向くと、むっくりとふくらんだ肉づきのいい好男子と、黒いサングラスをかけた小柄の客がつれ立って入ってきた。 「やあ」  二人の男達とわたしは互いに頷き合い、彼等はわたしを敬遠したように、少しはなれたイスに腰をおろした。ハードボイルドはハードボイルド同士で気が合うのだろうか、むっちりとした肉感的なほうは幾島治郎であり、一見殺し屋ふうの若者は≪殺意という名の家畜≫の作者である河内典生だった。小柄な体つきのこの作家は、自分の作品にみずから挿絵をえがくという器用なことも出来るという。それはそれとして、彼等とわたしの間をへだてている四脚のイスは、それがそのままハードボイルドと本格物のへだたりを象徴しているようにみえた。  河内典生は耳ざわりのいい低音《バス》でおだやかにものをいっている。 「ジンが呑みたいんだけどな」 「ここはすし屋なんだ、バーじゃないんだぜ」  上体を彼のほうによじってたしなめてやった。典生はジン以外の酒にはてんで興味を示さないのである。 「おや、変った色紙があるじゃないか」  口のなかのものを飲み込んでから、幾島がいった。しゃこを握りながら親爺がそちらを向いた。 「文句が傑作だ。火車というのは日本語の汽車のことだよ。小心ってのは注意せよの意味だ。だから踏切に注意という標語だな。中国にいくと、あらゆる鉄道の沿線でみかける言葉なんだ」  制止するいとまもなく、幾島はぺらぺらと喋ってしまった。うっかりしていたが、彼は上海生まれの上海育ちなのである。上海語では先生のことをシーサンといい、北京語ではシェンションというように、言葉の発音はかなり違うが、いうまでもなく文字は共通なのだ。幾島にこの標語が判らぬ筈がない。  親爺はふにおちぬ顔で幾島とわたしを見比べた。 「この君子自重というのも素晴らしい。おじさん、あんたこれの意味を知ってるの?」  幾島はもう一つのわたしの半切を槍玉にあげた。 「それはつまり、君子は自重せよという——」 「それはそうだ。しかしこれはね、日本ならば塀の下のあたりに鳥居の絵をえがいて、その横になんとかをするべからずとか、何々無用なんていう不粋なことを書くだろう。ところが中国はさすが文字の国だけあって、頭から命令をするような真似はやらないんだな。あなたは君子なのだから自重しなさいというふうに、相手の自負心に訴えるんだよ。すべからず云々《うんぬん》とくると、何をッていう気が起るもんだけど、君子だといっておだてられればこちらもいい気分になって、しからば止めようというわけでボタンをはめてしまう。そういう仕組なんだ。旨いと思うなあ」  わたしの慌てたさまに目ざとく気づいた河内典生が、しきりに幾島の袖をひいて合図するのだけれど、一向にそれが通じないのだ。 「鮎川さん、いまのこと本当ですか?」  鉢巻をはずして鼻のあたまを拭きながら、親爺は面白くない顔つきだった。わたしは返事に窮してむやみに番茶を飲んでいた。酔余のざれ書きだから、いつかは折りをみて解説し、親爺や店員と笑い合うつもりでいたのが、予期しないときに予期しない方向へ発展してしまったのである。  幾島治郎も、わたしが張本人だったことを知って、しまったというふうに呆然としている。赤面したわたしは久野の腕をとって早々に店を出た。つくづく、ついてない日だと思った。    18  それから数日間、わたしは自宅にひきこもったきりで、外出をしなかった。大橋刑事が尾行をつけるといったのは、単なる脅かしにすぎないとは思うものの、帰りの電車のなかでは、乗っている客がどれもこれも私服の刑事にみえて、なんとも息づまる経験をしたのである。いつもならば、わかい女性をみると心うきうきするわたしなのに、このときは、すべてのオフィスガールが変装した婦人警官の姿にみえ、なんとも気が滅入ってしまうのだった。少なくとも自宅に引っ込んでいるかぎり、こうした不愉快な思いはしないですむ。  この暇を利用して、いままで多忙にまぎれてつい読みそこねていた≪トレント最後の事件≫と≪百万長者の死≫を初読したが、名作という評判に期待が大きすぎたせいか、どちらもあまり感心しなかった。サスペンスが乏しかったり冗漫にすぎたりして、没入することができないのだ。逆に、予期に反して面白かったのは早川書房版のビヴァリイ・ニコルズ作≪消えた外灯≫と≪ムーン・フラワー≫及び、シャーロット・アームストロング作≪殺人のためのアリバイ≫だった。前者はニコルズが五十歳をすぎてはじめて筆を染めた本格長篇の第一作と第二作だが、記憶に残るというほどの秀作ではないにしても、いかにもイギリス人らしく綿密によく組立てられた、近頃めずらしく内容のある作品だった。後者は一種の倒叙物ともいうべきもので、本格作者の目からみると構図に手をぬいた甘いところも指摘できるけれど、文体、プロット、描写力などなど敬服させられる点が多々あるのである。これを読んでいるときだけは、いまの自分がおかれている不愉快な立場を完全に忘れることができた。  十日ほど前のことであったが、大久保と電話で喋っていたときに、広告の文案ができずに困っていることを喋ると、彼はすり減った洗濯板みたいな胸を叩き(叩いたのだと思う。電話口になんとも貧弱な音がぺちゃぺちゃと聞えてきたから)、おれに委せろといって、新聞社の広告部との交渉までやってくれた。  各紙の都内版の尋ね人欄に、石本峯子もしくは槻木トク子の消息をもとむという大久保の文案になる広告がのったのは、その二日後のことであった。情報を提供してくれた人には、その内容によって一万円から三万円の謝礼を呈上するとしてある。他人のゼニだから、大久保も気前のいいところをみせたに違いなかった。  わたしは、その日から何回となく郵便函をのぞきに出るようになった。下駄をぬいで書斎にすわったかと思うと、また立ち上り、せかせかした恰好で庭におりる。ひょっとすると電話で情報がもたらされることもあると考え、ベルが鳴るたびに受話器にとびつく。だが配達されるのはダイレクトメールばかりだった。たまに封書がまじっていると、市役所からの市民税の督促状であったりした。  こうして一週間たっても吉報はおとずれなかった。この間の唯一の収穫といえば、伝兵衛老人の葬儀に参列した麻布|笄町《こうがいちよう》の碁会所のおやじの口から、彼の郷里の見当がついたことであった。伝兵衛は趣味のない男だったが、碁だけは初段の腕前で、暇をみては碁会所にかよったというのだった。彼の出身地については、わたしも一応は東北本線の沿線にある槻木ではなかろうかと想像していたのだけれど、これは誤りで、熊本県球磨郡久米村(旧)字槻木の下槻木《しもつけぎ》という部落の出身だというのである。  伝兵衛老人が出京したのは戦前のことだった。先に東京にでて苦学していた息子が、のちに食品工場を経営したところこれが成功し、老人は倅の仕事を手伝うために郷里をあとにしたのである。しかしその息子が兵隊にとられて戦死をとげ、工場と嫁と孫とが爆撃をうけて跡かたなくなってしまってもなお、伝兵衛はくにへ帰ることはしなかった。都会の生活に慣れた身には、山ふかい郷里にもどることは耐えられなかったからだ。  それにしても、大橋刑事があれきり訪ねてこないことが、なにか不気味であった。尾行までつけるといっておきながら、容疑の濃いわたしをなぜ放っておくのだろうか。これが納得できないのだ。玄関のベルが鳴るたびに、大橋がやってきたのではないかと思ってはっとする毎日が続いていた。逮捕され、連行されていくところを写真班にとられて、敬称を省略され、呼びつけでテレビや夕刊に報道されることは、わたしにとっては耐えられぬ侮辱であった。しかし、もしフラッシュを浴びるようなことになっても、顔をそむけたり、カメラマンにコップの水をひっかけたりはしたくないと思った。潔白なのだから、堂々と肩をはって、レンズと対決したいと考えていた。こうして、多少過度な表現をするならば、わたしは通行人の咳払いにもおびえてびくびくしていたのだ。  わたしにとって救いの神ともなったその電話は、広告が載ってから正十日目にかかってきた。そのときの有様を思いうかべるだけで、いまでも皮膚がぞくぞくしてくるほどである。洗面して、自分でハムエッグをつくり、さておそい朝食をはじめようとしたときにそのベルは鳴った。この頃はもう、広告の反響のことはあきらめていたから、いくらかなげやりな態度で受話器をとった。 「もしもし」  交換手の声が番号をたしかめたのち、神戸からです、といった。神戸から? 誰だろう。 「鮎川さん? わたし沈です。沈舜水……」 「やあ、しばらく」  予期せぬ相手からの電話に、わたしは思わず声をはずませた。 「早速やけど、鮎川さんが新聞にだしはった広告をいま読んだとこです。出版社に注文したハードボイルドの本が届きましてん。包んであった新聞紙をみてたら、あの広告が載っていたというわけですわ」 「ふむ、ふむ。それで……」  と、わたしは一語もきき逃すまいと、受話器を耳に押しつけていった。彼がわざわざ長距離をかけてきたところをみれば、重大な情報をもたらそうとしていることは明らかである。 「石本峯子という女は知らんけど、槻木トク子ちゅう名は聞いたことがおます。ぼくと同じ中国の人が栄町で貿易業をやっとりますねんけど、槻木トク子いう女が、そこで秘書みたいなことをしてました。二十五歳ぐらいで、あまり美人じゃなかった。ちょっと男まさりなとこもあったんと違うやろか。歯切れのいい東京の言葉で喋りよったから、関西の生まれやあらへん。ぼくはその頃外大をでたばっかしで、親父の仕事の見習いをやらされとったんです。そんなわけで、四、五度その店をたずねたことがおましてん。新聞の尋ね人とは同名異人かもしれまへんけど、一応お知らせしておこと思うて……」  わたしは素早く頭のなかで計算をした。その結果、沈が大阪外語大学を卒業したのと、深川の葵荘が火事をだして焼けだされた槻木トク子が都落ちをしたのとは、時期的にみてほぼ一致することを知った。関西方面へ移った彼女が、その地で職についたということはあり得る話である。 「その女性が槻木トク子という名前であったことは確かなのですね」  と、わたしは念を押した。 「それは間違いおまへん。なんで名前を覚えているちゅうと、槻木という姓の読み方が判らんで訊ねたことがあったからです。母親が早婚で十九のときに生まれた。そうやからトク子という名をつけられた。そんなような話しとりました。そのオフィスにいる中国人はあまり日本語がうもうないので、ぼくがいくとちょうどええ話相手が来たとばかりに、よう喋ったもんですわ」 「沈さん、沈さん。聞えますか」 「そない大きな声ださんかて、よう聞えますがな」 「そのオフィスは神戸のどこにあるんですって?」 「栄町ですわ。ここ数年間たずねたことないよって、槻木トク子があいかわらずそこに勤めているかどうかはわかりまへんけど、なんやったらいっぺん電話をかけて確かめてみまひょか」 「すみません、たのみます」 「そんなら、早速訊いてみて、その結果をのちほどもういっぺん電話で知らせますさかい」  沈は気軽にいって、電話をきった。  五時間ばかりたってから、二度目の連絡が入った。 「まずい報告ですわ。栄町の泰東|公司《コンス》は、ずっと以前に神戸をひきはらって、香港へいてしもたんやそうです」 「いてしもた?」  おうむ返しにわたしはいった。 「すると、槻木トク子は?」 「判りまへん。泰東公司が解散すれば、当然どこかよその会社に再就職したことが考えられるのやけど、それを調べるにはもっと時間がいりますのや。もう少し待っとくれまへんやろか」  ぜひ頼む、とわたしは答えた。泰東公司が営業形態を解消して社長が本国へ帰ってしまったとしても、全部の社員が日本から去っていったわけではあるまい。それ等のなかには、いまなお神戸の中国系の貿易商社につとめている人間もいるはずである。そして彼等の勤め先をたずね、もとの同僚だった槻木トク子の行方をつきとめたりすることは、日本人であるわたしよりも、同国人である沈のほうが何かと好都合であるに違いないのだ。わたしは沈の好意にすがることにした。 「沈さん。わたしはこれから九州へ旅行をします。その帰りに神戸に寄りましょう。話はそのときに聞かせて下さい」 「九州へ? 取材でっか」 「いや、そうじゃないです。殺された槻木伝兵衛という人が九州の産なんですよ。そこを訪ねてみれば、なにか得るものがあるのではないかという気がするんです。槻木トク子も同郷人ではあるまいか、ひょっとすると彼女は郷里に帰っているんじゃないかという気がする。九州へいけば必ずこうなるというはっきりした目的はないけども、なんていったらいいのかな、家のなかにじっと坐っていることに耐えられないのですよ」  東北や関西の人とちがって九州人は東京弁をマスターするのが巧い、という話を聞いたことがある。トク子が熊本県の産だとすれば、言葉に訛りのないことも頷けるのだった。  九州へいってみようと思いたったのは、沈と電話で語っているうちに、頭をもち上げてきた考えなのである。沈にもいったとおり確たる狙いがあるわけではないが、坐して成行に身をまかせるような落着いた心境になれないのも、また事実であった。    19  東京発十一時の急行�霧島�が熊本県の八代駅に入るのは、翌日の十一時半にちかい。正味二十四時間の旅だから、これだけで結構こたえるのだ。  この八代から肥薩線のディーゼルカーに乗りかえ、球磨川にそって五十キロほどさかのぼると人吉という駅に着く。ここでさらに湯前線に乗り、人吉盆地のまっただなかを走って多良木という駅に下車したのが午後の一時半であった。  目的地の槻木は山のなかの部落だから歩かねばならぬことは覚悟してきたのだが、有難いことに途中の峠の手前までバスが通じているという。そのバスの発車時刻までの合間を利用して、わたしは町の食堂でおそい昼食をすませた。  せまい町をぶらついた後で駅前のバス停にもどった。バスの前に立ってみると、盆地のはてに連なる山の背に、ほんの一個所だけ小さく欠けたところがある、車掌の話によるとそれが槻木へいく峠で、下槻木はそのはるかむこうにあるのだそうだ。夕方までに歩いてもどれるのかと訊くと、車掌は言下に首をふり、絶対に日帰りは不可能だから、小学校の分校に泊るほかはない。あの先生は親切じゃけんの、と答えた。宿屋は一軒もないというのである。わたしは峠の手前までいくというそのバスに乗り込んで発車するのを待った。  車掌に料金をはらって切符をうけとったことは覚えているけれども、車窓からみた村が、どんなところだったか、バスが何処をどう走ったかといったようなことは、全く記憶にない。揺られている間中、わたしは眠りつづけていた。目ざす停留所まで、それでも小半刻はかかっただろうか。終点でただ一人バスをおりたわたしは、杉木立の陰のしめった山道をのぼった。  駅前で眺めた峠は、ほんの小さな窪みにすぎないように見えたが、実際に自分の足でふんでみると、どうしてどうして、そんなチャチなものではなかった。山の頂を人工的に切り拓いた峠で、道の両側は見上げるような絶壁である。その裾の、わたしの目の高さのところに小さな地蔵菩薩の像がきざまれていた。  峠をこえるとゆるやかな降り坂になる。西陽を受けた道が山腹をめぐって白くのびていた。バスを降りたあたりから人家はまったくない。一本道を真直にゆけば、いやでも槻木にたどりつくと車掌にいわれたのだが、一時間あまり人っ子ひとりいない道をとぼとぼ歩いていると、妙に心細くなってくる。  三時間ちかく歩きつづけ、足もとが薄暗くなりはじめた頃に、ようやく山の裾に点在している数軒の家を見出した。空はまだほの明るいが、家のたっている一帯はすっかり暮れてしまい、かすかに夕霧がたなびいている。土壁をきりぬいた窓の障子に、めしを炊く火のあかりが赤く映えていた。よくみると霧だと思ったのは、炊事の仕度の煙であった。ここが上槻木であった。  ほそ長い部落をとおりぬけてから、また三里ちかく歩きつづけた。途中で足もとが暗くなった。こういうこともあるだろうと思って懐中電灯を用意してきたからいいようなものの、さもなければ、手さぐりで歩かなくてはならないところだった。  書斎人であるわたしに、十里近い山道はこたえた。靴下がやぶれ足にマメができたばかりでなく、下槻木についた頃は、空腹の極に達していて、意気地のないことだが、分校の扉をたたくと同時にへたへたとその場にくずれ折れてしまった。  辺地教育に身を捧げている那須先生はまだ二十五歳というわかい人である。頭を坊主刈りにした猪頸の男で、眉がふとく鼻孔がいかり、どうみても加茂川の荒法師といった顔つきをしているが、開放的で楽天的な性格の持主なのは何よりだった。陰気で翳りのある男は、わたしの最も苦手とするところだからだ。彼は三年前に自らのぞんでこの分校に赴任してくると、自炊をしながら山の子に勉強することを教えているのだった。  分校の建物は、教室と先生の居室の二つの部屋から成立っている。わたしは那須先生の部屋でいろりを囲み、岩魚《いわな》と山菜の馳走になりながら、この山の部落をおとずれた目的を語ってきかせた。 「めしを食ってしまったら米蔵《よねぞう》を呼んできます。伐採《ばつさい》をやっとる老人ですが、部落のことはこの男が一番よく知っとりますけん」  わかい教師は標準語にちかい言葉でそういうと、粗朶《そだ》を折って炉にくべた。雑木《ぞうき》のなかには燃えやすいのもあれば、火つきがわるくていつまでも執念深くいぶっているのもある。悪臭をだす柴があるかと思うと、黒文字のようにさわやかな香りをただよわせるものもあった。煙が目にしみてわたしが辟易しているときでも、彼はけろりとして乾した岩魚を囓《かじ》っていた。  槻木米蔵は、那須先生をふた廻りも大きくしたような堂々たる偉丈夫だった。むかし、テロの兇手にたおされた達磨というニックネームの蔵相がいたが、あの顔を粗野にして、筋骨をたくましくすると、どうやら米蔵老人になる。  わたしという見なれぬ男がいるせいか、彼の態度はなにかぎこちない。那須先生は老人を酔わせることによってその緊張を解きほぐそうとして、しきりに酒をすすめた。那須先生から焼酎を注がれるたびに、彼は小さな盃を大袈裟に頂くようにひたいのあたりに持ってゆき、旨そうにのんだ。東京で焼酎というと、むかしから肉体労働者が呑むものと相場がきまっているが、この辺の焼酎は肥後米で醸造された上物であるという。顔が赤くなるにつれ、米蔵は黄色い歯をむいて、わたしに笑いかけるようになった。  熊本弁というやつは、文字で書けば意がつうじるけれども、妙なイントネーションをつけて早口で喋られると、意味をつかむことは仲々むつかしかった。その熊本弁のなかでも、特に球磨川上流の言葉は難解で、おなじ熊本人にも通じないといわれている。しかも、ときどきこれまで耳にしたこともないような単語をはさまれるから、まずは外国人と対話しているのと変りがない。 「槻木トク子さんという人を知っていますか」 「知っとるです。じゃがいまはおらん。あのおな子が部落をでて、もう十年あまりになるたいな」 「どんなわけで部落を出たのですか」 「山国の暮しに愛想がつきたとですたい。こげん山奥にはめずらしか頭のよかおな子じゃったけん、都会にでて成功しようと思ったとたいな」  どれほど頭がよくても、この山奥の部落にいるかぎり才能を生かすことはできない。トク子が槻木を捨てていったのは無理もないことなのだ。そうしたことを槻木米蔵は朴訥な口調でゆっくりと喋り、ときどき大きな口をぱくりと開けて、機嫌よく笑った。彼は黒灰色の小さな毛皮で綴った衿巻をしている。それがひどく暖かそうに見えたのであとで訊ねてみたところ、近所の山でとったモモンガなのであった。このムササビを小型にした動物は、東京でこそ珍しいけれど、この山里にはいくらでも棲んでいるという話だった。 「槻木トク子さんのいまいる場所はどこですか」 「この頃は噂も聞かんですたい。むかしは親父やお袋がおったけん、年に一度ぐらいは帰ってくることもあったばってん、いまは両親も死んでしまったもんな、戻ってこんです」  親が死亡したいま、トク子が帰省しないのも当然だと思う。あの十里の山道は考えただけでもアゴがでる。 「トク子さんの係累はいないのですか」  わたしの質問の意味が米蔵には判らぬようだった。那須教諭が通訳をしてくれたところによると、彼の返答はつぎの如くになる。トク子には兄が一人あったが、これは幼い時分に食あたりで死んでいる。親戚といえば父方の伯父がいたけれども、伯父夫婦もとうのむかしに死亡しているから、身寄りというものは全くないのだ。  槻木トク子が帰省していないという話は、わたしを失望させた。もしかすると米蔵は彼女に頼まれて嘘をついているのではないかと思い、米蔵が帰ったあとで那須先生にもたずねてみたけれど、彼はトク子などという女は見たこともないと答えた。せまい部落のことだから、こっそりトク子が帰っているなら、気づかぬ筈がないというのだった。槻木トク子に利害関係のないよそ者のこの発言を、わたしは信じてもいいと思った。  つぎに伝兵衛のことについて質問してみた。すると、白い不精ひげの生えた米蔵の顔がたちまち曇った。 「殺したやつはまだ捕まらんとですか」  伝兵衛老人の死にまつわるかなりくわしいニュースが、早くもこの山里に知れていたことは意外だったが、説明されてみると、べつに不思議でもない。多良木の町役場からでた噂が、町の郵便局の配達員によってここまで伝えられたのだった。わたしが先程歩いたあの山道を、局員は三日に一度のわりで通ってくるのだという。勿論日帰りであり、それは想像しただけでも大変な仕事だった。山国や雪国の郵便局員の労苦には、文句なしに頭がさがるのである。  伝兵衛殺しの犯人が槻木トク子だとはいうにしのびなかった。東京の警察の捜査能力は世界一なのだから、いずれ近いうちに犯人は逮捕されるだろうとのみ語って、その話はわたしのほうから打ち切りにした。  いろりの火のほとりに、チョカという名の一輪ざしに似た形の土器がおいてある。この地方では、焼酎をこのチョカに入れ、じかに火にかけて燗をするのだ。米蔵もしまいには手酌でやるようになったが、陽焼けした黒い顔はいっこうに晴れなかった。 「伝兵衛は、おどまよりも五つばっか齢下でしたたい。子供ン頃は泣き虫じゃったが、人間のでけたよか男じゃったもんで、部落中のものから信用されとったです。町の農業金庫へ部落の金ばおさめにいくのも、伝兵衛の仕事じゃった。ばってん、一度も間違いをおこしたことがなかでした。部落のおな子からも信用されて、産婆をやったこともあるですたい」 「産婆を? 男がですか」 「そうなのですよ。女の取り上げ婆さんが死んでしまったものだから、止むを得なかったらしいんですがね。そのうちに上槻木出身のわかい女が看護婦の免状をとって帰ってきたもんですから、お役ご免になったわけです」 「あれが東京へいくときは、村のもの三人が多良木の駅まで送ってゆきましたたい」  口にもってゆきかけた盃をとめると、米蔵は遠くをみるような目つきをした。  伝兵衛は、空襲で東京が焼野原になったときでも疎開してこなかった。槻木に帰ると死んだ女房のことが思い出されて辛い、というのがその理由である。伝兵衛は無事敗戦の日をむかえたが、前にもしるしたように五月二十五日の大空襲で工場は壊滅し、一家全員が爆死をしていた。そして、とどのつまり身寄りを失い職を失った伝兵衛はビルの番人になって、あの気の毒な最期をとげるに至ったのである。 「おッ、モモンガが鳴いとる」  いきなり、那須先生がわたしの注意をひくように、突っ拍子もない声で叫んだ。はっとして耳をすませたけれど、聞えるのは粗朶のはねる音ばかりだった。  あくる朝はやく、わたしは無理にいくばくの金をおいて分校をでた。谷川ぞいに二里ほどくだった伐採場から、宮崎市の近郊まで営林署の軽便鉄道がでていることを知ったからである。もやに霞んだ林道を、わたしは背をまるめて歩きつづけた。    20  その日の夜、わたしは約束したとおり三ノ宮駅のフォームで沈と会った。だいぶくたびれた顔をしよるな、と沈はいい、わたしのために宿を用意しておいたことを告げた。 「鮎川さんがくるというもんやさかい、関西の本格派の人たちに集まってもらったんですわ」  車のなかで沈はそう語ると、わたしにとって同志ともいうべき懐しい人々の名を挙げた。わたしは、わたしを慰め激励してくれようとする関西派の人々の好意がうれしかった。  宿は駅の北の山腹にたっていた。車で三分ほどの距離である。座敷にとおされると、そこにはすでに三人の男性が席についていた。そのむかし≪高天原の犯罪≫≪不思議の国の犯罪≫≪明日のための犯罪≫などの好短篇をものした赤城一、≪硝子の家≫や、最近では≪密室の妻≫を刊行した須磨久平、それに日本推理作家協会関西支部のなかでも美男子の名もたかい山之沢晴雄など、いずれも待ちくたびれた顔だった。  すぐに食事がはじまった。昨夜の粗末な夕食にくらべると、さしみの皿一つをみても目がくらむ程である。女中が縁側の障子をとりはらって、目の下に拡がる港町の夜景をみせてくれた。 「生駒山の近くにも百万ドルの夜景ちゅうのがおますのやが、この三ノ宮の眺めは千万ドルの価値があると思っとります」  と、大柄の須磨久平が説明した。彼は学生時代にボクシングの重量級の選手だったことがあるのだが、そうした人間にありがちな粗暴な様子はまったく見られない。彼と話をしていると、人間の暖か味にじかに触れた思いがして、ほのぼのとした気持になるのである。その夜はわたしが身も心もへとへとになっていたせいか、思いやりのある須磨の言葉がいっそう身にしみた。  大体において関西の人には本格好きが多いようだ。わたしの経験によると、長篇がでるたびに読後感をよせたりミスを指摘してくれたりするのは、まず関西在住の人に決っている。ほかに北九州や東北から届くこともあるがそれはきわめて稀れであり、四国や南九州の人間には本格物の論理的な面白さが理解できないのだろうか、全く反響がない。そしてその点では、東京の読者も南国人と変るところがないのである。 「鮎川さん。われわれがあなたを信じているということを信じて頂きたいものですな」  赤城一がちからづけてくれた。二十代のなかばで理博の学位をとったこの教授は、早口で警句を吐き、そしてからからとよく笑う。眼鏡のおくの目をほそめ、まっ白い歯をのぞかせて機嫌よく笑うさまは、まさに破顔という熟語がぴったりくるのである。この数学者はわたしの長篇がでるたびに徹夜で読了し、そののち三時間ぐらいかけて便箋四、五十枚のレポートを書き上げ、拙作の批判をしてくれるのが毎度のことであった。その鋭利な分析力は他に類をみない。本人が多忙にすぎて余暇がないので止むを得ないが、わたしは赤城一が評論の筆をとらぬことをつねに残念に思っていた。本格物にとどまらず、ハメットを原書で読むなどハードボイルドにも造詣が深いから、水原金造や吉原牛太郎の如き藪医者と比べると、桁違いにすばらしい評論をやるはずだ。 「鮎川さんは事件の渦中にまき込まれて、客観的にながめることができないのではないかと思われますね。鮎川さんと同じ立場になれば、わたしもやはりそうなるでしょうけれど……」  沈とおなじように小柄な山之沢晴雄がしずかに口をはさんだ。彼も赤城も東京の生まれだから、ちゃんとした東京弁を語ることができるのである。 「そこで、今夜はあなたから直接に事件の話を聞いて、あとでわれわれがそれを検討してみたいと考えているわけですよ」 「それはいい案だ。ぜひたのみます」  わたしは音程を三度ほどあげて、そう答えた。  山之沢晴雄の作風は、本格派のなかでも最右翼に属するものである。そのトリックは論理の極限において辛うじて成立するものであり、すべての作品が晦渋《かいじゆう》をもって知られていた。例えば、そのむかし彼が連作≪むかで横丁≫でこころみた時間錯誤のトリックなど、わずか三十枚にもみたぬ枚数でありながら、それを完全に理解するのはきわめて難事であった。作者自身が「あれを判ってくれる人が果しているだろうか」と疑惑したほどである。したがって餡パンをくったり南京豆をかじりながらの安易な読み方をしたのでは、作者のいうことについてゆけなくなるのは当然だ。そのかわり、一切を了解したときの爽快さはまた格別ということになる。そこに、この種の推理小説の妙味がある。  読むものにそれだけの努力を要求するのだから、それを案出する作者の側には、なみならぬ根気と特異な頭脳とがなくてはならない。山之沢はその才能をもっていた。近頃、克明にメモをとりながら読みすすまなくては面白さがわからぬ本格物を、一部のマニアの間にのみ通用する玩具であるとして、不当に軽視しようとする思い上った風潮がある。山之沢はそれを承知の上で、少数の真の推理小説の読者をよろこばせるためには、あえて難解な論理の展開を試みようとしているのだった。  だが、トリックを考案する才能と、現実の事件を解く才能とが別であることはいうまでもない。それは名案だ、ぜひやってくれとはいったものの、彼等によって事件の解決がみられることを期待したわけではなかった。  わたしの話を、四人の仲間はときおり質問を挟みながら傾聴してくれた。大久保直公が、堀松子のパンティに片手をつっこんだ件りになると、上品な関西の紳士達は一様に下をむき、顔を赤らめるのだった。大久保編集長はときどき関西にも出張しているので、彼等も顔見知りなのである。  須磨久平が十余年ぶりで長篇第二作≪密室の妻≫を上梓した直後に西下した大久保は、たまたまその出版記念会にぶつかった。 「記念会といっても、出席者が新作を叩く会なんだ。あれが関西ふうの友情の表現なのか知らないが、ぼくには賛成できない。須磨さんが可哀想だったな」  批判的な口調で大久保が語ったのを覚えている。彼にはそうした優しい一面もあるのである。パンティに手を入れるのが唯一の趣味であると誤解されては、大久保のために気の毒だ。  雑談は十一時ちかくまで及んだが、その場ではべつにこれという結論はでなかった。しかし、それはそれで結構だった。わたしは四人と語り合うことによって、心がなごんでくるのを覚えた。九州の山奥をたずね、手ぶらで戻ってきたわたしの失望と疲労はしだいに癒えていくようだった。 「ところで鮎川さん、例の槻木トク子のその後の件なのですが……」  話が一段落するのを待って沈がわたしをみた。 「いろいろ調べてみた結果わかったことですのやけど、あの女は社長一家とともに香港へ渡ってしもたのです」  予想もしなかった話である。彼女が香港にいるとすれば、望月泰二を殺し槻木伝兵衛を殺した犯人はトク子ではあり得ないことになる。 「ほんとうですか、それは?」 「ええ、ほんまでっせ。社長の奥さんにえろう気に入られて、ぜひ香港で働いてくれんかちゅうて懇望されたそうです」 「誰から聞いたのですか」 「泰東公司につとめていた曾さんちゅう中国人です。いま大阪の今橋の会社にいます。曾さんは社長夫人に望まれたゆうてますが、本人であるトク子が運動して、それが功を奏して香港ゆきが実現したのだという考え方をする人もいます。やはり泰東公司につとめていた李さんちゅう女の人の話です」  女性のほうが見る目はたしかなのではないか。とすると槻木トク子が日本脱出をねがった理由は何だったのだろう。 「いまも香港にいるのでしょうか」 「社長一家の住所がわからんもんやさかい、問い合わせの手紙をだすことがでけんのです。しかしこんなニュースもあるんですよ。槻木トク子は加納町の日ノ出荘ちゅうアパートに住んでいたことが判ったもんやさかい、ぼくはそこを尋ねてみたんですわ。彼女が、管理人に香港の住所をかき残していったんと違うか、そう考えたからです。ところがトク子はほんの二、三ヵ月の予定で出ていったらしくて、郵便物は部屋になげ込んどいてやというて出発したちゅう話なんです。ちょっと部屋をのぞかしてもろたが、家具や寝具はちゃんとそのままになっとりましたのや」 「部屋代を送金してくるわけですか」 「横浜の中国人から毎月おくってくるのやそうです。香港のトク子に頼まれている、ちゅうて」 「中国人から?」 「ええ、メモしてんか。中区山下町五七番地、黄蓮環。山下町ちゅうのは中華料理店が仰山ならんどるところですわ」  この春、沈はある雑誌のグラビアの取材をするために上京して、横浜の中国料理店のルポをしたことがある。aの店に入ってひとくち食べ、bの店にとびこんでひとくち食べ、cの店に入ってひとくち食べ……、羨ましいような、何かものたりないような仕事であった。横浜の南京街の地理はそのときに覚えたというわけである。 「黄蓮環……、日本では環《たまき》というのは男の名前に決っているんだけど、この黄さんはむろん男でしょうな?」  と、わたしは質問した。ソプラノ歌手の三浦環はいうまでもなく女性だけれど、これは男子誕生を期待していたところに女児が生れたものだから、失望した両親が、せめて名前だけでも男のものをつけようというわけで命名したのである。 「中国では女性の名前ですわ。環という字は腕輪とか耳輪とか、女の装身具を意味する言葉だすのや」  すると、黙って聞いていた数学者が口をはさんだ。 「鮎川さん、この黄蓮環というのはですね、ひょっとすると槻木トク子の変名ではないですか。彼女はなにかの事情で自分がまだ香港にいるようにみせかけたい。日本にいないようにみせかけたい。そこで中国人になりすまして送金する……」 「なぜですか」 「彼女が望月泰二や槻木伝兵衛殺しを計画していたとすると、そうしたほうが都合がいいではないですか」 「なるほど」 「帰られたら、早速そのことを捜査本部におしえたげはったらええですな」  須磨久平もそうすすめてくれた。だがわたしは、大橋刑事の精悍な面構えを思いうかべただけで消化不良になる昨今なのである。本部をたずねて情報をもたらすことは何とも気がすすまなかった。わたしは自分で黄蓮環を訪ねてみることに決めた。そしてその夜は事件の話を棚上げにして、推理小説談義にたのしい一夜をすごした。宮原竜雄だとか岩田賛だとか推理小説の筆を絶って工学博士になってしまった藤雪夫だとか、むかし懐しい人々の名がしきりにとびだした。  鎌倉の自宅に戻ったわたしは、翌日早々に横浜の南京町をおとずれて、そこで意外なことに直面した。山下町五七番地には五軒の中華飯店が軒を並べていたが、そのいずれにも黄蓮環という女性は住んでいないというのである。槻木トク子はどうかと思って訊いてみると、トク子のみならず、日本人なんて一人もいないといわれた。ひょっとすると番地を違えているのではないかと考え、中華民国居留民団事務所をたずねて調べてもらったけれども、答はやはり同じことだった。黄蓮環という名の中国女性は、単に山下町だけでなく、横浜市内にもいないことが明らかになった。  黄蓮環の正体は、どうやら赤城一のいうように槻木トク子であるような気がしてきた。彼女以外のだれが、架空の住所と名を名乗って神戸の日ノ出荘に部屋代をはらう必要があるだろうか。そう考えてわたしはこの調査の結果を沈に報告してやったが、筆不精で知られた彼からは何の返事もこなかった。    21  それから一ヵ月ほどの間、なすことのないままに自宅に閉塞《へいそく》していた。心に悶々の情をいだいているから愉快であるはずがない。加うるに仕事の注文がばったり絶えたものだから、やがて米櫃《こめびつ》の底がみえてくるという経済上の不安もある。そうした気持をまぎらわそうとして、手当り次第に本をよんだ。≪荘子≫≪修羅八荒≫≪ヴァスコ・ダ・ガマの航海日誌≫≪人口論≫≪金星人会見記≫などなど、濫読というよりも乱読にちかい勉強ぶりであった。  前にも誌したとおり、大橋刑事はあれ以来ばったりと姿をみせなくなっていたので、それが何とも不気味でならなかったが、それにはわけがあることがあとで判明した。伝兵衛殺しの夜、わたしが横須賀線にのっている姿が車掌によって目撃され、その証言でわたしのアリバイは本人が知らぬ間に成立していたのだった。疑いがとけたならばその旨を知らせてくれればわたしの気持もはれただろうに、大橋刑事にはそれだけの親切心が欠けていたものとしか思えない。  乗務員がわたしのアリバイを立証してくれたというのは一見妙なことに聞えるかも知れないが、それにはそれなりの理由がある。一、二年前のことになるけれども、東京駅から乗った下りの横須賀線が満席だったものだから、わたしは坐るに坐れずに、立ったままで車掌と話をしてきた。この人が意外にも推理小説好きで、談たまたまホワイトチャーチの≪ギルバート・マレル卿の絵≫に及ぶと、「現代の列車ではあのトリックは成立しませんね」といい、その理由を聞かせてくれたものである。  わたしは人の顔を記憶する才能にとぼしいので乗務員がどんな容貌の人だったかすっかり忘れてしまったが、先方はありがたいことにわたしを覚えていてくれたとみえ、乗り合わせていたわたしの証人になってくれた次第だった。  この秋の江戸川賞の授賞式は例年どおり日比谷のNホテルでとりおこなわれることになり、わたしのところにも招待状がとどけられた。ときがときなので散々まよった揚句、出席することに決めた。人々にあらぬ疑いをかけられ、さげすみの眼でみられるのは不快なことに違いないけれども、それにもまして、新人推理作家の前途を祝福したいという気持のほうがつよかったからである。  その日、受付で苦手の記帖をすませ、ロビイに入っていくと、すでにあらかたの顔は揃っていて、それ等のなかには、めずらしく長野県から出てきた淵屋隆夫と、例年のとおり神戸から上京してきた沈舜水の姿もまじっていた。 「白状すると、ぼくは授賞式のとき、トランキライザーを飲んだんですわ。胸がどきどきして、素面《しらふ》ではよう坐っておられんかったです」  沈はそういってあたりの人を笑わせた。会場には古い作家の顔の見えないことが淋しかったが、あたらしい作家はほとんど出席していた。麦村正太や沈舜水といった先に受賞した人達をはじめ、浅野洋、紀野舌太郎、三善徹、幾島治郎、酒沢左保の顔もみえた。わたしと親しく口をきいたことのないわかい作家連中の数はもっと多かった。それ等のなかに、SFの古池謙吉や、ハードボイルドの河内典生もまじっていた。古池はものもらいでもこしらえたのか、片目に白い眼帯を当て、のこったほうの目で冷笑するようにわたしを睨んでいた。彼は最近のある雑誌で「クロフツは退屈で飽き飽きする、アリバイ破りなんて時代遅れだ、こんなものを書いているやつの気が知れぬ」などと発言し、暗にわたしに戦いを挑んでいるのだった。  式は型どおりに進行した。委員が今年度の選考事情について報告をしたのち、推理作家協会の長が、今年度の入選者にポーの胸像を授与する。待機していたカメラマン達が両人をとりまくようにして、シャッターを切る。受賞者は頬をそめ、ほこらし気にブロンズの像を抱く。あたらしいホープが誕生する一瞬であった。ひろいホールをゆすぶって拍手が反響する。  つぎつぎに祝辞がのべられ祝電が披露されて式がおわると、出席した会員たちの表情にも、緊張がとけてほっとした色がうかぶ。彼等はグラスを片手にテーブルの間をぬって、思い思いに作家や編集者たちと談笑をはじめる。多忙で、平素はめったに顔を合わせることのない人々ばかりだから、このようなときでないと話を交わす機会がないのである。  わたしの場合もおなじことがいえた。しかし時がときであることを思うと、いい気になって油を売って歩くわけにもゆかぬ。話をするにしても、それはわたしを信じかつ支持してくれている少数の人々にかぎられるのである。わたしはあたりを見廻しているうちに、三木悦子と視線があったので、のこのこと彼女のイスに近づいていった。そのときのわたしは戦後の『新青年』に発表された三橋一夫作≪バオバブの森の彼方≫をとり上げ、そのなかに登場してくるバオバブというアフリカの熱帯植物について語り合った。三木悦子のような淑女の前では、いわゆる「ご婦人のお噂」をやるわけにもゆかない。まず彼女の大好きな植物の話をすることが無難なのであった。  だが、彼女を相手にして語るには、わたしの植物の知識はきわめて貧弱であった。タンポポ、スミレ、ホウレン草。稲と麦とホップの話をすると、タネ切れと相成る。それをしおに、今度は戸川正子とシャンソンの話をした。往年の大年増ラケール・メレがいまやぶくぶくのデブ婆さんとなり、バレンシアに引退して自叙伝を執筆中だと語ってきかせると、彼女感激して涙をうかべ「鮎川さんえらいこと知ってらっしゃるのね」と手をとり声をふるわせた。大久保直公が羨ましげな目つきでこっちを見ている。『塵の会』のメンバーをオバサマ呼ばわりしていたことが彼女等の耳に入ったものだから全員につむじを曲げられてしまい、近頃とんともてなくなっているのだ。  これは当時江戸川賞を担当していた講談社学芸部のA部長が秘かにわたしに告白した話だが、新庄文子が≪危険な関係≫で乱歩賞を獲得した直後、京都は太秦《うずまさ》の新庄家をたずねたA氏は、相手のにおうような美しさに悩殺されて、テーブルの下の膝頭が終始がくがくしどおしだったそうである。あの千軍万馬のA氏すらそうなのだから、純情可憐なわたしなどは鎧袖一触《がいしゆういつしよく》、ウィンクされただけで泡をふいて人事不省になりかねぬ。新庄文子にかぎってはるか遠方からうち眺めることにしているが、その度にわたしの胸は少年のそれのように妖しくときめくのだった。  わたしは難波きみ子と朽木靖子の姿をもとめて人波を見渡す。するととんでもないところから敵意と軽蔑をないまぜにした視線を浴びせられていることに気づき、あわてて顔をそむけたりした。依然としてわたしは恥ずべき盗作行為をした張本人とされているのである。腹がたつやら情ないやらで、欠席したほうがよかったと後悔をする。難波きみ子や朽木靖子と話をすれば不愉快な気分もふッとんでしまうに違いないのだが、生憎と二人の女流はまだ来ていない様子だ。  わたしはテーブルに近づいて、星野新一とならんでイクラのカナッペをつまんだ。 「ぼく等の仲間でベッドシーンを書かないのは、鮎川さんとぼくぐらいのものですね」  星野がいう。たしかにそのとおりだ。彼の近作≪現代の美談≫にはめずらしくコキューのシーンがあるが、風俗作家ならば脂っこいこってりとした描写をこころみる筈のところを、星野は余分なもの一切を切り取ってしまうから、まるで二次方程式みたいにすっきりとした健康的なものとなっているのである。不潔さや嫌らしさが少しもない。 「なぜ書かないのですか」 「ぼくが書くSFには、そのような不純物は要らないからですよ。尤も、ぼくに濃厚なベッドシーンを書くだけの筆力もないけど」  筆力がないといったのはもちろん謙遜である。しかし、エヌ教授と女流物理学者のピー博士が、天王星行のロケットの上で情痴の場面を展開するというのは、どう巧みに描写してみても場違いの感をまぬかれることは出来ないのだ。だいいち、赤ン坊が生まれやがて成長すると、ロケットが重くなりすぎて軌道が狂ってしまうのだ。わたしは星野の創作態度を賢明だと思った。  背の高い男を相手にしたものだから、こちらの頸筋が凝ってきた。そうしたとき、小柄な金沢文一郎に肩を叩かれたので、思わずほっとしたのである。命名ずきのジャーナリズムによって虚無派と名づけられたこの作家は、そのエピゴーネンが一人も出てこないことが象徴しているように、つねに孤高であった。こうした会に出てきても、話をかわす相手がほとんどいないのである。 「大久保さんから聞いたのですが、関西に行かれたそうですね」 「九州まで行きましたよ。熊本県の山奥です」  金沢は、わたしという話相手のできたことを喜ぶように、耳をかたむけた。そして、自分はまだ九州の土を踏んだことがないので、是非いってみたい、なかでも憧れているのは天草だ、機会をみてご一緒しませんかなどと語った。 「あなたは例の件を気にしているんじゃないですか。負けちゃ駄目です。わたしは今夜から一週間の予定で北海道へ取材旅行に出ますが、帰ってきたら、大久保君と三人で心ゆくばかり呑もうじゃないですか」  金沢は旅のスケジュールを掻いつまんできかせてくれた。北海道はわたしも幾度か取材の企画をたてたことがあったが、対象が広大すぎて日数がかかりすぎるものだから、つい敬遠して、後廻しにしていたのである。しばらくの間、わたしは金沢の語る北海道旅行の話と八百枚になる予定だという次作の抱負について耳を傾けさせられた。ジャーナリズムにもてはやされる作家は得てしてふんぞり返りたがるものだが、金沢にはそのように嫌味なポーズはまったく見られない。彼の人となりについて、人生観について、さらにまた作品について殆ど知るところのないわたしが、金沢に好感をもっているとすると、それは彼の流行作家らしからぬ謙虚な態度にかかっているのかもしれなかった。わたしは次のQ賞をぜひとも金沢にとってもらいたいと考えていた。  ついでわたしは、壁ぎわのイスに並んで語り合っている麦村正太と淵屋隆夫のところにいってみじかい会話をかわした。久し振りで上京した淵屋隆夫をかこみ、麦村とわたしの三人で、会がおわったあと夕食をともにする約束ができている。淵屋隆夫はロシヤ料理をたべてみたいといい、麦村はこってりした中華料理が食いたいと主張し、わたしは豆腐料理がいいというわけで意見が対立してしまったのである。しかし今夜は遠路の友の好みに歩調をあわせ、シャシーリックを食おうではないかということで麦村正太を説き伏せることに成功した。 「それじゃまた後で」 「楽しみにしていますよ」  麦村正太は淵屋の肩をたたき、わたしに坐っていたイスを譲って、仲間の江戸川賞作家の東西登のほうへいってしまった。  淵屋と麦村とわたしとは、いってみれば同期生であった。十年あまりむかしになるが、『月刊推理』が短篇小説の募集をしたときに淵屋は≪罪ふかき死の構図≫を投じて一位となり、麦村は≪黄色輪≫というビーストンふうの作品で二位を獲得し、かくいうわたしは≪地虫≫という短篇をひっさげて応募したものの、選外佳作にもなれなくて恥をかいたのである。三人が互いの存在を意識したのはそのときからだった。 「先用大半碗水煮沸、然後放入、此麺乃湯料煮三分鐘即成!」  不意に中国語が耳に入った。そのほうを振り向くと、沈がテーブルをへだてて叶一郎にしきりに何か話しかけている。早口なのでわたしにはまるきり意味がとれなかったが、さすがに叶は十年間も勉強しただけのことはあって、沈の言葉がよく理解できるらしかった。一瞬とまどったように目をまるめていたけれども、すぐににたりにたり笑いだした。それが平素の叶の笑顔を知っているわたしには、なんとも不自然にみえてならない。しいて表現するならば、肥溜におっこちた恵比寿さまとでもいうところか。沈は一体なにを喋っているのだろう。 「ちぇっ、またおれの悪口をいってる」  大久保が口をとがらせた。大久保直公好女色の一件以来いささか被害妄想気味の彼は、中国語とくると自分の噂をされているような気になるらしいのだ。どうも女ってやつは僻《ひが》みっぽくていけねエなどといったくせに、自分も結構ひがみっぽい。 「ねえ鮎川さん、なんて喋ったのさ」  前にものべたように、両人の会話はとても早口だったものだからわたしには意味がとれなかったのである。しかし、判らないなんて正直のことを答えると沽券にかかわる。 「なに、大したことじゃない。横浜の南京町にとても旨い中華料理屋があるってことを、叶さんにおしえていたんだ」  食い意地のはった男を騙すには、食い物のことをいうのがいちばんである。果して大久保は、わたしの言葉を簡単に信じてしまった。 「そうなのか。だから叶さんがにこにことしていたんだね。彼、食い気が旺盛だからなあ」  人間、えてしておのれの欠点には気づかぬものである。自分のことを棚に上げ、大久保はまことにいい気なもんであった。  そこに沈がやってきた。片手に氷の入ったオレンジジュースのグラスを持っている。胃をやられているものだから、近頃は禁酒しているのだ。気のせいか、陸に上った河童みたいに元気がない。 「ひどいな沈さんは。わたしが手紙をだしたのに、ハガキ一本くれないじゃないですか。沈さんが筆不精ということは知ってるけど、それにしても酷すぎるよ」 「面目ない。それをいわれると一言もあらへんです。鮎川さんが怒っとるのは尤もやけど、じつをいうと——」  いいかけた言葉をぷつんと切ると、沈はにわかに胃袋の上のあたりを押えて、顔をくもらせた。不安そうな表情が急速にひろがっていった。 「どうした? 痛む?」 「ウーム……。いや、大丈夫ですわ。放っといて下さい。このごろ胃痙攣ノイローゼになっとるんです」  ハンカチで額の脂汗をふいてしまうと、ふたたびもとの顔になった。 「手紙の返事をださなかったことはさておいてやね、ぼくは鮎川さんにいいニュースを持ってきたんですわ」  話を誤魔化す気だな、と思った。その手にはのらぬ。 「なんだい」 「そんなこわい顔せんといて頂戴」 「早くそのニュースとやらをいいなさい」  すると沈はすぐに口を開かないで、じらすようににやにやした。 「つまりやね、ぼくは槻木トク子の行方をつきとめたんですわ」 「それ、ほんとか?」 「ほんまや、ほんまですわ」 「ど、何処にいる?」 「日本ですわ。香港から帰っとるのや」  するとやはり、国内のどこかに身をひそめておりながら、黄蓮環の変名をつかって送金していたことになる。想像したとおりだ。 「日本のどこにいるんです?」 「それはいわれへん。こんなに大勢の人がおるとこでは、よういえまへんわ。あとでぼくのホテルに来なさい。彼がどこにいるか、そこで話したげるわ」 「そんなに勿体ぶらなくてもいいじゃないか。聞かせなさいよ」  大久保が横から口を添えてくれた。しかし、沈はいつになくかたくなな態度で首をふった。 「駄目や。ホテルの部屋にくればいうたげるわ。この会場ではいやや。ウッ……」  再び発作をおこしたらしく、沈は小柄な体を二つ折りにしていた。たちまち顔が充血する。唇がねじ曲る。そのまま壁際のイスにすとんと腰をおとしてしまった。 「沈さん、沈さん」 「騒がんといてや。おめでたい席やさかい、急病人がでたことが知られるのはあかん。ぼくはホテルに帰るよって、誰か送ってくれへんか」  大久保とわたし、それから傍にいた淵屋と金沢文一郎の四人が、沈をたすけて新橋のホテルへいくことになった。もう授賞式はすんだも同様だから、式場をぬけだしてもさしさわりはなかった。  大久保は小走りに受賞者のところにかけより挨拶をすませると、またあたふたと沈のところに戻ってきた。そこでわれわれは沈に肩や手を貸しあたえ、いっぽう淵屋はクロークルームで沈の鞄などを受けとって、エレベーターを待った。 「ども済んまへんな。えろ迷惑かけてしもた。金沢さんと淵屋さんは式場へもどってくれへんか。申しわけあらへんですわ」 「かまいませんよ、気にすることはないです」  と、淵屋はゆっくりした落着いた調子でいい、金沢は絹のハンカチをとりだして沈の汗をふいてやっていた。大久保がエレベーターのボタンを押した。  エレベーターが停り、われわれは乗り込んだ。たまたまカメラマンを連れた顔見知りの新聞記者が同席したが、彼は故意にわたしから目をそらせると、金沢と淵屋隆夫の二人にしきりに話しかけた。ことに金沢は次期Q賞の最有力候補だから、この機会に面識を得ておいたほうがいいと考えたのだろうか、名刺をだし、肩を叩かんばかりの親しげな態度をみせていた。  わたしは苦い顔でそっぽをむく。淵屋隆夫がそっと腕にふれた。それは、沈が槻木トク子の行方をつきとめたからには、お前さんの名誉回復のできる日は近い。そのときまでの辛抱なのだ。しっかりしなと、そう語っているように思われた。わたしは黙ってこっくりをした。    22  新橋の第七ホテルの八階に沈の部屋がある。沈をかかえてベッドに寝かせたときには、正直のところわれわれはほっとした。小柄なくせにやけに重たいのである。 「ぼくのスーツケース開けて、そこから胃痙攣の薬をだしとくなはれ。早よたのむ。ふたの裏側のポケットに入れたあるさかい」  金沢が手早くスーツケースを開き、小瓶をとりだした。淵屋隆夫はバスルームに入ってコップに水を充たしてきた。 「済んまへん」  薬を掌にうけて口中にふくみ、グラスの水で飲み下した。そしてあおむけに横たわると、目をかたくつぶった。食いしばった歯の間から呻き声がもれる。それがいかにも痛そうで、正視しかねた。戦前の学生時代のことだが、かくいうわたしにも胃痙攣をやった覚えがある。空腹なときに夏蜜柑をたべたところ、たちまち胃が痛みだして七転八倒したのだ。以来三十年、再発したことはないのだが、あの痛さは忘れられない。いまもって胃のあたりがちくりと痛むと、胃痙攣ではあるまいかと思ってはっとする有様である。  もしこの常備薬が効かなければ医者を呼んだほうがいい。わたしはそうしたことを考えながら、いざというときにはダイアルを廻すべく電話のそばに立っていた。  だがその必要はなかった。三分ばかり経過した頃、沈は深い呼吸を二つ三つしてからゆっくりベッドに起き上って、サイドテーブルにのせてあった眼鏡をかけた。 「どう?」 「もう大丈夫ですわ、あの薬はぼくの体質によう合うのや。もう心配いらんわ」  そして一同が立ったままでいることに気がつくと、みなに坐るようにすすめた。坐れといわれても、イスは書物机のところに一脚、窓辺の小卓のところに二脚しかないから、あぶれたわたしはベッドのすそに腰をおろすほかはない。 「どう? 気持がよくなったら槻木トク子のことを聞かせてくれんですか」  発作がおさまった直後にこうしたことを頼むのはわるいと思ったが、こちらの身にもなってもらいたい。 「槻木トク子はどこ?」 「そんなに慌てんといてや。居場所はちゃんと判明しとるさかいに」 「だからさ、何処にいるんです?」 「ちょっと待ってや。まだ胃の調子が完全におさまっておらんのですわ。いまものをいうと、また発作が起きるのや。もう少し待ってんか」  胃の上をなでながら不安気な面持でいわれてみると、わたしも強請するわけにはゆかない。そこでいら立つ気持をしずめるために立ち上って、壁の水彩の静物画をながめたり、レースのカーテン越しに窓の外をのぞいてみたりした。五時になったばかりというのに、とうに陽は落ちている。となりのビルの窓をみると、サラリーマン達が一日の仕事をすませ、袖カバーをはずしたりタイプライターにカバーをかけたり、退社の準備をしていた。化粧室らしい一室では、鏡の前にたったオフィスガールがそれぞれルージュを引いたり眉をえがいたりして、しきりにめかし込んでいる。男性社員の採点でもやっているのだろうか、はずんだ黄色い声のお喋りがここまで聞えてこないのが残念であった。  だしぬけに電話のベルが鳴った。手近にいた淵屋隆夫が受話器をとると、「どうぞ」といってベッドの上の沈にさしだした。 「淵屋さんが出ておくんなはれや」 「いいのですか、ぼくが出ても」  淵屋はちょっと躊躇をみせてから耳にあてたが、すぐに沈をふり向いた。 「バーのホステスです。今夜あそびに来てくれといってます。ぐっとくるような艶っぽい声のひとだな。さて沈さん、どう答えます?」 「断っといてや。残念やけど体の調子がわるいと、そういうといて下さい」  淵屋はいわれたとおりのことを告げたのち、受話器をおいた。 「隅におけないな。どこのバーなのさ、沈さん」  ただちに大久保が口をはさんだ。バーのホステスと聞いたからには、黙していることができぬのである。 「新宿の『ボルチモア』のホステスや。それ以上のことは訊かんといて」  と、沈はひどく慌てたように答えた。 「沈さんいやにもてるね。イモリの黒焼でも用いているんじゃないの?」 「漢方の秘薬があるんや。そいつをグラスのなかにこっそり入れてやると、女はいちころですねん」 「ねえ沈さん、その薬の処方をぜひ教えてよ。あそこのホステスはつんとしてるもんだから、ぼくも鮎川さんも全然もてないんだよ。ねえ、人だすけだと思っておしえて……」  何もわたしを引き合いにださなくてもいいだろうと思うんだが、大久保は夢中になって沈を口説いた。 「駄目ですわ、それは秘密や。大久保さんはお喋りやさかい、その話がいつ女房の耳に入ってしまうか判らん。そしたらことや。ぼくは夜中にストッキングで絞め殺されてしまうやないか。その秘密だけは、いくら大久保さんが親友であっても話すことはでけん。こっちも命は惜しいさかいな」 「ケチ!」 「そのかわりに、槻木トク子がどこにおるかちゅうことについて発表するわ」  わたしは勿論のこと、大久保も、あとの二人もイスから腰をうかせた。沈はゆっくり起き上ると、ベッドのふちから足をなげだしてスリッパをつっかけた。 「どこですか、沈さん」 「まあ、そうせかんといて下さい。この間、鮎川さんが関西へきて事件の話をして帰ったあとで、われわれ関西の本格派仲間がいろいろ検討したんですわ。そして、ともかくぼくが香港へわたるついでに、槻木トク子に会うことになった。しかしこれは簡単なようなことやけど、いざやってみると案外に面倒なものや。槻木トク子の居所を知るためには泰東公司の社長を訪ねんとならんが、その社長とは音信がと絶えているのやから、まず社長の居場所をつきとめなあかんちゅうことになるんですわ」 「で、つきとめたの?」 「香港について三日目に、ようやく判明したのや。そこで社長に面会して槻木トク子のことを訊ねたら、二、三年前に日本へ帰ってしもたいうんや。貿易の実務にもよくなれたし、福建語も簡単な会話ぐらいならばでけるようになって、手放しとうなかったんやが、本人が望郷の念にかられて帰りたい帰りたいいうものやから、強いてひき止めることはでけんかった。社長はそういうて残念がっとったですわ」 「ふむ」 「ところがこの社長の話を聞いてみると、妙なところがあるんや。彼女は、つまり槻木トク子のことやが、泰東公司を退社すると、すぐ日本へは帰らないで、聖バーナード病院に入ったというのや」 「病気ならば入院するのは当然じゃないか」 「ところが、入院する直前まで、どこも悪いとこはなかったんですわ。ぴんぴんしとった」 「だからといって不思議がることはないだろう? 例えばさ、急性盲腸炎なんてこともある」  大久保はおのれの名推理に酔ったような目つきをして、淵屋隆夫や金沢文一郎やわたしの顔を順ぐりに見廻すと、エヘンと咳払いをした。 「妙なことはもう一つあるんや。数週間入院していたんやけど、退院すると社長夫妻には挨拶もせんで、逃げるようにこそこそと乗船してしもた。社長はその当時気ィわるうしていたらしい」 「それは気をわるくするのが当然だな。礼儀を知らない女だ」  修身の先生みたいなおごそかな調子で、大久保がうなずいた。 「ぼくはそうは思わん。槻木トク子には社長夫妻に会いたくない何かの理由があったに違いないと睨んだんや。それから、彼女の病気は盲腸炎じゃあらへん。槻木トク子はずっと以前の石本峯子時代に、すでに盲腸を切っとったはずやからな」 「そうだったな、そういえばそうだったな」  大久保はみずからの不明を恥じ、おでこのあたりまで赤くなった。 「槻木トク子に関するかぎり少しでも不審の点があったら、とことんまで追求するようにと、関西の本格仲間からいわれてきたんや。そこでぼくは聖バーナード病院へいってその謎をさぐったんや」 「どうやって?」 「つまりトク子入院の秘密を追求するために、坂田藤十郎みたいなことをしたのや。相手は泌尿科の看護婦やがな。この看護婦がまた夢枕にたった虞美人みたいに神秘的な別嬪《べつぴん》や。ぼく等は意気投合して、夜になるとキャバレへいったり、舟にのって海の上から香港の夜景をながめたり、それは楽しい毎日をすごしたもんですわ。これは女房には絶対に内緒やが、甘いくちづけもしたんやでえ。そやけど、互いにしっかと抱き合うておっても、ぼくのほうは偽りの恋愛をしとるさかい陶酔することができん。良心が痛んでならなかった。これも鮎川さんのためや思うて、心を鬼にしてランデブーやったのや」  まさに名作≪大悲恋、おゆう伝造≫以来の大悲恋である。どう考えてみても沈舜水が異性にもてるわけがないのだが、『ボルチモア』のホステスから電話がかかってきたところをみると、あながちホラを吹いているとも思えない。 「十日ばかり交際をつづけたあとで、槻木トク子がどんな病気で入院していたのかちゅうことを訊いてみたのや。その結果判ったのは、槻木トク子は性の転換手術をうけたちゅうことやった。つまり彼女は、女から男になったんや」  予期せぬ話に、われわれ一同は固唾をのんだ。だれもが黙り込んでしまい、しばらくの間は口をひらくものとてなかった。なるほど、性を転換するための入院であるならば、外見は病気らしいところはない筈だ。 「だが、それはほんとうかな? メメズみたいな下等動物ならばともかく、人間がそう簡単に性の転換ができるのかな」  大久保は懐疑的だ。ついでに触れておくが、メメズとはミミズのことである。この編集長は東京も下町の産なるがゆえに、江戸っ子特有のエリート意識が強烈で、ことさら変な日本語をつかう。煙突のことをエンタツ、ジャムパンのことをジャミパンといったり、芝居のことをしばやといったりする。 「そらそうや。そんな手術をちょいちょいとやられてしもたら、はたのもんが迷惑や。大久保さんが口紅ぬったりハイヒールはいたりすることを想像すると、それだけで気色わるうて胃痙攣がおきそうになるわ。性の転換はすべての人がやれるわけやない、特殊な条件のある人に限ってでけるんや。つまりあらかじめ両性をそなえとる人間に限るんや」 「両性……? すると槻木トク子も両性だったというのか」 「そや。早くいえば槻木トク子は気の毒なフタナリだったんや。だから彼女がその秘密をだれにも知られまい思うて隠したのは当然や。深川の葵荘アパートにいたときの彼女が、近所の銭湯をボイコットしてずっと遠くの風呂までいったちゅうのは、体の欠陥に気づかれてアパート中の評判になることを警戒したからなんや。そやけど、風呂屋だけはなれたところにいくと隣近所の人からへんに勘ぐられるおそれがある。そやから、風呂ばかりやなしに、米屋でも八百屋でも魚屋でも、みんな遠方の店までいくことにしたんや」 「さすがは沈さんだ。すばらしい推理ですよ」  わたしは心から感嘆した。槻木トク子がアパートの近くの米穀店をさけて遠くの米屋に登録したことの裏面に思いもよらぬ事情が秘められているとは、こうして説明されないかぎり、勘のにぶいわたしには永久に理解することが出来なかったはずだ。  ほめられた沈は、陶展文気取りで大得意である。鼻孔を思いきり拡張させてひくひくさせている。 「自分が本当の女であることをそれとなく認めさせるために、過去において結婚したものの、うまくゆかなくて離婚したというとるで。姑がやかましいものでとび出して来たんやが、子供は向うにおいてある、ときどき逢いにいくのやと嘘をついとるのや」 「なるほど」 「まだあるんや。堀松子ちゅう女が妊娠したときに、トク子が自分の名前で処置させたのも、世間の人々にあたかも自分自身が妊娠したように思い込ませるのが狙いやった。自分がフタナリやなくて子供の産める体であることを、この場合もそれとなくPRしたかったんやな。だから友達の堀松子が妊娠したちゅう話を聞くと、すぐさまそれを有効に利用することを思いついたのや」 「ふむ」 「鮎川さんの話によると、槻木トク子は葵荘の管理人に『妊娠したから子供を始末したいのやが病院を紹介してんか』ちゅうて頼んどるのや。だが考えてもみなはれや。いくら戦後の女が図々しくなったからゆうても、妊娠したことをふれて歩くほどに厚かましくはなっておらん筈ですわ」  これには一言もなかった。気づかずに見逃したわたしが愚かだったのか、気づいた沈が利口なのか。 「話は前にもどるんやが、女が男になった場合に困るのは、何かちゅうと、それは名前や。槻木トク子の場合はパスポートちゅうものがあるから、一層困る。だが香港の暗黒街にはパスポートを偽造するところがあるのや。ぼくはそこに潜入して調査しよう思うたんやが、誰もが認めるとおりぼくの顔がジェームズ・ボンドに似とるもんやから、たちまち彼等にスパイと見抜かれてしもた。こうなると暴力否定主義のぼくやが、止むを得んわ。むらがるやつ等を合気道で投げとばしたり、追いかけてきた暗黒街の顔役を少林寺拳法で一撃のもとにのしてしもたり、いろんな苦心を払ったもんや。その結果、やっとのことでパスポート偽造のアジトをつきとめることがでけた」  沈は唇をぺろりとなめ、反響いかにとわれわれの顔をうかがった。そして一同が聞きほれているのを知ると、一層得意になって武勇伝を開陳した。 「そこは阿片吸飲所のおくにある魔窟やった。ぼくは身に寸鉄をおびずに乗り込んでいったのや。徒手空拳、武器といえばこの拳一つや。ぼくが入っていくと頬に傷のあるすごい男がでてきた。こいつが偽造の張本人なんや。ぼくはポケットのブライアパイプを逆さににぎって、素早く脇腹につきつけた。そして男をふるえ上らせて、パスポート用にうつした早撮り写真のネガを提出させたばかりやなしに、トク子が田中太郎ちゅう名義のパスポートを造って乗船帰国したことを白状させることに成功したんや」  その縦横無尽の活躍ぶりは、信じる信じないはべつとして、話に聞く007にそっくりだ。 「判ったぞ。槻木トク子が泰東公司の社長に挨拶をしなかったのは、女性から男性になったことを知られたくなかったからだね」 「そうや。これはぼくの想像やが、彼女が香港へわたった真の目的は、人知れず男性になるためやなかったろうか。日本国内で手術をうけると、ジャーナリズムに嗅ぎつけられて、週刊誌なんかの記事にされて国中に喧伝されてしまうからな」 「なぜ転換したのだろう?」 「それは知らん。外国の例でも、アメリカ兵が金髪美人に生まれかわったり、逆に女のスポーツ選手が男性になったりしたケースがあるやないか。人さまざまちゅうとこやろな」  言葉を切って眉をよせ、深刻な表情で考え込んでしまったのは、不幸な運命を背負わされて生まれてきたトク子に同情したからではないだろうかと思う。 「パスポートの件は判ったが、帰国して日本人として生活するには、戸籍を改正する必要があるでしょう?」  淵屋隆夫がそういうと、沈は冥想からさめたように顔をあげた。 「いや、性を転換したことが役場の人にばれてしまうさかい、ようしまへんのや。おそらく現在でもそのままでいるか、そうでなければ他人の戸籍を買ったか、どちらかでっしゃろな。釜ケ崎へいけば死んだ人の戸籍を売っとるちゅう話やから」 「すると横浜の中国人街にいる黄蓮環なる女が日ノ出荘あてに金を送ったというのは、どう解釈すればいいのですか。あなた宛の手紙に書いておいたように、あの住所に黄蓮環なんていう女性は住んでいなかったんだけど」  これはわたしの質問。 「それはね、ぼくはこう考えとるんですわ。帰国した田中太郎はあたらしい人物に生まれかわったわけですが、前身が槻木トク子であることは秘密にしておく必要がある。そやからむかしを知る人々には、あくまで槻木トク子が生存しとるように思わせておきたかったわけです。それには、ずっと香港にいるようにみせかけることにすればいい。そこで、横浜在住の中国人の名で日ノ出荘に送金しつづけていたわけですわ」  黄蓮環が架空の人間だから、日本中をさがし求めても、いる筈がないのだ。 「関西の本格派の仲間は、もと『ゼロ』の編集部員がなぜ殺されなくてはならなかったか、槻木伝兵衛がなぜ殺されねばならんかったかちゅう命題に取り組んだんや。その結果、ぼく等はその設問を満足させる解答を発見した。そしてある男をマークして、さらに調査をつづけてん。ぼくはいま、関西の仲間を代表してその男の名を公表しようとしとるんや」 「誰だ、そいつは」  大久保が喉のつまった声をだした。 「この人や」  沈は人差し指をのばして金沢文一郎を示した。    23  わたしは息を呑んだ。大久保は愕然としておったまげた。冷静だったのは淵屋隆夫と沈舜水、それに当の金沢文一郎の三人だった。金沢は話の途中から、こうなることを予期していたに違いない。  わたしは、堀松子に会いにいこうとしたとき、その土壇場になって急に金沢が随筆をたのまれたからと称して同行を拒んだことを思い出した。拒否したのは当然だ。彼女は井田基とは違って盲人ではない。金沢の顔をみた途端に、これが往年の石本峯子であることを指摘する危険は充分に考えられるのである。 「望月泰二を殺したのもあんたや。あんたは文筆に才のある人やった。日本に帰って身辺がおちつくと、金沢文一郎のペンネームで推理小説を発表しはじめた。むかしとった杵づかで、素人ばなれのしたいい作品をつぎつぎに発表して、とうとう今年はQ賞の有力候補になってしもた。Q賞をとるとジャーナリズムは別格あつかいや。原稿料がとたんにハネあがる。新聞に短篇を書いても、おわりのところに括弧《かつこ》でかこんで『Q賞作家』とつけ加えられるほどや。あんたは何としてもその資格をとりたかった」  沈は指をつきつけたままで、坊主がありがたい説法をするときみたいな口調でゆっくりと語った。金沢は両手をズボンのポケットに突っ込み、どこ吹く風といった無表情な顔をして窓越しに通りを見おろしている。 「そこに多田慎吾のやつがとんでもないことを言い出したんや。以前にあんたが石本峯子の筆名で書いていたころに、ひょんな出来心から盗作した鮎川さんの短篇をとり上げて、問題にしはじめた。さいわい世間の大部分の人は鮎川さんが盗作したものと考えとるのやけど、もし真相がばれたら一大事や。過去において金沢文一郎が盗作したちゅうことが明らかになれば、Q賞は永久にあきらめなくてはならん。あんたは慌てた。むりないことやけど、大慌てにあわてた。石本峯子イコール金沢文一郎ということを知っとるものがいたら、その秘密が洩れんうちに、なんとしても口をふさいでしまわなくてはならん。ぼくは、あんたが悩んだものと思いたい。悩みに悩んだ揚句のはてに、重い腰をあげたものと想像したい。受賞して箔をつけることに比べれば、邪魔者たちの命を奪うことなどなんでもなかった、とは思いたくないのや」  沈は声涙ともにくだる名調子だった。 「そこで、望月泰二を竹芝桟橋までさそいだして殺したんや」 「ふむ。おれがなぜ望月泰二を殺さなくてはならないのかね?」  金沢は窓のほうを向いたまま冷ややかに反問した。黒いサングラスの上からのぞいている弓なりのほっそりとした眉に、わたしは前々から弱々しい感じをうけたものだったが、その前身が女性であったと聞かされ、はじめて納得できたものだった。いかにもそれは女の眉だ。 「望月は女癖のわるい男やった。あんたを、いや、石本峯子に対して怪しからん振舞いにおよんだことがあって、そのときあんたの秘密を知ってしもた。『ゼロ』がつぶれてから以後あの男に会ったことがのうても、いまのあんたの顔にはやはり石本峯子の面影がのこっとるやろ。むかしの雑誌社の人は新聞や雑誌にでるあんたの写真をみたかて、べつに何とも思わん。もし石本峯子に似とることに気ィがついたとしてもや、まさか女が男になっているとは知らへんよって、他人のそら似やなと思うぐらいのもんや。だが、秘密を知っとる望月は違う。そやから、いつ、ひょんなときに、石本峯子が金沢文一郎に化けたことに気づかれるか判らん。ひょっとすると早くもあんたの正体を見抜いとって、しかもなお知らんふりをして機が熟するのを待っとるのかもしれんのや。例えば、Q賞の選考がはじまる時分にタイミングを合わせて、あんたをゆするという手もある。あんたはあれこれ考えて不安になってきたんや。だからあんたは、望月泰二が生きているかぎり枕を高うしてねむれなかったんや」  わたしは、赤羽の墓地をみおろす一室で井田基と面会したときのことを思いうかべていた。望月泰二が女にかけてはすこぶるだらしのない男であり、ついには石本峯子にまで手をのばしたということまで聞かされていながら、そこに望月殺しの動機がひそんでいるとは想像することさえ出来なかったのである。われながら全くだらしのない話だと思う。 「槻木伝兵衛を殺したのも、おなじ理由や。伝兵衛さんは熊本県の山奥の部落で産婆をやっとった人やで、その部落で生まれたあんたも伝兵衛さんに取り上げられた。伝兵衛さんは赤ン坊やったあんたが両性を具《そな》えとることを知っとる。そやけど伝兵衛さんは口のかたい人やったから、この秘密は誰にも喋らなかった。そやから部落の人はトク子がフタナリやったちゅうことは誰一人として知らんしィ、鮎川さんがわざわざ尋ねていったにもかかわらず、その秘密を訊きだすことが出来んかったのは、けだし無理ないことなんや」  沈舜水、お手のものの漢語なぞをまじえていよいよ得意だ。スリッパをはいた足を交互にぶらぶらさせている。 「あんたが『ボルチモア』で呑んでいたときに、渡海さんがひょいと伝兵衛さんのことを喋った。それを聞いた鮎川さんはこれから伝兵衛さんを訪ねるといい出したんやが、そばでそれを聞いていたあんたは胆を冷やした。鮎川さんも必死やから、あれこれと突っ込んだ質問をするわ。いくら伝兵衛さんの口がかたくても、しつこく追及されればひょいと口をすべらせることもあり得るやろ。そう考えたもんやから、その夜のうちに山川ビルへいって殺してしもたんや」  あの『ボルチモア』で、わたしが一ツ橋へいこうとして金沢を誘ったとき、彼はテーブルに伏したきり、声をかけても顔を上げようとはしなかった。だがいまとなってみると、あれは酔ったふりをしていたに過ぎないことが判るのである。彼には、一ノ橋に急行して伝兵衛の口をとざすという仕事があるのだ。わたしにつき合って、神田をうろつく暇はない。 「ちょっと待って。すると犯人は伝兵衛が山川ビルに住んでいることを知っていたわけか」 「そうやないよ、大久保さん。『ボルチモア』にくるまでは知らなかったのや。『ボルチモア』で渡海さんから教えてもろたんや」 「なんだって? 彼がおしえた?」  聞き逃すわけにはいかなかった。わたしに間違った方角を書いておきながら、金沢にちゃんとした住所を知らせるとは何事か。 「と、渡海さんは怪しからん。こ、今度あったらただじゃおかん」 「ま、そう興奮したらあかんがな。あんたがそないに怒るなら、ぼくは話をやめる」  と、沈はわたしを脅迫した。 「そんなことはどうでもええわ。それよりも、金沢さんがあなたを妨害したことを話さなくてはならんわ」 「え?」 「鮎川さんが伝兵衛さんに会いにいくのを、この金沢君が妨げたんや」 「よく呑み込めないけど……」 「つまりやね、渡海さんが山川ビルのことをメモしたときはちゃんと一ノ橋電停前と書いたんや。そのメモは渡海さんがバーをでていった後、三十分から一時間ばかりテーブルの上にのせてあった。しかも鮎川さんは酔っ払ってぼーっとしとる。そやから金沢君がノの字をツの字に書きなおす機会は充分にあったのや。昨夜ぼくは『ボルチモア』へ寄って訊いてみたんやが、ホステスの一人が、あの晩金沢君に鉛筆を貸したげたいうてはる」  大久保が「じゃさっきのホステスはその女か」と訊くのと、わたしが「渡海さんの健忘症は……」といいかけたのは同時だった。沈はわたしの問いに答えた。 「渡海さんの健忘症は関係ないんや。ぼくも渡海さんも『無罪クラブ』のメンバーやから、この際同君に対する名誉と友情のためにはっきりさせたいのやが、渡海さんがあのメモに書いたのは正しい住所やった。だが渡海さんは自分の結婚式の日をわすれたことがいまもって心理的な負担になっとるのや。ぼく等が口をつぐんでおるから、奥さんはそのことにちっとも気づいておらへんのやが、渡海さんは四六時中その心のなかで奥さんに対して済んまへん、済んまへんと思いつづけとるのやがな。この金沢君はそんな事情は知っておらんかったと思うが、われわれはてっきり渡海さんが書き違えたものと決めてかかってしもた。それを聞いた金沢君は、胸中秘かに旨くいったわいと北叟《ほくそ》笑んだに違いない」 「おれは北叟笑みはしなかったね」  相変らずそっぽを向いたままで、金沢はそっ気なく、独語するようにいった。 「渡海さんはやね、『お前は健忘症やぞ』いわれると、『あ、さよか』思うてしまうような心理状態になっていたのや。そんなわけやから、いまもって自分が一ツ橋と書いたものと思い込んどる。金沢君が書きなおしたとは夢にも思っておらん。鮎川さんからの電話に対して、『間違った住所をおしえてしもて勘忍でェ』と謝っとる始末ですわ。とにかく、結果的にみて、金沢君にとっては願ってもないことになったんや」  沈は立ち上ると、入口の扉のところまでいってスイッチを押した。いまのいままで、人々は天井の灯りをつけることにも気づかなかったのである。 「ぼくのいうことはこれだけや。金沢君に釈明したいことがあるのやったら、何時間かかってもかめへん、ぼくはそれを傾聴するつもりや。金沢君のいうことが正しいか、ぼくのいうたことが正しいか、判断は淵屋さんや大久保さんにくだして貰いたい思うてるねん」  沈はそういいながらベッドのほうに戻った。 「おれの釈明はこれだ!」  金沢はそう叫ぶと沈と入れ替りにドアのところに飛んでゆき、すばやくノブのボタンを押して旋錠してしまった。ノブに掛けられたdo not disturbの札が振り子のようにゆれている。金沢がこちらをふり向いたとき、右手に小型の拳銃がにぎられていた。あとで判明したのだが、このピストルは例のフランス人の機長モーリス・スバリエが密輸入して横流ししたものの一つだった。 「か、金沢さん、じょ、冗談は止めて下さいよ」  大久保は両手を上げ、べそをかいた。 「冗談ではない。おれは本気だ。ここまでネタが割れてしまったからには、お前等を生かしてこの部屋からだすわけにはいかん。命はないものと覚悟を決めたほうがいいな」 「か、金沢さん。いまの沈さんの話はフィクションだと思うな。だれも信じやしませんよ、えへえへ」  大久保は必死にお世辞笑いをしようとつとめたが、うまく顔面筋肉がいうことをきいてくれない。頬がゆがみ、泣き笑いになってしまった。おでこ一面にじっとりと冷や汗がふきでている。  金沢は拳銃を上衣の下にかまえ、銃口だけをかすかに出している。運よく隣りのビルの窓からだれかが覗いてくれたとしても、これではピストルをつきつけているとは思わない。 「生憎だがフィクションじゃないな。全部が真実だ。だから死んでもらわにゃならん。おれはQ賞をあきらめるわけにはいかんからな」 「金沢さん、それは駄目ですよ。ホテルの従業員があなたの顔を覚えてるもの」 「黒眼鏡をかけてるからその心配はない」 「しかし金沢さん、ピストルの音がしたら、ボーイが飛んできますよ。わるいこといわないから止したほうがいいんじゃない?」 「いわれなくても判ってる。拳銃はぎりぎりにならなけりゃ使わない。皆さんの息の根をとめるのは、あの紐ですよ。窓のカーテンを絞っている絹の紐、あれを利用するんだ」 「ひ、紐を? すると金沢さんはぼく達を縊《くび》り殺そうというんですか」  大久保の声が一段と高まり、はげしくふるえた。 「あれならば音がしないからな。各人を締めるたびにげッというが、その程度の悲鳴ならば隣りの部屋にも聞えやしまい」 「だけど、だけど金沢さん、あなたが鮎川さんを締め上げているすきに、ぼく達がいっせいに襲いかかったらどうします?」 「ばかだな、大久保君は。ぼくは終始ピストルを構えている。死刑執行人はきみ等の間から選ぶんだ。仮りにきみが執行人に当選したとする。あとの連中はここにイスを並べて、壁にむいて坐るんだな。大久保君はその後ろに立って、一人一人の頸に紐をまわして締め上げるんだ。麻のロープと違うからな、絹の紐は肌ざわりがやわらかくていいぜ」 「ひゃあ、金沢さん、それは酷《ひど》すぎる。いやです、いやだ。ぼくは死にたくない。家には女房がいるし、可愛い子供が二人いるんだ。男の児はぼくに似ておでこだけど、女の児は女房にそっくりの美人なんだ。金沢さん、殺さないでくれ。頼む、このとおりだ。命ばかりはおた、おた、おた……」  いまや直公は半狂乱のていであった。因みに、オタオタするという俗語動詞の語源は、じつにここにあるのである。 「駄目だね。どうじたばたしたところで、結果はおなじだ。ぼくの気は変らん」  にべもなく首をふっている。黒眼鏡に天井の電灯が反射してきらりと光るのが、なんとも不気味でならない。 「さて執行人が三人を絞殺してしまったら、ぼくは残った大久保君を窓からつき落とす。警察は、大久保君が発狂して仲間を殺したのち、飛びおり自殺をしたものと考えるだろう。さあ諸君、ぐずぐずしないで死刑執行人をえらんでもらおうじゃないか」  金沢の口調はあくまで冷静であり、その落着いた口吻が一層われわれの心を不安にし、絶望的にした。室内は静寂そのものだった。耳の奥が痛くなりそうなほど静かだった。 「トホホホ……」  そのしずけさを破って、突然大久保が嗚咽《おえつ》の声をもらした。 「トホ、トホ、トホホ……」  怒るが如く怨ずるが如く、悲しむが如く恨むが如く、大久保は眼鏡をおでこにたくし上げて両手で目をおおい、肩を波打たせて泣きつづけた。泣いて気持がしずまるなら、いくらでも泣くがいい。わたしはそう考えて傍観していた。淵屋隆夫も沈舜水も、思いはおなじだったのだろう、黙って立ちつづけていた。  最後の一滴まで涙をしぼってしまうと、大久保は顔をおこして眼鏡をおろし、チンと鼻をかんだ。目が腫れて、奥さんに叱られたときみたいに赤くなっていた。 「さあ、早くしろッ」  しびれを切らして金沢が怒鳴る。痩せて小柄で女の生まれかわりであることは判っているのだが、拳銃をつきつけられると、ナメクジにじろり睨まれたヘビみたいなもんで、全身がすくんでしまってどうにもならん。ここで和製007の大活躍を期待したいところだが、ちろっと横目をつかって見るとこはいかに、沈はベッドに坐って頭から毛布をかぶっているではないか。しかもその毛布が、地震でもないのに小刻みに震動をつづけているのだ。香港の裏街における大活躍とやらは、どうもフィクションとしか思われないのである。 「おい、早くせんか!」  金沢がまた叱咤した。淵屋隆夫が放心状態の大久保の肩に手をかけ、はげしくゆすぶる。わたしは沈の毛布をひっぱがした。沈はまぶしそうに面目なさそうに目をしばたたいて、スリッパをはいた。 「みんな聞いたかい?」 「うむ、聞いた」 「それじゃ執行人を選ぶことにしよう。ジャンケンにしますか」  淵屋隆夫にそう促されて、われわれはしぶしぶながら、ジャンケンをやったのである。 「ジャンケンポンよ——」 「ジャンケンポン……」  四人の大の男が向きあってジャンケンをやっている有様は、童心にかえったような微笑ましい光景だったかもしれないけれど、やっている当人達にしてみれば悲愴この上ないことだった。  容易に拍子がそろわない。五度くり返した結果、ようやくのことで執行人は沈に決定した。わたしにしても、授賞式で呑んでいるときまでは、まさか沈舜水にくびられて一巻の人生を終えようとは思いもしなかったことである。彼のほそい指が、毛むくじゃらの蜘蛛の指のように不気味にみえた。 「お手柔かに」 「まかしとき」  哀しい挨拶がかわされた。 「沈君、きみはイスを並べてくれ」  非情な口調で金沢が命令する。沈はいわれたとおり三脚のイスを壁にむけ、一列横隊にならべた。その間われわれは互いの手をとり合って、来るべき死のやすらかならんことを願った。 「淵屋さん、たまたま上京したときにとんでもない目に遭われましたな」 「いや、平凡な言葉ですがこれも運命ですよ。われわれ戦中派は、小学校、旧制中学校、大学とそれぞれのクラスメートの半分が戦死しています、彼等に比べて二十年も生きのびれたことを、ぼくは秘かに感謝したいと思うのですよ」  この場に及んでもなお、淵屋隆夫は淡々とした口調で語った。つぎにわたしは大久保直公の手をとった。彼の左手ににぶく光る十七金の結婚指輪が、わたしの心を締めつけた。 「子供の頃、カルメ焼をおごってくれたことがあったっけなあ」 「ぼくも鮎川さんにアンコ玉を買ってもらったのを覚えてる」 「上野の山に玉虫をとりにいったもんだ」 「オネショでぬれた布団をこっそり干していて鮎川さんに発見されたときは、ショックだったなあ」 「それはそうだろう、あのときのきみはすでに十八歳になっていた筈だからねえ」 「いや、お恥ずかしいが十九歳だった」  これが最後だと思うから、本当のことを何でもかんでも喋っちゃう。  われわれの感傷的な対話は、沈がイスを並べ終えたことで断ち切られた。大久保はあらためて三人に向い、やすい稿料でいやな顔一つみせずに書いてくれたことを謝し、編集長として穴があれば入りたい思いであるという、声涙ともにくだるようなスピーチをした。 「沈君。つぎにカーテンの紐をはずすんだ」  沈はさらに黙々として動いた。いよいよおいでなすった、とわたしは思った。小学校の講堂で一列にならんで、コレラかチフスの予防注射の順番を待っているときのふわふわした妙な気持を、わたしは久し振りで味わっていた。  金沢の黒眼鏡はその焦点がだれに向けられているか判らぬだけに、一層やりきれぬ思いがするのである。 「ほかの三人はイスに坐ってもらいたい」 「ちょっと待ってくれ。くびられる順番がまだ決っていないよ」 「うるさいな、おでこの飛びでた順にでもしろ」  にべもない返事だった。だが、かねてからインフェリオリティ・コンプレックスに悩んでいた肉体的欠陥にずばりと触れられたことが、大久保をして頭に来らしめたのである。俄然、彼はふくれた。 「大久保君、窓のカーテンを閉めてもらおう。縊ってるところを外から目撃されると、ちょっとばかり都合がわるいからな」 「いやですね」  直公、よこを向いたきりである。 「おい、大久保君」 「やだね。やりたけりゃ自分でやるがいい」 「なんだと?」 「死んでもいやだ、誰がお前みたいな男のいうことなんかきくもんか」  金沢は、大久保が頭にきた原因に気づかない。急変した態度に、むしろ呆気にとられているふうだった。 「ふむ、案外に強情なやつだな。よしおれが閉めることにしよう。だが妙な真似をすると容赦せんぞ。判ったな?」  金沢はピストルでわれわれを牽制しながら、左手でぶあついカーテンを引きよせた。大久保がとびかかったのは、じつにその瞬間であった。あとの三人は思わず声を上げた。  だが、そのとき早くかのとき遅く、金沢が身軽によけたものだから、大久保は勢いあまって小卓にぶちあたり、床の上にもろに転倒した。ガラスの灰皿が固い響きをたてて壁にとんだ。 「馬鹿な真似はやめろッ」  と、沈がわれを忘れたように怒鳴った。わたしは、金沢が激昂したあまり発射するのではないかと思わず目をつぶり、指で耳の孔に栓をした。が、さすがに金沢だけのことはある。感情にかられて銃声をボーイに聞かれるような愚かなことはしなかった。  目をあけてみると、大久保が腰をさすりながら起き上ったところだった。金沢は閉じたカーテンの前に立ちはだかり、口をきっとむすんで拳銃をかまえている。もう外から覗かれるおそれがないから、こそこそやる必要はない、大威張りで銃口をわれわれにむけていた。 「淵屋さん、沈さん、鮎川さん。勇気をださなくちゃ駄目だ。ぼく等はいずれ殺されるんだ。だから四人が命を捨てるつもりで襲いかかれば、こいつは応戦する余裕がない。一人は殺されるかもしれないけど、あとの三人でこいつを捕えることができるんだ。さあ、力を合わせてやりましょう」  大久保がハッパをかけた。正直のところ、わたしは大久保がこれほど勇気のある男だとは思わなかった。竜という爬虫的動物はのどのところに逆《さか》さに生えたウロコがあって、それに触れられると激怒するという仕組みになっているが、大久保の逆鱗《げきりん》はおでこだったのである。 「大久保さん、わるいことはいわんわ。そんなこと止めたほうがよろし。人間はたとい一分間でも命をながらえるよう工夫をせにゃあかんわ」 「それは中国風ののんびりした考え方だ。沈さんがいやなら淵屋さんと鮎川さんの三人でやるぞ」  そういわれてみると、いやだと断ることもなにか工合がわるい。この期にのぞんでもなお、わたしには虚栄心をふっ切ることができなかった。臆病者だとみられたくなかったのである。わたしは覚悟をきめ、淵屋、大久保の三人で三方から金沢にたち向うことにした。金沢は濃いグリーンのカーテンをバックに、すっくと立ちはだかっている。何度もいうことだけれど、黒眼鏡をかけていると誰を睨んでいるのか判らなくて、われわれの側としてはなんとも調子がわるかった。 「鮎川さん、合図をしたら同時に飛びかかるんだ」 「判ってる。ぬかるなよ」 「合点だ」  声をかけつつ、われわれはじりじりと肉迫していった。顔から背中にかけて汗がじっとりと吹きだしてくる。呼吸がみだれ、体が小刻みにふるえた。  金沢も必死だった。いまにも噛みつきそうな形相をしている。開いた唇の間から、ネズミみたいな小さな歯がみえた。 「それッ」  淵屋隆夫の合図でわれわれは床を蹴った。金沢が歯をむいて叫んだのと、パン! と銃が鳴ったのと、大久保が胸をおさえ、≪アンタッチャブル≫のギャングみたいな派手な恰好をしてのけぞったのとが殆ど同時であった。  金沢は小卓に片手をつき、みずから犯した殺人に驚倒したように、呆然としてつっ立っている。わたしは床の上にころがっている拳銃をベッドの下に蹴込んでおいてから、ぶっ倒れている大久保を抱き起した。淵屋も沈も駆けよってきて、淵屋は頭のほうにひざまずき、沈は手の脈をとった。 「おい直公、しっかりしろ、傷は浅いぞ」 「……大丈夫や。死んどらへん。自分が射たれた思うて、ショックで気絶しただけや」  沈は落着いた声でわれわれを安心させた。ほっとした一同は大久保を後廻しにしておき、まず金沢をふん縛ることにした。拳銃を失ってしまった金沢は抵抗する気配はさらさらみせず、放心状態のまま、いとも容易にカーテンの紐でくくられてしまった。先程まではわたし達を絞め上げる筈だった紐で、いまは自分が縛られるのである。ぼんやりと宙をみつめ、されるがままになっている金沢文一郎には、紐にまつわる皮肉な運命に感慨をもよおすゆとりすらないようだった。  扉がはげしく叩かれる音でわれに返った。沈が走っていってノブを廻すと、コマタの切れ上った(?)、水がしたたる(?)ような美丈夫(ホントカネ)が、片手にズックの袋に入った細長いものを抱えてたっていた。 「やあ皆さん、ご無事でなによりでしたなあ」  ガンちゃんこと大虻《おおあぶ》春彦である。    24  一歩入ったとたんに、大虻はむっくり肥ったまるい顔に目をむいて仰天した。 「し、しまった。あそこに死んでるのは大久保さんではないですか。こいつはとんだ山崎街道だ。彼を巻きぞえにしたとは申しわけない。大虻春彦、一世の不覚であった、妙法蓮華経……」  ズックの袋をそっと床におくと、合掌して目をとじた。大虻家は先祖代々真宗なんだが、南無阿弥陀《なんまいだ》とやるべきところをつい名号を間違えてしまったのだ。彼が大久保が死んだものと思い違いをして、その結果いかに驚倒し狼狽して色を失ったかは、この一事をみればよく判るだろう。 「大虻君、そう慌てたらあかんで。あんたの弾丸《たま》は狙いたがわず金沢君の右腕に命中したんや。大久保さんは銃声を聞いた瞬間に、自分が金沢君のピストルで射たれたものと錯覚しとるんですわ」 「す、すると死んじゃいないの?」 「生きとるわ。慌て者やさかい、単なるショックで気絶しただけや。しかし彼がいるとお喋りがうるそうてかなわんから、丁度ええ思うて、寝かせておくのですのや」 「そいつは名案だ、ぼくも賛成だな」  ほっと肩をおとして吐息すると、陶展文と伊達邦彦は一歩前にすすんで握手した。  淵屋隆夫にもわたしにも、わけが判ったようでいて呑み込めない点がたくさんある。床におかれたズックの袋の中身は大虻の愛銃であって、それで大虻が外部から射撃したということだけは、まず間違いなさそうだった。  われわれは両人の顔を交互にみて説明を待った。 「つまりこういうわけなんや。ぼくの今度の上京の目的は、江戸川賞の式に出席するほかに、鮎川さんの名誉を回復するちゅうことにあったのや。ところがこの金沢君が今夜の列車で北海道へ出発するいうことを小耳にはさんだもんやから、予定を早めて、一挙にことを運ばなくてはならなくなった。ぼくかて忙しい身やから、金沢君が北海道からもどって来るまで便々と待っとることはでけへんさかいな。そこで、金沢君には判らんように、北京語で叶さんにたのんだんや。金沢君は香港にいたとき勉強したから福建語ならば少し理解でけるちゅう話やけど、福建語と北京語はおなじ中国語でもまるきり外国語みたいなもんやから、そばで聞いておっても意味を悟られる心配はあらへん」 「で、どんなことを連絡したのですか」  淵屋隆夫がたずねた。 「まず、『ぼくがこれから話すことを聞いたかて、驚いたらあかんねん』いうたんですわ。『最初から最後までにこにこ笑うて聞いて欲しい』ちゅうて……」  なるほど、それで叶一郎はあのように笑顔をつくっていたわけなのか。しかし理由もおしえられずに笑えといわれた叶は、さぞかしどぎまぎしたことだろう。あの笑顔がニコニコではなく、どう見てもニタニタだったのは、その間の叶の気持をよく表わしていたではないか。 「金沢君がすぐそばにおりまっしゃろ、叶さんがびっくりした顔をすれば、勘のいい金沢君がははあと気づいてしまう。気づかれてはおしまいですさかいなあ」 「で、どんなことを語ったのですか」 「まずこの大虻さんの自宅に電話をかけてくれいうたんです。新橋の第七ホテルの八九七号室がぼくの部屋やけど、隣りのビルの屋上に上って、ぼくの部屋が監視でけるような場所で待機しとってもらいたい、そのときは鉄砲を持参して、いざちゅう場合に金沢君を射てるように、そない伝えて欲しいと頼んだのですわ」 「すると、金沢が犯人であることも?」 「はあ、いいましたんや。それを聞いたとき、叶君は卒倒しそうな顔して笑うとりましたですわ」  胸中の驚愕をおしかくして、さり気なく笑顔をつくっていることはさぞかし辛かったろうと思い、わたしは叶に同情した。 「そしてぼくは、胃痙攣の発作がおこったふりをしたんですのや。ちょっと呼吸をとめれば、すぐに顔が充血して苦しそうにみえる。そうやっておいてこのホテルへ運び込まれることにしたのやけど、金沢君が一緒に来ることはちゃんと判っとったですわ。なぜかいうと、金沢君の耳に聞えることを勘定に入れて、『ぼくは槻木トク子の行方をつきとめた、彼は日本におる』というた。トク子の居所を知っとるちゅう話を聞いたら、金沢君は無関心ではおられん筈や。まして、彼は日本におるといわれた以上、黙って見逃すわけにはいかん。『彼』というたからには、あの沈ちゅう男は槻木トク子が男性に転換したことをつきとめたのではないか。沈舜水のいうのはハッタリに過ぎんのか、それとも真相をつかんでおるのか、そいつをはっきりさせんことには落着いた気分で北海道旅行もでけへん。是が非でもあの男のホテルへついていって、あいつの話を聞かにゃ安心でけん。金沢君はそう思うたわけですわ。ぼくの投げた餌に金沢君が食いつかぬわけはないのや」  沈があのとき「彼」という代名詞を用いたことはわたしも気づかぬでもなかったが、単なる誤植だと思って軽くみていたのである。  沈が喋りおえてタバコに火をつけると、黙って聞いていた大虻が吸殻をガラスの灰皿にこすりつけた。沈と大虻は小卓に向き合ってかけている。淵屋隆夫は書物机のイスに腰をおろし、わたしは虚脱したようにしずかな金沢文一郎とならんでベッドに腰かけていた。大久保は大きな口をあけて絨毯をしいた床の上にながながと伸び、ときどき喉のおくから鼾が聞えてきた。 「ぼくは締切に追われて家にいたんです」  と、今度は大虻春彦が語りはじめた。 「そしてようやく書き上げて、待っていた編集者に原稿をわたして一服つけたところに、叶君から電話がかかってきたのですよ。そこでこの望遠鏡つきの銃をもって隣りのビルの屋上に張り込んだんです。ぼくは、まるで自分の手の一部のようになじんだベレッタ・ブリガディールの口径九ミリ・オートマチックを持っていこうか、と思って迷ったんです。こいつにデミントン〓ピータースの弾丸箱を取り出して、百二十グレインのラウンド・ノーズ・ソフト・ポイントのダムダム弾を詰めようとした」 「ピストルの講釈は後まわしにして、早いとこ頼みます」  と、淵屋隆夫が退屈しきった顔でいい、大虻は残念そうに首をふった。 「ま、そういうわけで迷ったもんだから、到着するのが少し遅れてしまった。しかし幸いなことに屋上の電灯が消えていたのでかなり大胆に振舞えました」  ズックの上を、ペットでも可愛がるようにそっとなでている。 「ビルに到着したときに、電話で合図をしてくれというのが沈君の依頼なんです。そしてその場合は、女の声で『ボルチモア』のホステスであると名乗らせてくれ、というんです。なぜこんな面倒なことをやるのかというと、もし金沢が受話器をとった場合に、ぼくの声が聞えてきたら、なにかと工合がわるいことが生じるかもしれない。なにしろ金沢は勘のいい男だから、沈君の心を見ぬいてしまって、計画が旨くいかなくなる心配がある。沈君はそう考えたわけなのですよ。そこでぼくはビルの入口の赤電話で新庄文子さん宅を呼んだんです。ところがまだ授賞式から帰宅していない。難波きみ子さんの家にも三木悦子さんの家にも戸川正子さんのアパートにもかけたけど、どちらも帰っていないというんです。さすがのぼくもいささか慌てだして五回目に朽木靖子さんにダイアルを廻したところ、旨い工合に在宅していてくれたので、やっとのことでホテルのこの部屋に電話してくれるように依頼することができたというわけです」  淵屋隆夫が色っぽい声だと評したものが、朽木靖子だったわけである。彼女がこの話を耳にしたらポッと頬を染め、「アラいやですわ」というに違いない。 「朽木さんから電話がかかって来たのを聞いて、隣りのビルに大虻君が到着したことを知ったわけですのや。そやからぼくは安心して、大船にのった気ィになって事件の真相を話しだしたんですわ。金沢君が素手でくるとは思えん。ピストルを持ってるとは予想しなかったのやけど、ひょっとするとナイフぐらいはポケットに入れとるだろうと考えとった。そやから万一事態が危険になったときにはぼくが眼鏡をはずすよって、それを合図に金沢君の腕をかすめるよう射ってくれ、そういうて頼んでおいたんねん。そしてあくまで金沢君を安心させるために、毛布をかぶってふるえる真似をしたんですわ。ところが大久保さんが張りきりすぎて、ぼくの止めるのも聞かずに金沢君に向っていったもんやから、危機が少し早くきすぎた。あんときぼくは本当にはらはらしたんや。金沢君が一発バンとやれば、大久保さんはやられてしもたもんな」 「結局あなたが合図をしたわけですか」 「さいです。あなたと鮎川さんは背中を向けていたさかい、目に入らんかったでっしゃろが、金沢君がカーテンをしめる直前に眼鏡をはずしたんですわ。カーテンをおろされてしもたら、眼鏡をとろうが逆立ちをやろうが大虻君には見えへん。ぼくも慌てましてん」 「ぼくにとっても難しかったですよ。沈君が合図を送ってくれたのは判ったんですが、つぎの瞬間カーテンが引かれて、この部屋の様子が視界から消えてしまった。そうかといって、サインがあった以上はぐずぐずしている暇はありません。止むなくカーテンに映っている金沢の影を目標に、右腕をかすめて射つことにしたんです」  射撃の名手だとは知っていたが、聞きしにまさるすご腕である。那須与一やウィルヘルム・テルがこの話を耳にしたならば、恥かしさのあまり赤面して自殺してしまうに相違ないと思う。淵屋隆夫も腕をくみ、しきりに感嘆して唸りつづけていた。  話が終るとわれわれは大久保を蘇生させるという仕事にとりかかった。まず眼鏡とネクタイをはずしておいて、コップの水をぶっかけた。二杯目の水で簡単に目をあけてくれたが、簡単にかたづけることが出来なかったのは、彼の自尊心を傷つけずに、いかにして大久保が気絶したかを呑み込ませることだった。われわれはひたすらに彼の勇気をたたえることによって、どうやら危機をきりぬけることに成功した。  さて、正気にもどった大久保を加えたわれわれ五人は、ホテルのマネージャーや警官、新聞記者などにどんなふうに説明すればよいかという問題を鳩首協議したのち、沈がフロントに電話をかけた。まったく奇妙なことながら、わたしが自分の名誉回復に成功したという事実に気づいたのは翌朝布団のなかで目をさましたときのことで、当夜のわたしは沈舜水のあざやかな推理と多分にフィクショナイズされた暗黒街の冒険談に気を呑まれ、ただただ呆然としていたのである。  事件の翌日の午後から、仕事部屋の電話は鳴りつづけだった。そのほとんどが東京からの祝辞であり、なかには関西の友人からかかったものもあった。わたしを信じてくれた同僚からおめでとうをいわれたのは勿論だが、わたしを盗作作家とみなして白い目でみていた連中が率直な態度で謝ってくれたのは、またべつの嬉しさを感じた。  ここに醜態をきわめたのは多田慎吾だった。あれほどはげしくわたしを叩いた手前、それが自分の偏見によるミスであったことを認めるのはいかにも恰好がわるかった。いや、神経質で自尊心の人一倍つよい多田慎吾だ、その慎吾が大衆の前で全面的におのれの非を謝するのは、死ぬよりも辛いことであったろう。多田はわたしの一件から殊更目をそらせ、なんとかポーズを取りつくろおうとして苦心をしているようだったが、その卑劣にして滑稽なさまが大方の批判と嘲笑を買い、いたたまれなくなってとうとう書評紙の評論担当の座からおりてしまった。一説によると、おろされてしまったのだともいう。  盗作の張本人と目されていたときは、何がなんでも多田慎吾に手をついて謝らせたいと思っていたものだが、いざ青天白日の身になるとどうしたわけだろうか、そうした執念は朝露みたいに消えてしまったのである。そして、あいつはとかくの評判のある男なのだ、おれ一人が被害者であるわけもない、放っておけ……といった、おおらかな心境になるのだった。  金沢がつねに黒いサングラスをかけていたことと、自分の過去を話したがらなかったこと、トク子が写真にとられることを余り好かなかったという事実をわたしは思い出してみる。サングラスをかけたのは、トク子時代の面影ののこっていることを、むかしの知人に気づかれまいと用心したからなのだろう。そして槻木トク子が写真嫌いだったということも、おなじように解釈されるのである。性転換の手術をうけようと心に決めたときから、後日わざわいのもととなる女性時代の写真は残さぬように心掛けたに相違ないのだ。外国には、女から男に転換したことを手記として発表して、しこたま稿料や印税をかせごうとするものもいる。しかしこの狭い日本では、性の転換をした人間は棺の蓋がおおわれるまで人々の好奇心の対象となりつづけてゆかねばならない。まして、これから作家として再出発し、流行児となってジャーナリズムの世界にはなばなしく乗り出そうという野心にもえていた彼にとって、性の転換が大きな負担となることは判りきった話だった。  金沢文一郎がわたしに接近してきたのは、わたしがどの程度に真相をにぎったかを偵察するためであり、場合によってはわたしの行動を妨害するためであったことは明らかである。そうしたことには少しも気づかずに、よく出来た男だなどといってすっかり気をゆるしていたわたしの人間観察の甘さに、われながら愛想のつきる思いがしてならない。そうムキになりなさんな、敵さんも必死だったのだからと慰めてくれる親しい編集者もいる。だがそういわれてみても、わたしのむしゃくしゃした気持は、ちょっとやそっとでおさまりそうにないのだ。 この作品は、一九六五年に講談社から刊行され、一九七二年に双葉社、一九七五年に角川文庫、そして、一九九三年一〇月講談社文庫に収録されたものです。